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命の話をしよう③ 検査を断る私はバカなのか? イヤ、夫だってバカなんだよ

この話は、乳がん歴のある40代の私が、5年目の全身検査をすすめてくる主治医に対し、「やりたくないです」と断ってしまったことからはじまった。

(前回、私はバカなギャンブルをしているのか、と言う話を書いた⤵)

素直に、全身検査をすれば、早期発見されるかもしれないチャンスを、みすみす「捨てている」のだろうか、私は。

夫の言葉は、
「まあ、5年に一度の全身検査くらい、受けてもいいんじゃないの?」
というもの。

では、「5年目の全身検査くらい受けたら?」と言う夫(50代)のこれまでの「健診歴」についてお話したい。

夫は会社員時代には、年に一度の簡単な健康診断を受けていたが、40代になってフリーランスになったときから、これまで15年くらい、一切健診に行っていない。

役所から年がら年中、何かの健診のお知らせが届いているが、封筒を開けもせず私に手渡してくる、まるで自分宛ての封書じゃないかのごとく。

……どの口が、私に「全身検査したら」などと言っとるんじゃ!!


……とも思うが、私と、健康な人とでは、同じでないのは分かる。

いわゆる健康を確認するための「健診」と、特定の何かの病変を見つけようとする「検診」「検査」では違うのだろう。つまり私は、健康な人よりは、崖っぷちに近い場所に立たされているわけだ。

だから夫の言うことも分かる。

誰もが、「家族の健康」を心の底から願っている。
大切な人を失うことを、私たちはもしかしたら、自分が死ぬことよりも恐れているかもしれない。
その気持ちが互いに分かるから、相手の健康をいつも気にする。
検査をしてくれ、治療をしてくれ、と懇願する。

ずっと前、私も夫に「健診に行ってよ」と幾度となく言ってきた。
もちろん、夫への愛情と見せかけて、私の心の安寧のためである(笑)

しかし夫は「健診に行かない」と突っぱねるでもなく、ただ普通に行かないだけであった(笑) まるで、最初から通知などなかったかのような対応で、おそらく一瞬で忘れて、何か別のことを考えてはじめている。
なんてふてぶてしいんだろう(笑)

夫は、喫煙者である。
15歳の時から吸っているのだそうだ。

私は、夫のことを頭が良いから好きになったはずなのだが、世間的にみて夫は完全なるバカ野郎である。

今やすっかりマイノリティーとなってしまった夫は、世の中から(二重の意味で)煙たがられながら、街の喫煙所を探してさまよい歩き、あの世かと見紛う真っ白の喫煙ルームの中へと姿を消す。死の儀式のようである。

私は禁煙を強く迫ることはなかったが、幾度となく、「肺がんをはじめとする病気になったとき後悔しないか」という確認だけはしてきたように思う。

夫は「絶対に後悔しない」と言い切る。

夫の人生にとって、もっとも大事なことは「QOLの維持」だと言うが、その際「その選択によって、後々よからぬことが起こった場合に、後悔しないでいられるか」を、いつも天秤にかけて選択しているなどととのたまう。

人生が終わるときに「こうしておけばよかった」などの後悔だけはしたくないから、今を楽しむことを最大化し、つまらない我慢や苦労を極力しないと決めて生きている。

私のQOLのバランスと大分違うが、私のように元来「先の心配をして、今現在を我慢と抑制で満たそうとするような性格」の人間は、夫のような偏った考えも、見習うべき部分が少なからずあるだろう。

とにかく、あれこれ考慮した上で、今なおタバコを吸い続けるならば、もはや私に出る幕はない。そして私は、夫を早くに失う覚悟をするほかないだろう(涙)


夫は、「糸」が完全に切れてしまっている。

何の糸が??

つまり、神様との糸が。

「カラダによいことをすれば健康でいられる、そして長生きできる」という神話の糸を、自らぶっちぎってしまっている。

それにはおそらく理由がある。


夫は、20代の後半から30代の半ばにかけて同棲していた彼女さんを、ガンで亡くすという経験をしている。


夫は、長年に渡って医療と濃密に関わってきた。
彼女さんの付き添いというかたちで、図らずも病院通いのプロになってしまった夫は、治療を巡って医者と大喧嘩をしたり、医療の不完全さに絶望したり、ちょっとは希望を抱いたりしながら、7年間の闘いの末、彼女さんを見送った。

夫は基本的に、「怒り」を原動力に生きている人である。
彼女さんに与えられた「神様のいたずら」。そのどうしようもない不条理に、夫は怒りで立ち向かっていた。「ガンという敵を、絶対に駆逐してやる」という気持ちだったろう。

だから「やれる治療がある限りやろう」というスタンスで、彼女さんを励まし、治療へと向かわせた。
抗がん剤を嫌がる彼女さんに、あの手この手で気分を乗せ、頑張ってもらったのだろう。
彼女さんも彼女さんで、巷でガンに効くとされたアガリクス茸を買ってきて、鍋でせっせと煮だして、そのまずいエキスを飲んだりしたらしい。

まだ「ネット検索」など、巷に流通していないころの話である。
できることを必死で探し、必死で試した7年間だった。

数々の治療や検査や薬や食べ物が、結果的に、彼女を延命させたかもしれないし、もしかしたら命を縮めたかもしれないし、変わらなかったのかもしれないし、答えは永遠に分からない。

夫は7年間の間に、ガンという病と、医療全般に対して、尋常ならざる複雑な思いを抱えた。

そして、ねじれにねじれて、糸が切れたのだ。
神様との糸が。

もちろんこれは、夫の感じた、夫だけの物語である。もし彼女さんがまだ存命だったりすれば、また物語は変わるだろう。

ガンになっても治る人と、治らず亡くなる人がいる。

この誰もが知っている、当たり前のことを、夫は「本当にそうですね」と、心底思い知らされたのだ。

何をどのように治療しても、努力しても、治らず亡くなる人がいる。

腕のいい医師、有効な薬、細かな検査、そして本人の食事などの努力。
何をしても、亡くなる人は、亡くなる。

この圧倒的な現実を、夫は骨の髄まで思い知らされた。

すべての祈りを、軽々となぎ倒される経験をして、夫は今「自分はガンについて何も分かっていなかった」
としみじみ振り返る。

そして夫はさらに続ける。

「もし今、ガンになっても、俺は治療はしない」と。


は??? 
え???
 

……まったく話が終われない。

続きはまた明日書きます。
よかったら、またお会いしましょう。

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