【前編】夫婦で大まじめに「モテ」考察! 「女にモテたいと思ったことがない」と夫がほざいています(笑)
最近の私たち夫婦の話題の中心は、俄然「男と女」の話である。
日本は近年、非婚の時代・婚難の時代などと言われていますよね。
社会や経済の状況以外にも、多様な時代になって、結婚する・しないが、昔よりずっとゆるやかに、自由になったことも要因なのでしょう。
自由度が増したことは良きことだと思うのですが、
「パートナーを見つけたい」と望みながら、みつけられない人に対して、夫はいつも「おかしいなぁ、そんなはずはないんだけどなぁ」と首を傾げているんですよね。
夫が言うんですよ。
「俺は、生まれてこの方、女にモテたいと思ったことが一度もないんだよ」
私「……は?」
夫、何を言い出すんだ。
男女に限らず、「モテたいと思ったことが一度もない人」なんて、いないでしょーが。
かつて、自分がモテ過ぎて困ったということを、暗にほのめかしているのか?
モテ自慢かよ、感じ悪いぞ。
夫「ちがうちがう、結婚したくてもできないって言っている男たちの考え方に、根本的な間違いがある気がしてさぁ……」
……ん? 根本的なまちがい?
なんだなんだ、聞いてやらぬこともないぞ。
私「それって、男に限った話?」
夫「どうだろう。俺は男のことしかわからないけど」
ふむふむ。
たしかに、男のモテと、女のモテは、同じじゃないかもしれない。
だが、モテなかった私にとって、これぞ『若い頃に知りたかった』てヤツかもしれないですぜ。
これから、夫の少年時代の話を通じて、大真面目に「モテ」をひも解いてみようと思う。
あなたは、夫の考えをどう思うだろうか?
***
「転校」というのは、子供にとって、結構な事件である。
夫は小学5年のときに、私は小学1年のときに、転校の経験があるのだが、それぞれの想いはまったく違う。
私の転校は、小1の6月ということもあり、ほぼ、その場所を去る悲しみも動揺もなかったのであるが、10歳の夫にとっては死活問題。突如、別の環境に強制移送されるというその恐怖に、引っ越し前から気が重かったという。
夫は元来、引っ込み思案で、気が弱く、自己主張なんか一切できない、恥ずかしがり屋さんの少年だった。
特別勉強ができないとか、スポーツが全くできなかった、というわけではなかったらしいが、なにしろまったく目立たない、クラスの日陰者。
クラスの人気者をながめ、「うらやましい」という感情さえ湧きおこらないほどに、住む世界が違うと自覚していた少年だった。
***
数十年を経て、そんな夫と私は、20名ほどの小さな職場で出会うことになるのだが、
30代の夫は、社内において圧倒的な中心人物、人望の厚い人気者として、ドカンと存在していた。
仕事上、なにか問題が起きれば、誰しもが社長ではなく夫に相談し、助けを乞う。コミュニケーション能力が高く、仕事ができ、面倒見もよく、人望もあるため、同性からも一目置かれ、必然女性も次々寄ってくる。
夫は、すげーモテていた
なんなら、社外の女性からも……
わたしは、強烈な遺伝教の信者※であったため、夫のことを「この人は、子供のころから、こういう人だったのだろう」と思って、ただ眺めていた。
(※ちなみに遺伝教というのは、「人は、生まれながらに、性質も能力も決まっている」という、私の母が信じていた価値観をもとに作った言葉です)
夫が子供のころはものすごい引っ込み思案で、10歳の転校をきっかけに、以降、環境が変わる度、自分を「変身」させて生きてきたなんて、まさか知る由もなかった。
***
時は再びさかのぼる。
10歳の少年「陰キャ夫」は、転校によって、知らない環境に送り込まれることを、ものすごく恐怖した。ただでさえ積極的に人に話しかけたりできない自分が、まったく新しい学校に通わねばならない。
マジで、辛すぎる……
夫は引っ越し前から、相当に苦悶した。
でも、一方でこうも考えた。
転校するということは、これまでの自分を誰も知らない世界に飛び込むということだ。
恐ろしいが……
チャンス……でもあるのか?
