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本好き僧侶が薦めるおすすめ小説10選【上級編】


はじめに

前回、前々回の記事でおすすめ小説の【入門編】【中級編】をご紹介しましたがここからは上級編です。ここから先は分量がものすごく多かったり、基礎知識やある程度の読解力、思考力が必要とされる作品となっていきます。

ですがどの作品もカントやヘーゲル、マルクスのような超難関な文章が続くというわけではありません。あくまで小説ですので読むことすら困難だということは基本的にはありません。読書入門者、初心者の方がいきなり読むには厳しいかもしれませんが〈中級編〉で紹介した本を楽しむことができたならば十分こちらも楽しむことができるでしょう。

では、早速始めていきましょう。

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1 セルバンテス 『ドン・キホーテ』

『ドン・キホーテ』はスペインのラ・マンチャ地方を舞台にスタートした小説です。

ですがこの『ドン・キホーテ』、名前は聞いたことがあっても実際にどんな小説で何がすごいのかということになると意外と知られていないのではないでしょうか。

作中ドン・キホーテが風車に突撃するというエピソードが有名ではあるものの、その出来事の理由は何かと問われてみるとさらに謎になってくるでしょう。

『ドン・キホーテ』は有名ではあるけれども、実は謎に包まれた小説と言えるかもしれません。

この作品はスペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスによって書かれた大作です。


ミゲル・デ・セルバンテス(1547-1616)Wikipediaより

これまでに幾人もの作家による翻訳が出版されていますが、私は岩波文庫の牛島信明訳を愛読しています。

牛島信明訳はとにかく読みやすいです。言葉遣いも現代的で私たちが読んでも全く違和感なく読むことができます。身近な文体で楽しく読書しようとするなら岩波文庫の牛島信明訳がベストなのではないかと私は思います。

さらに要所要所で挿入されている挿絵がまたすばらしいです。


本書挿絵より

挿絵のおかげでドン・キホーテの様子がより鮮明に想像できて物語に入り込みやすくなります。

一言で言うならば「こんなに読みやすい古典はなかなかない」と断言することができるでしょう。

古典と言えば小難しくて眉間にしわを寄せて読むものだというイメージもあるかもしれませんが、『ドン・キホーテ』においてはまったくの逆。

私は元気を出したいときや明るい気分になりたいときに『ドン・キホーテ』を読みます。

理想に燃えて突進し、辛い目にあってもへこたれず明るく前に進み続ける、そんな『ドン・キホーテ』を読んでいると不思議と力が湧いてくるのです。

2019年の世界一周の旅でも私は『ドン・キホーテ』をKindleに入れて旅のお供にしていました。

そしてボスニアで強盗に遭い、辛い気持ちになっていた時に力をくれたのは何を隠そう、『ドン・キホーテ』でした。(強盗の一件については「上田隆弘、サラエボで強盗に遭う。「まさか自分が」ということは起こりうる。突然の暴力の恐怖を知った日 ボスニア編⑨」の記事をご参照ください。

「ドン・キホーテはあんなにも大変な目にあってるんだ。それなら私だって大変な目に遭うのも当然じゃないか!旅に出て何かに挑もうとしたならば、辛い目に遭うのも当たり前なんだ。むしろそれこそ遍歴の騎士道において大切なことなのだ!私だってまだまだやれる!ドン・キホーテを真似て、自分も前向きに旅を続けねば!」と勇気づけられたのを鮮明に覚えています。

私の中で『ドン・キホーテ』が決定的に重要な書物になった瞬間でした。

ただ、おそらくいきなりこの作品を読んでみても頭の狂った変なおじさんが行く先々でトラブルを引き起こし、ひどい目に遭わされるという印象以上のものを受け取ることはなかなか難しいといのが実際のところです。

