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命の話をしよう。最終話 わたしの「検査」に対する結論

今日は、絶対に「自分の結論」を出す。
私自身の「命に対する、治療や検査に対するスタンス」の結論だ。

そもそもの始まりは、私が、医師がすすめる乳がん5年目の全身検査を、「やりたくない」と断ったことから始まった。

皆さんももうお忘れだろう。
私ももう忘れていた(笑)

命について考えていたら、うっかり5本くらいの記事になってしまった。この手の話は、noteではウケないらしいが、構わず突き進むこととする。

「検査をやらなくて、怖くない?」


今でも、主治医の言葉が耳に残っている。

素直に全身検査をすると決めたらいいだけなのに。
早期発見されるかもしれないチャンスを、みすみす捨てたのだろうか、私は? 
 
大丈夫か、私は? 

そもそも検査には、この5種類の可能性が存在する。

①検査をして、悪いところを発見できる
②検査をして、悪いところは見つからない(健康でした)
③検査をして、悪いところはあるのに、見つからない(見落とし)
④検査をしないから、(悪いところがあるのに)発見できない
⑤検査をしていないが、悪いところもない(検査しないから不明)

いわずもがな、この国では①②が推奨されている。検査をして早期発見できた方が、治る確率、延命する確率が上がる。健康診断をして、実際に命拾いしている人がいるはずである。

しかし私がもし今、全身検査をして、①だった場合。
つまり、再発転移が見つかった場合。

正直なところ、「よし、早くに見つかってよかった。治療を頑張ろう」と思えるかは怪しい。

健康な人が「何かの初期ガン」を見つけて治療をして、完治・寛解へとつなげられる場合の話と違う。

他臓器に転移・再発した乳がんについては、再発を早くに見つけて治療しても、症状が出てから治療を開始しても、治療成績は変わらない。
つまり、早期発見した分、前に寿命が延びるだけと言われている。

(少し古い記事だけど、乳がんの方、一読の価値あります⤵)

この記事は2011年現在のもので、大分古い。
医療の世界は日進月歩だから、今は画期的な薬も次々認可され、治療成績も変わっていると期待したい。

しかし、どちらにせよ、私は今、再発転移が判明した場合、「治療をやりましょう」と言われても、すぐに「はい」と言える自信がない。

ただし局所再発(ガンが胸だけにとどまっている状態)であれば、残った乳房を切り落とす手術に、躊躇はしないだろう。

多臓器に転移したって「試せる抗がん剤はまだあるんだから、やらないなんてもったいないよ」という考え方もある。治療を継続することが、生きるモチベーションになり、エネルギーが出る方も実際にいらっしゃるだろう。

ここらへんが、人によって分かれるところだ。

私の場合は、現時点で治療をするかどうかさえ分からないので「全身の状態は、知りたくない」というのが正直なところだ。

この「知りたくない」は、私にとって案外大事である。
治療をするか分からないからこそ、知らないでいることによってのみ保たれるQOLが、私にはある。

そう書きながら、自分の矛盾に気づいた。
私は少し前の記事で「何事も、白黒はっきりさせたい」性格だと書いた⤵

しかし、こと自分の肉体のことに関しては、「白黒はっきりさせたくないことがある」。はっきりさせたくないということが、はっきりして、スッキリした。

再発転移したと知ってしまえば、私が治療をしようがしまいが、QOLがだだ下がりすることだけは100%確定している。

「ガンであること」を知りながら、そのことを忘れて放置する勇気は、今はまだない。そうなると治療へと心が引っ張られるだろう。使う抗がん剤が、自分に効くかどうかも不明なのに、目の前に治療という希望をチラつかされ、迷わされる訳だ。とてもつらい。

では、②だった場合。つまり検査して異常がなかった場合。

私は「検査してよかった」とはならない。
「検査なんか、するんじゃなかった」と思うのが私である。

時間と金と、痛みや不快さを伴う検査そのもの、被曝のリスクや結果報告までの恐怖。私の人生にとっての「要らぬコスト」を、「なんにもないことを確認する」ために、わざわざ使う羽目になったことに舌打ちしたくなるだろう。

しかし、これがもし、何か自分の体調に不調があって、「不安だからどうしても検査したい」と思って行う検査は大賛成だ。
自分の不安を取り除くため、安心を買うためにコストを支払う。
何もなければよかったね、何かあったら今検査しておいてよかったね、と考えられる。

人生でしないで済む不快は、少なければ少ないほどに、私の場合はQOLが保たれる。だから、とりあえず、今「不調がないなら、検査しないでいいじゃん」と考えて⑤に賭けてしまう。

本当は④かもしれないのに!!

夫が言いました。
「それは、欲が深いってことなのかもね。なにも検査をしないことで、尚且つ、何も悪いところはないことに賭けている。ギャンブルの、一番リスクが高いヤツを選んで、しかも勝とうとしているってことだよね」

私は、ビビりな性格なので、暮らしにおいて、ギャンブル性の高い行動は一切しない。
けれども、ことカラダに関しては、なぜこのようなギャンブラーになるのか、ちょっとよく分からない。
そして、むしろ全身検査をする方が、ギャンブルなのでは??? とさえ思ってしまう私は、少しイカれているのかもしれない。

ここまで書いてきて、ようやく「私の命の折り合う地点」がなんとなく見えてきた。

【検査についての、私の結論】
◆検査は、不調がなければ、なるべく減らしたい。
◆検査は、不調があれば、なるべく早く受け、はっきりさせたい。
◆検査には人体に有害なものもあるので、できれば選びたい
◆検査で、ちょっとした異常でも知らされてしまえば、「気にしい」の私のQOLは確実に下がるので、「知らないでいる」というのが私にとってのメリットとなる。
◆これらの選択の際、のちにどんな結果が訪れようとも、「後悔しないでいられるか」は常に考えておくこと。

よって長々と書いてきたが、私が現時点で「全身検査はしない」という結論は変わらない。

そして今後、私の考えは変わるかもしれない。
その余白も残しておきたいと思う。


以前の記事で、「何かの選択は怖いけど、選んだモノを正解にしよう」と書いた。そして、それでも失敗したと思えば、「また選び直したらよい」とも書いた。

しかし、命がかかった選択に、「次の選択」は用意されていないかもしれない。「完全敗北」の日がやってくるかもしれない。
それでも、これまで頭をひねって導き出してきた、自分の選択を後悔だけはしないよう祈っている。


あなたは、どうだろう?
あなたが健康な人だとして、検診に対して何を思うだろうか。
もしくはあなた自身やあなたの大切な人が、今何かの病気だとして、そこにはどんな指針があるだろうか。

私たちは、いずれ死ぬ。
それ以外は、何も分からない未来に向かって、私たちは選び続ける。

どんな意見があろうとも、最後は自分ひとりで「自分の命」について決めたらいいと思う。
あなたが心底納得できる「命の選択」ならば、そのすべてが正解である。

それには、自分がいったい「どんな状態を、幸福と感じるのか」。
誰にも、何にも、惑わされずに、自分のQOLを感じて欲しい。

周りのことを考えるのは、そのあとだ。

私も、そのようでありたい。
そこから考え始めれば、きっと良い生をまっとうできるはずだ。

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