夫は、妄想した。
クラスのメインストリームに立つ自分を。
……いや、何も、メインストリームなんて、贅沢なことは言わない。
例えばクラスで、普通に友達から声を掛けられ、わいわい学校生活を楽しむ自分になれたら。
……そんな自分になったとき、そこから見える風景は、どのような景色なんだろう。一度でいいから、そんな自分になってみたい……。
……でも何をどうしたらいいの?
とりあえず、スポーツができる自分て、なんかかっこいい気がする!
陰キャ夫は、当時、たまたま妹が通っていた水泳教室に、なんとなく自分も通い始めていたのだが、この時期から、無我夢中で練習しはじめる。
とくべつ体格に恵まれているわけでも、運動が得意でもない夫が、がむしゃらに練習を重ねた。
あれ? 頑張ったら、自分も泳げるんだ……。
***
そんな風にして、自分の中の「かっこいい像」を追っかけるので精いっぱいな少年の陰キャ夫。
「他人が自分をどう評価するか」にまで、まったく気が回らないため、当時「女の子にモテたい」なんて、思いつかなかったと振り返る。
それよりも、「どうしたら、このパッとしない自分に、日の光を当ててやれるのか。どうしたら、ちょっとでもカッコいい自分だと思えるのか」それのみを考えていたという。
「人気者」になるために、「誰にどう思われるように行動するか」「どう行動すれば、女の子にモテるか」
ではなく、
「自分自身がどうあればカッコいいと思えるのか」「どんな自分になったら満足か」という視点で行動したのだった。
両者は似ているようで、真逆のアプローチである。
ちなみに、その真逆を地でいっていたのが、学生時代の私である。
人にどう思われるのか。
人にどう評価してもらえるのか。
それを軸にして、自分の言動を決めてしまう私。
少し前にも書いたが、特に女の子は、「見られる性」「品定めされる性」であり、暗に、主体性を消して「受け身」であれと、社会や親に育てられてきた側面がある。その方が、女の子としてウケがいいというわけだ。
だが人目を気にしてばかりの私は、あんまりモテなかった(笑)
***
10歳の夫の話に戻そう。
泳いで、泳いで、泳ぎまくる少年の夫。
知らぬ間に、どんどん泳げるようになり、気づかぬうちに、他の子を追い抜いてゆく。
練習すればするほどに、無尽蔵に増えてゆく体力。
それに比例して増えてゆく自信。
持久力が知らぬ間についていて、
学校のマラソン大会で、トップをかざる
「あいつ、すげーな」
「あいつ、スポーツできるもんな」
周りの評価が、じわりと変わりはじめた。
ついでに、勉強もがんばった。
少し前まで、目立たないクラスの日陰者であった自分が、日の光を浴び始めている。
そうして小学校を卒業するころには、本当にメインストリームを歩けるようになっていた。
***
中学に入ると、今度はバスケ部に所属し、つきあう仲間も変わってゆく。
オスとしてのポジションをどんどんあげてゆく夫。
だが、夫いわく、対人関係では、まだまだ引っ込み思案のままだったという。
たしかに「恥ずかしがり屋」が、そう簡単に消えてくれるはずもない。
そんなある日の休み時間に、教室で事件が起きる。
同じクラスに、好きな女の子がいたのだが、
「こいつ(夫)、〇〇のこと、好きなんだぜ」と、男友達がふざけて、バラしてしまうのだ(笑)
!!!!!!
席に座っていた夫は、突然のことに、全身を硬直させた。
すぐそばで、当の女の子が、困惑したような顔で立っている。
「うるせーな!」
「ウソつくんじゃねーよ!」
そんな風に、冗談ぽくかわす対応力が、夫にはまだなかった。
元来の恥ずかしがり屋が炸裂し、いっぱいいっぱいになって、
そのまま机につっぷして、泣いてしまうのだ。
騒がしかった休み時間の教室が、「シーン」と静まり返った。
あわてた男友達が「ごめん、そういうつもりじゃ……」と謝ってくる。
中学生の男子が、クラスの皆の前で、泣くという失態。
それがそのまま「絶望」を意味することに、首を縦に振らない人はいないだろう。
スポーツマンになって、少しずつ積み上げてきた自信。
しかし元来の、恥ずかしがり屋の性質が、とっさに出てしまう。
楽しい中学校生活に、突如「ヲワタ」のチャイムが なり響いた。
後編です⤵⤵