渡すが初めて『ドン・キホーテ』を読んだ時もそうでした。

たしかに1冊目はくすっとしてしまう面白さがあるのですが、それ以降はあまりそういうシーンもありません。

ただただドン・キホーテがトラブルを引き起こし、それに怒った人々がドン・キホーテたちをボコボコにするという展開が続きます。

正直、全て読み終えた直後はなぜこの小説が世界最高の文学と呼ばれているのかさっぱりわからなかったことを覚えています。

ですがそれもそのはず、作者のセルバンデスは一見不思議で愉快な冒険の中に裏のメッセージをふんだんに忍ばせるという手法を用いているのです。

つまり、小説の裏に潜む隠れたメッセージを読み取れなければ単なる狂人ドン・キホーテのトラブル冒険記を延々と読むことになってしまうのです。

となるとこの小説の何がすごいのかさっぱりわからないというのも当然のこと。

これでは読むのもなかなか辛い。

と、いうわけで、『ドン・キホーテ』を読むときはあらかじめ解説書を読んでおくことをおすすめします。

その中でも特におすすめは中公新書から出版されている牛島信明著『ドン・キホーテの旅 神に抗う遍歴の騎士』という本です。ぜひこの本とセットで読むことをおすすめします。これさえあれば百人力です。『ドン・キホーテ』の面白さがわかればもう病みつきになること間違いなしです。この本が世界最高の小説の一つとして称えられる意味がよくわかると思います。ぜひ楽しんでみて下さい。

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2 ヴィクトル・ユゴー 『レ・ミゼラブル』

この作品は1862年、ヴィクトル・ユゴーによって発表された言わずと知れた名作です。

この小説を原作に数多くの舞台や映画化もされていて、むしろそちらの方が印象が強い作品かもしれません。

ちなみに私もミュージカルの大ファンです。観るたびに号泣し、今でもよくサントラを聴いています。

この物語には救いがあります。読んでいて元気が出ます。

たしかにこの作品は『レ・ミゼラブル』のタイトル通り、「悲惨な人々」がたくさん描かれます。ファンチーヌはその最たる例です。

しかし、そんなみじめな人びとを生み出すこの世においてジャン・ヴァルジャンのような人間が戦い続けている。ミリエル司教のような高潔で善良な人間がいる。そしてかれらの善なる力が次の世代に引き継がれていく。

こうした人間の持つ崇高な善なる力、理想がこの作品では描かれています。

『レ・ミゼラブル』は分量も多く、原作はほとんど読まれていない作品ではあるのですが、基本的には難しい読み物ではなく、わかりやすすぎるほど善玉悪玉がはっきりしていて、なおかつ物語そのものもすこぶる面白い作品です。

しかも単に「面白過ぎる」だけではありません。この作品にはユゴーのありったけが詰まっています。つまり、ものすごく深い作品でもあります。私もこの作品のことを学ぶにつれその奥深さには驚愕するしかありませんでした。

原作も最高ですし、ミュージカルも最高です。まず間違いない作品です。原作を読むのが厳しいという方でも、まずはミュージカル映画を観てみて下さい。王道中の王道です!圧倒的な音楽と歌、ストーリー展開に夢中になること間違いなしです。

当ブログではレミゼの解説記事も更新していますので興味のある方はぜひこちらもご覧ください。

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3 エミール・ゾラ 『ルーゴン・マッカール叢書』

「ルーゴン・マッカール叢書」とは簡単に言えば、フランス第二帝政期(1852-1870)を舞台にしたエミール・ゾラの社会観察シリーズとでもいうべき作品群です。2021年の大河ドラマ『青天を衝け』で渋沢栄一が訪れたパリ万博はまさにこの時代に当たります。彼が目にしたパリの文化が後に日本にもたらされることになり、今を生きる私たちにつながっているのです。

現代では当たり前の存在になっているデパートが生まれたのがこの時代で、欲望を刺激し、人々の「欲しい」という感情を意図的に作り出していくという商業スタイルが確立していったのもこの時代でした。(※詳しくは「デパートはここから始まった!フランス第二帝政期とボン・マルシェ」の記事を参照)

第二帝政期は私たちの生活と直結する非常に重要な時代です。現代のライフスタイルの起源がまさにここにあるのです。

そしてその当時の時代背景、そして人間心理を知る上でゾラの「ルーゴン・マッカール叢書」はこの上ない歴史絵巻となっています。

ゾラの作品は決してただ単に過去の時代を描いたものではありません。彼は人間の本質に迫ろうとしました。彼の描く人間たちは今を生きる私達と何も変わりません。

世の中の仕組みを知るにはゾラの作品は最高の教科書です。

この社会はどうやって成り立っているのか。人間はなぜ争うのか。人間はなぜ欲望に抗えないのか。他人の欲望をうまく利用する人間はどんな手を使うのかなどなど、挙げようと思えばきりがないほど、ゾラはたくさんのことを教えてくれます。

