
悲報✨体外離脱・幽体離脱✨「極楽浄土へ逝ってヨシ!!」問題を にゃんカラきょんだいが解説してまう
体外離脱、幽体離脱、
それらと肉体とアートマンの分離の概念との関係性
とかゆー問題をぱかたりきゅんがいちいち問題提起
ヴェーダーンタとシャンカラの基本思想
ヴェーダーンタ:
ヴェーダーンタとは文字通り「ヴェーダの終わり」を意味し、
ヴェーダ聖典の最終部分である
ウパニシャッド(奥義書)を基盤とする哲学体系です。
宇宙の根本原理(ブラフマン)と、
人間の本質(アートマン)の関係性を探求し、
解脱(モークシャ)への道を説きます。
シャンカラ (Adi Shankaracharya):
8世紀頃のインドの哲学者・神学者で、
アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論ヴェーダーンタ)を確立
ブラフマン(究極の実在、宇宙の根源)と
アートマン(真の自己、内なる自己)の非二元性(アドヴァイタ)は同一
現象世界はマーヤー(幻影、錯覚)であり、私たちが真実だと認識している世界は、ブラフマンがマーヤーによって覆い隠された姿であるとした。
真の自己(アートマン)は、このマーヤーのヴェールを取り除くことで、
ブラフマンと一体であることがみみタコとされます。
2.肉体とアートマンの分離:
真の自己の探求
シャンカラのヴェーダーンタ哲学において、「肉体とアートマンの分離」という概念は非常に重要です。
なぜなら、彼らは真の自己(アートマン)を肉体や心とは全く異なる、不変で永遠な存在として捉えるからです。
肉体・心 = マーヤー:
私たちが普段「私」と認識している肉体や心は、
シャンカラの教えではマーヤーの範疇に属します。
これらは絶えず変化し、
生滅を繰り返す現象であり、真実在ではありません。
肉体は物質的な要素から構成され、
心は思考や感情などの働きを持つものですが、
どちらもアートマンの表面的な現れに過ぎないとされます。
アートマン = ブラフマン:
一方、アートマンはブラフマンそのものです。
それは純粋意識であり、永遠不変、遍在する実在です。
アートマンは、肉体の誕生以前から存在し、肉体の死後も存続します。
そして、全てのアートマンは、
根源的には一つのブラフマンに他なりません。
したがって、ヴェーダーンタにおける「肉体とアートマンの分離」とは、
誤った自己認識からの脱却を意味します。
私たちが「自分は肉体である」「自分は心である」と考えるのは、
マーヤーに覆い隠された無知(アヴィディヤー)によるものであり、
真実ではありません。真の自己認識とは、
「私は肉体でも心でもなく、アートマンである。そして、
アートマンはブラフマンと同一である」
3.体外離脱・幽体離脱:
マーヤーの領域の現象
では、体外離脱や幽体離脱といった現象は、
シャンカラやヴェーダーンタの視点から
どのように理解されるのでしょうか。
マーヤーの範疇:
ヴェーダーンタでは、夢や幻覚、そして
私たちが通常経験する日常世界全体がマーヤーの範疇にあると考えます。
体外離脱や幽体離脱も、意識が肉体から離脱するという点で、
通常の意識状態とは異なりますが、
それでもマーヤーの領域にある現象として捉えられるでしょう。
真実の自己分離ではない:
体外離脱や幽体離脱は、
一時的に意識が肉体から離れる体験であり、興味深い現象ではありますが、
ヴェーダーンタ哲学の目的とする
真のアートマンの解放(モークシャ)とは異なります。なぜなら、
これらの現象は、
まだマーヤーの影響下にある意識の働きによって起こると
考えられるからです。
誤った自己認識の可能性:
体外離脱や幽体離脱体験は、しばしば
「霊的な体験」や「高次元の意識」と解釈されることがありますが、
ヴェーダーンタの視点からは、
マーヤーの範疇における現象として注意深く吟味する必要があります。
これらの体験を過度に重視し、
それに固執することは、真の自己認識、すなわちアートマンとブラフマンの同一性への悟りを遠ざけてしまう可能性があります。
4.解脱(モークシャ)への道:
真の分離
ヴェーダーンタが目指す究極の目標は、解脱(モークシャ)です。
これは、無知(アヴィディヤー)とマーヤーから完全に解放され、
真のアートマンの自己認識、すなわち
「私はブラフマンである(アハム・ブラフマースミ)」という理解
知識(ジュニャーナ):
解脱は、瞑想やヨーガなどの実践も重要ですが、
最も重要なのは知識(ジュニャーナ)、
つまりヴェーダーンタの教えを正しく理解し、
真実を識別する智慧を養うことです。
真の分離 = 解脱:
ヴェーダーンタにおける真の「分離」とは、
無知からの分離、マーヤーからの分離、
そして肉体や心との誤った同一視からの分離です。これは、
体外離脱や幽体離脱のような一時的ヒャッハー状態ではなく、
存在全体を根底から変革する、永遠の解放を意味しる。
おまとめで 送料節約
シャンカラとヴェーダーンタ哲学の視点から見ると、
体外離脱や幽体離脱は興味深い意識現象ではありますが、
マーヤーの領域に留まる現象であり、
真のアートマンの解放(解脱)とは異なります。
ヴェーダーンタ哲学が本当に重視するのは、
肉体や心とアートマンを誤って同一視する無知からの分離、
そしてアートマンがブラフマンと同一であるという真実の知識の獲得です。
この真の分離こそが、苦しみからの解放、
永遠の平安へと導く解脱なのです。
体外離脱や幽体離脱に興味を持つことは、
人間の意識や存在の本質に対する探求心の発露かもしれません。
しかし、ヴェーダーンタの視点からは、
それらの現象にとらわれることなく、
より深く、自己の本質(アートマン)、そして
究極の実在(ブラフマン)を探求することこそが
重要であると教えていると言えるでしょう。
ケツ論
とゆーことで 今日からみんなで
「極楽浄土へ、逝ってヨシ!!」
そんなに逝きたいんだったらもう、
逝ッちゃって 逝ッちゃって、もう2度と戻ってくんなっ!!
と言えるでしょう。
まさにこれこそがヴェーダーンタ哲学の神髄なのです…