ゾラはどぎつい世の中の現実を私達に見せつけます。作中、きれいごとを排した人間のどろどろしたどす黒い感情、煩悩がこれでもかと飛び交います。

まるで「世の中を知るには毒を食らうことも必要さ。無菌室に生きてたら世の中を渡ることなどできるもんか」と言わんがごとしです。

そのゾラの集大成が「ルーゴン・マッカール叢書」であり、この中にゾラの代表作『居酒屋』『ナナ』が含まれています。そしてそれぞれの作品はつながりはありつつも、単独の作品としても読むことができるようになっています。私が初めて読んだゾラ作品は『居酒屋』でしたがこれが面白いのなんの!その面白さに私はまさに衝撃を受けてしまったのでした。(その衝撃については「『居酒屋』の衝撃!フランス人作家エミール・ゾラが面白すぎた件について」の記事参照)

「名刺代わりの小説10選」ということで本来は一作品を上げるのがルールですが、このルーゴン・マッカール叢書はやはりその全体込みで大好きな作品ということでここで取り上げさせて頂きました。どれを読んでもものすごく面白いのですが以下私のおすすめ作品をピックアップしています。ぜひこちらもご参照ください。

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4 トーマス・マン 『魔の山』

この小説は私にとって非常に大切な作品です。私の「十大小説」を選ぶとすれば『魔の山』は確実にその中でも大きな位置を占めます。それほどこの作品は力強く、強烈なインパクトがあります。とにかくスケールの大きな作品です!

私がこの本を初めて読んだのは大学院生になってからのことでした。人生問題について書かれた重厚な小説を読んでみたいと思っていた私がふと出会ったのがこの作品だったのです。トーマス・マンについては学生時代に『ヴェニスに死す』を読んだことがあったり、ゲーテとの絡みでその名が出ていたりと元々興味のある存在でした。

ま~とにかくでかい!この小説のスケールは常軌を逸しています。小説の舞台自体は閉鎖空間たる「魔の山」ですが、私たちの日常を吹き飛ばす異界だからこそ存在する魔力をこの本では体感することになります。

そしてこの小説の中で私が最も印象に残ったのが次の一節です。

「生命とはなんだろう?だれもそれを知らなかった。生命が湧きでる、生命が燃えあがる自然的基点は、だれにもわからない。」

「生命のもっとも単純な形態と、無機であるために死んでいるとさえいうに値しない自然物とのあいだの距離にくらべたら、脊椎動物と偽足アミーバとの距離など問題にならなかった。」

生物と無生物との違いは何なのか。生命とは何なのか・・・

この一節を読んだ時の衝撃は今でも忘れられません。この一節だけを読めばなんてことのない問いのように思えるかもしれません。これはきっと誰しもが一度は抱いたことのある問いでしょう。ですが『魔の山』という異界に身を置いてハンス・カストルプと共にここまで歩んでくると、この問いは信じられないくらいの重さを持って私たちの前に現われるのです。

私は自分で問わずにはいられませんでした。自分と石ころの違いはなんだろう。石ころと生物を隔てるその究極の一歩は何なのだろう。仮にそれが命だとして、では命って何なのだろう。死者と生者の違いは何なのだろう・・・

こう考えていくと無限に問いが連なり、私たちが日常ほとんど目を向けないであろう根本問題が現れて来ることになります。偉大な長編小説をじっくり読むということはこういうことなのかと私はつくづくその時感じました。同じ一節でも大きな物語の中で語られた一節はそれこそ圧倒的な重みを持つのです。これは読めばわかります。ぜひこの小説を読んでそれを体感して頂けたらなと思います。

私がこの小説を初めて読んでからそれこそ10年近くも時が経ちましたが、それでもこの小説の衝撃は今も強烈に残っています。

この作品もぜひ学生のうちにおすすめしたい作品です。まさに学生という感受性豊かな時期に主人公のハンス・カストルプと共に「魔の山」の強烈な人物達と出会うのは非常に貴重な体験となると思います。本を読んでも人と出会うことはできます。本のよい所はここにいながら時と場所を超えて人と出会えることです。ぜひセテムブリーニ氏やペーペルコルンというとてつもないスケールの人物たちと対面してみて下さい。度肝を抜かれること間違いなしです。ぜひぜひおすすめしたい名作です。

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5 オーウェル 『一九八四年』

『一九八四年』は言わずと知れたディストピア小説の最高峰です。

私がこの作品を初めて読んだのは10年ほど前の学生時代でした。まだ20歳そこそこで世界のこともあまりわかっていなかった当時の私でしたが、この本の恐ろしさに強烈な印象を受けたのを覚えています。

今回久々に『一九八四年』を読み直したわけですが、今度の『一九八四年』は前回とは全く違った恐怖を感じることになりました。

と言うのも、私は最近、ソ連やナチス、独ソ戦の歴史を学び、全体主義の恐怖をこれでもかと感じていたからです。

(※以下のカテゴリーページに記事をまとめていますのでぜひご参照ください)
「レーニン・スターリン時代のソ連の歴史」
「独ソ戦~ソ連とナチスの絶滅戦争」
「スターリンとヒトラーの虐殺・ホロコースト」
「冷戦世界の歴史・思想・文学に学ぶ」
「現代ロシアとロシア・ウクライナ戦争」
「ボスニア紛争とルワンダ虐殺の悲劇に学ぶ~冷戦後の国際紛争」
「マルクスは宗教的な現象か」

この作品は単に未来のディストピアを想像して書かれたものではありません。実際にソ連やナチスの全体主義で行われていたことが描かれています。

ですがよくよく考えてみましょう。この作品は私たちにとっての未来の姿なのでしょうか、過去の姿なのでしょうか。

私はこの作品は私たちの現在の姿でもありうると感じました。

それはソ連の歴史を学んでいた時にも強く感じたことでもあります。

国民の精神をどのように誘導し、権力に都合のいいように動かしていくか。全体主義体制はあらゆる手段を用いてそれをコントロールしようとします。

それは注意して見ていかないと気付くことができないレベルで徐々に徐々に私たちに浸潤してきます。

『一九八四年』の世界においても、最初からビック・ブラザーが全てを掌握していたのではないのです。しかし、いつしか国民が自分から進んでビック・ブラザーに忠誠を誓い、互いに監視し合うようになってしまったのです。そうなってしまっては一個人が疑問を持ってもヴィンストンのように簡単に捕らえられ、蒸発、あるいは改造されてしまいます。

『一九八四年』はどの時代においても「今」を問うてくる作品です。

「今」、私たちはどのような世界に生きているだろうか。

そのことを強烈に突きつけられる作品です。読書人必読の書と言える名著です。

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6 ウィリアム・ゴールディング 『蠅の王』

さて、ここでご紹介する『蠅の王』ですがこれまた凄まじい作品となっています。

この作品を初めて読んだ時の衝撃は忘れられません。

最初は子供たちだけで楽しく暮らしていたはずだったのがいつの間にそれが崩壊していく。そして理性的で善良な子たちが野蛮で暴力的な力に屈していく過程は読んでいて非常に辛い気持ちになります。まさにトラウマ本です。

子供であろうが人間は人間。人間には内に獣が住み着いている。そこに大人も子供も区別はない。人間、誰しも獣になりうる。そうしたことをこの作品は私たちに突きつけます。

私がなぜこの作品にこんなにも衝撃を受けたのか、それはこの作品が描く世界があまりに身近だからです。

『一九八四年』のSF世界のような遠い世界ではありません。これは今私たちが生きている世界をそのまま映し出しているかのように私は感じてしまうのです。

皆さんも子供時代、強い者がグループを組んでその社会(クラス)を牛耳っているのを見たことがあると思います。ある人はそうした「強い者」から実際に被害を受けたこともあると思います。あるいはその逆も・・・

この作品はそんな子ども時代の記憶のみならず、大人になった今ですらぞっとするものを私たちに連想させます。

私は正直、これ以上どう伝えていいのかわかりません。

ただ、あまりにこの作品は身近すぎるのです・・・あまりにどぎついのです。

読んでいると本当に胸の奥がむかむかしてきます。善良な子供たちがなぜ暴力的な子供たちからそんなに苦しめられなければならないのかと本気で憤りが湧いてくるのです。はっきり言います。この本は読むのが辛いです。笑って楽しむ作品ではありません。

ですが人間の本質を考える上でこの上ないインパクトを与える作品であることは間違いないです。

人間は何にでもなりうる。理性的にも獣的にも。

はじめは仲良しだったはずの子供たちがなぜ殺人まで犯してしまったのか。そのメカニズムをこの上なく的確に暴き出している作品です。

正直、この作品については思うことがあまりに多すぎてなんと書いていいのかもうわかりません。

ゴールディングの寓意が効きすぎてどこから何を話していいのか、もはやわからないのです。パニック状態です。

それほどこの作品は強烈です。

ぜひこの作品を読んでその衝撃を味わって頂けたらなと思います。非常におすすめな作品です。

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7 ゲーテ 『ファウスト』

ゲーテの『ファウスト』といえば言わずと知れた世界文学の傑作です。

ですが、実際にこれを読んだ人となるとかなり少ないのではないかと思います。この現象は『ドン・キホーテ』や『レ・ミゼラブル』などの名作と似ているのではないかと思います。

有名ではあるがあまり読まれない『ファウスト』。

そしてこの作品が厄介なのは、とにかく理解するのが難しいという点です。いざ読んでみればすらすら読めてしまう『ドン・キホーテ』とは違った雰囲気があるのです。

かく言う私も『ファウスト』には何度も苦しめられました。

始めてこの作品を読んだのは大学生の時。その時は読んだはいいもののさっぱりわからず、ただ読み切っただけという状態でした。そこから大学院生時代にリベンジするも、その時も何が面白いのかさっぱりわからずじまいでした。

『ファウスト』はたしかに難しい。ですがそれはただ難解だからというより、「いかにして読むべきか」、そして「この作品が書かれた背景」が現代を生きる私たちにはわかりにくいということなのです。ですのでこれさえわかってしまえばものすごく楽しむことができます。

よくよく考えてみれば『ファウスト』が発表されたことで当時の人はそれこそこの作品に夢中になったわけです。それは当時の人が今より圧倒的に頭が良かったというより、その時代の人々の心に響く内容がこの作品に込められていたということなのです。(もちろん、文学としての完成度、その芸術的崇高さも世界最高峰なのも間違いありませんが)

これまで、『ファウスト』は私の中で苦手作品の筆頭にある存在でした。

しかし今となっては私の大好きな作品のひとつになりました。この本を「面白い!」と感じられた瞬間の喜びは生涯忘れないと思います。それほど嬉しかったのです。

何遍立ち向かってもわからなかったものがわかるようになる。面白いと思えるようになる。

この快感は読書の最高の喜びのひとつだと思います。

以下の記事では私がいかにして『ファウスト』を楽しく読めるようになったかをお話していきます。いわば『ファウスト』を読むコツです。ぜひおすすめしたい記事です。

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8 ドストエフスキー 『死の家の記録』

さあいよいよ大御所中の大御所が登場です。

ドストエフスキーといえば『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』をイメージする方が多いと思いますが、私個人の思いとしてはこの『死の家の記録』こそその入り口にふさわしい作品だと考えています。

と言いますのも、『罪と罰』はドストエフスキー特有の黒魔術的な文体が強く出ていて、いきなりこの作品に突入すると面を食らう可能性があります。また、『カラマーゾフの兄弟』はこの後紹介するように、重厚で、さらにはとてつもないボリュームがあり、これを入り口として読むのはあまりおすすめできないというのが私の正直な思いです。

この作品は心理探究の怪物であるドストエフスキーが、シベリアの監獄という極限状況の中、常人ならざる囚人たちと共に生活し、間近で彼らを観察した作品なのですから面白くないわけがありません。

あのトルストイやツルゲーネフが絶賛するように、今作の情景描写はまるで映画を見ているかのようにリアルに、そして臨場感たっぷりで描かれています。読んでいてまるで自分もそこにいるかのような、それほどの迫力をもって描かれています。

物語も展開が早く、次々と場面が動いていくのでページをめくる手が止まりません。

しかもドストエフスキーはそんな中で随所に驚くほどの人間分析をやってのけます。

人間の本質に迫るドストエフスキーの目は、監獄という極限状況の中でさらに研ぎ澄まされているように感じます。

そういう点でこの本はフランクルの『夜と霧』に近い作品と言えるかもしれません。

それほどこの作品は人間の奥底にまで沈んでいく作品であると私は思います。

ドストエフスキーといえば、心の奥深くのドロドロをえぐり出すような心理描写をイメージしますが、この作品ではそのような内面描写よりも、主人公の目を通して周囲の状況や他の囚人たちの心理を冷静に分析しているような文体で進んで行きます。そうした意味で、この小説は他のドストエフスキー作品よりも非常に読みやすい作品と言うことができます。(もちろん、そこはドストエフスキー。内容はかなり重く深いので一筋縄ではいきませんが)

ドストエフスキー作品の入り口に何をおすすめするかと聞かれたら私はまずこの作品を挙げます。

人間心理の奥底を覗くのにこの作品は最適です。恐るべき作品と申しておきましょう!ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

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9 トルストイ 『戦争と平和』

さあ、いよいよ文学界のラスボス的存在とも言えるトルストイ大先生のお出ましです。

長編小説界のキングオブキング、『戦争と平和』。まさに〈上級編〉の名にふさわしい名作でしょう。

『戦争と平和』はとにかくスケールの大きな作品です。

この作品はできるだけ若いうちにまず読んだ方がいいです。特に学生のうちにこそ読むべき作品です。

まず読むのに時間がかかり過ぎます。社会人になってからだととてつもない覚悟が必要になります。

さらに言えば、若くて頭が柔軟なうちにトルストイ大先生の説教をがつんと受けておいた方がいいということです。

この作品では「人生とは何か。人間としてどうあるべきなのか」という教訓が山ほど出てきます。

これは年を取ってある程度自分が固まってしまってから聞くより、できるだけ早い方が絶対にその後につながっていきます。トルストイ大先生の説教に頷くか反発するかは自由です。どちらでもいいのです。ですが、こうした圧倒的なスケールで語られる物語や人生の教えをがつんとぶつけられる体験、これはかけがえのないものだと私は思います。

私は31歳にして初めて『戦争と平和』を読みました。やはり学生の時に読めてたらなとも感じましたが、ドストエフスキーを研究して様々な文学や歴史を知った上で読んだ今のタイミングも悪くなかったなと思っています。

ちなみに私はトルストイ大先生の説教に圧倒はされたものの、反発を感じた派であります。これはきっとドストエフスキー的な思考を持っているとこうなりやすいのではないかと感じております。

ドストエフスキーが小さな暗い部屋で何人かが集まりやんややんやと奇怪な言葉のやりとりを繰り返す物語を書くとすれば、トルストイはロシアやカフカースの広大な世界や華やかな貴族の大広間のイメージです。

ドストエフスキーが人間の内面の奥深く奥深くの深淵に潜っていく感じだとすれば、トルストイは空高く、はるか彼方まで広がっていくような空間の広がりを感じます。

深く深く潜っていくドストエフスキーと高く広く世界を掴もうとするトルストイ。

二人の違いがものすごく感じられたのが『戦争と平和』という作品でした。

万人におすすめできる作品ではありませんが、凄まじい作品であることに間違いはありません。一度読んだら忘れられない圧倒的なスケールです。巨人トルストイを感じるならこの作品です。

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10 ドストエフスキー 『カラマーゾフの兄弟』

『カラマーゾフの兄弟』はドストエフスキーの晩年に書かれた生涯最後の作品です。

ドストエフスキーはこの作品で生涯変わらず抱き続けてきた「神と人間」という根本問題を描いています。

さて、この小説における重大な山場が「大審問官の章」であります。

私自身、この本を初めて読んだのは20歳の冬です。宗教の知識も浅い未熟者だった私がその時どこまで読み込めていたのかはわかりません。

しかしこの「大審問官の章」は私にとてつもない衝撃を与えることになりました。

ここまで痛烈に宗教を攻撃する言葉を私は初めて目にしたのでした。しかもその言葉を吐いているのがカトリックの高位聖職者たる大審問官であり、こともあろうにその相手はあのイエス・キリストであります。

大審問官は異端者を火あぶりにする責任者です。その彼がキリストを攻撃するのです。なんという逆説でありましょう!

しかしその大審問官も根っからのキリスト批判者ではありませんでした。いや、むしろかつては熱烈なキリスト讃美者でした。キリストのために生き、キリストの説く自由な信仰を熱烈に求め修行していたのです。

ですが最後にはカトリック側についてしまったのです。彼にも抗いようのない苦しみや葛藤があったのです。

この辺の描写にも私は唸らされるわけであります。

当時の私は知ってはいませんでしたが、ドストエフスキー自身はロシア正教を熱心に信仰していました。ドストエフスキーは熱烈に信仰を求めたからこそ、信仰上の問題を極限まで突き詰めて論じていったのです。表面上は激烈なまでに無神論的なこの「大審問官の章」ですが、実はこの章があるからこそ、後の展開が開けてくるのです。

さて、「大審問官の章」についてここまで述べてきましたが、当時「宗教とは何か」「オウムと私は何が違うのか」と悩んでいた私の上にドストエフスキーの稲妻が落ちたのです。

私は知ってしまいました。もう後戻りすることはできません。

私はこれからこの「大審問官の章」で語られた問題を無視して生きていくことは出来なくなってしまったのです。

これまで漠然と「宗教とは何か」「オウムと私は何が違うのか」と悩んでいた私に明確に道が作られた瞬間だったのです。

私はこの問題を乗り越えていけるのだろうか。

宗教は本当に大審問官が言うようなものなのだろうか。

これが私の宗教に対する学びの原点となったのでした。私が当ブログで「親鸞とドストエフスキー」というテーマで世界文学や歴史の本を更新し続けてきたのもここに大きな理由があります。以下のまとめ記事でより詳しくお話ししていますのでぜひご参照ください。

『カラマーゾフの兄弟』はただ暗くて重いわけではありません。

しかも「難しい」というイメージがかなり先行していますが、実際に読んでみるとそこまで難しい表現は出てきません。言葉自体は読みやすいとすら言えるかもしれません。

たしかに、上巻の前半は忍耐が必要になります。正直に申しまして、前半はプロローグといいますか、中盤からの盛り上がりのための前準備のような内容です。(慣れてくるとこの箇所もものすごく面白くなってきます。いや、むしろここにこそドストエフスキーの巧みな小説技巧がつぎ込まれており、私はここにも最近魅力を感じるようになってきました)

もしかしたら、ここで挫折してしまう人が大半なのかもしれません。

ですがここを辛抱すると上巻の後半から一気にエンジンがかかってきます。

ここまで辛抱強く読んできた方なら、これまで溜めていたエネルギーが爆発するがごとく一気にドストエフスキーの筆の勢いに呑み込まれていくことになるでしょう。

中巻下巻に入ってもその勢いは止まることはありません。きっと抜け出せなくなるほど没頭すること請け合いです。それほどすごいです。この作品は。

上巻の前半部分さえ突破すれば後はもう怒涛のごとしです。

決してこの作品は難しいのではありません。難しいのではなく、深いのです。(この作品についてもっと知りたい方はぜひ「『カラマーゾフの兄弟』はなぜ難しい?何をテーマに書かれ、どのような背景で書かれたのか~ドストエフスキーがこの小説で伝えたかったこととは」の記事をご参照ください)

『カラマーゾフの兄弟』が発表されてから120年の月日が経ってもなお変わらずに多くの人から愛され続けているのはそれなりの理由があるのです。

この物語そのものが持つ魅力があるからこそ、読者に訴えかける何かがあるからこそ、こうして読み継がれているのだと思います。

私の中でこの作品は別格の存在です。私に最も強い影響を与えたのはこの本で間違いありません。

分量も多く、基礎知識も必要とされる手強い作品ですがぜひこの「世界最高峰の小説」を味わってみてはいかがでしょうか。

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おわりに

ここまで入門から上級編まで25作品をご紹介しました。

そのどれもが私の大好きな作品であり、ぜひおすすめしたい作品です。

当ブログではこれまで数多くの本を紹介してきました。そのどれもが私が自信を持っておすすめできる作品です。

今回ご紹介した25冊はその中でも選りすぐり中の選りすぐりの精鋭たちです。本当はまだまだご紹介したい作品がありますが泣く泣く選外となりました。マニアックな作品だったり万人受けしないという理由から外れた作品も当然あります。ですがマニアックだからこそ響く作品というのもやはりありますよね。当ブログではそんな作品たちもたくさん紹介していますのでぜひサイト内を覗いて頂けたらなと思います。

皆さんの読書のお役に立てたならば何よりも幸いでございます。

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