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【歴史小説】第62話 保元の乱・急②─破滅の始まり─ 『ひとへに風の前の塵に同じ・起』


   1


「なぜだ、なぜだ、なぜだ‼」

 大炊殿の奥。次々来る敗戦の報に苛立つ頼長は、横にあった脇息を蹴飛ばした。

 つい先ほど、家弘から火がかけられた、という報が入った。この部屋にも火の手が上がるのは時間の問題だ。


 大炊殿に火の手が回ったのは、1時間前に遡る。

 盛遠は火打石を借りてきたことを生身の兵士と道満の式神たちで混成された軍を相手に戦っていた渡に報告した。

「ありがとな」

「そういや、風が収まったみたいやが、あの護符誰かがはいだんか?」

「あぁ。それなら茂光がやってくれた」

「そか」

 火打石を持った渡は、血の乾いた人型が刺さった矢に火をつけ、それを弦につがえ、

「大将代理、もう少し屋敷の方に逃げてください」

 敵から逃げ惑っている仲綱を御殿へと誘導した。

「いつまで俺をこんな目に遭わせるんだ! もう疲れた」

 息を切らしながら敵から逃げる仲綱。30キロもの重さがある甲冑を着ながら走り回っているので、疲れるのも無理はない。

 仲綱の疲れをよそに、大将首を狙って躍起になる武者たち。

「いいぞいいぞ、もっと追いかけろ」

 仲綱を狙う大軍にエールを送る渡。

「渡、なんで敵を応援するんだ」

「これも策略でね」

 そうつぶやいた渡は、矢を引く。

「よし、盛遠。火つけてくれ」

「わかった」

 盛遠は火打石を打って、先ほど渡が作った紙人形が数体刺さった矢に火をつけた。

 燃える矢はヒノキの皮で葺いた屋根に刺さった。

「どんどん行くぞ」

「おう」

 渡と盛遠の二人は屋敷に火をかけ続けた。

 火はどんどん大きくなっていき、煙を上げながら檜皮葺の屋敷の屋根を焼いていく。


「忠正も、頼憲も捕まるなんてあり得ない」

 忠正も頼憲も歴戦の勇士である。ましてや切り札であった為朝が消えたとなれば、こちらの敗北は必定。火の手が回った屋敷にいれば、確実に焼け死ぬ。焼け死ななくても、攻めてくる平家や義朝の家臣に囲まれて捕まるだろう。

「落ち着いてください、殿。まだ為義殿と家弘殿たちがいます」

 焦りを隠せない頼長を信光は諫めた。

 頼長は信光の直垂の襟裾を掴んで、大きな声で言った。

「忍のお前ごときに何がわかるというのだ。反乱は死罪と決まっているのだぞ」

「だからといって、こうして人に当たるのですか!」

「この野郎!」

 扇子で思いっきり信光の顔を叩こうとしたとき、

「辞めないか、頼長」

 今にも涙を流しそうな表情で、崇徳院は制止した。

「なぜ、お止めなさる。もう、時間が無いのです」

「みんな私のために戦ってくれた。頑張ってくれた。それでいいではないか。私が負けを認めて、お前たちの命を助けてやってくれ、と雅仁と信西に言うから。もし死んでしまったら、この治天の君という称号にすがる私を恨んで、祟るなり殺すなりしてもらってもいい。だからお願いだ。私のために必死で戦ってくれたお前たちだけでも、せめて生き延びてくれ」

 そう言って崇徳院が頭を下げようとしたとき、

「院。諦めるのはまだ早いです。この源為義を忘れてはいけませんぞ。そのために英気を養っていたのではありませんか!」

「この家弘もまだ生きています」

 為義を始めとした諸将たちが名乗りを上げた。

「そうだな。まだお前たちがいる」

 頼長は涙を流した。

 嫌われ者の自分にも味方になってくれる人がいる。窮地に立たされても一緒に戦ってくれる仲間がいる。それだけでも、荒んだ心が潤う心地がした。

「じゃあ、最後の悪あがきと行くか。信光、先ほどは悪かった」

 そう言って、頼長は深く頭を下げた。

「こちらも言いすぎました」

 謝る信光。

「まあいい」

 そう言って頼長は為義と家弘の方を向いて、指示を出す。

「もう作戦を立てる余裕はない。為義と家弘は、院をお守りするように」

「でも、そうなりますと、左大臣殿は警備のない中を進むことになりますが、よろしいのですか?」

「あぁ、構わん。負けたのはこの私の責任だ。それよりも時間がない。院を車に乗せて、安全な所へお連れしろ」

「御意!」

 為義と家弘は、崇徳院を敵から守るべく警護に着いた。

「信光、お前に頼みがある」

「頼み、とは?」

 いぶかしがる信光の耳元に頼長は近づき、ささやいた。

「正気ですか、殿」

 衝撃の内容に、驚きを隠せない信光。


   2


「やっと終わった」

 家貞と経盛を助け出した清盛は、一息ついて頼憲の軍勢、そして自分の従兄弟たちと戦うために移動していた。

「さすがでした殿」

「ありがとう、兄上」

 泣きながら、家貞と経盛は清盛を褒めたたえた。

「いやいや。俺は運がよかっただけだよ。奇跡が起きなかったら、死んでたし」

「殿、運も実力のうちです。そう謙遜なさらず、もっと堂々となさってください」

「そ、そうだよな」

「えぇ」

 盛国と重盛、基盛が戦っている戦場を目の前にしたとき、後ろから門が開く音と蹄の音が聞こえた。

 加勢しようとしていた清盛と家貞、経盛は振り返る。

 振り返った視線の先には、赤や紫、緑の糸で刺しゅうされた大鎧を着た集団がいた。そしてその真ん中には、周りの武者たちと比べ華奢な体格をした男が馬の手綱を握っていた。頼長だ。


   3


「あの野郎、消えたか」

 義朝は為朝を倒せなかった自分に憤っていた。あの二人の童子さえ突然現れなかったら、確実に為朝を仕留められていた。

「為朝がいなくなった。それでもいいではないか」

「そう、だな」

「それよりも、向こう側で戦っている頼仲の軍勢を蹴散らそう」

「おう。挟み撃ちにでもされたら──」

 大変だからな。義朝がそう言おうとしたとき、後ろにある門の扉が開く音がした。

 扉の向こうからは、漆塗りの車輪に金箔で十六菊花紋が押された車と、それを守るように大勢の騎馬武者たちが囲みながら並走している。

「新院がお逃げになられるのか」

「ここは何もしない方が無難だろう」

 崇徳院が落ち延びるところを見守っていたとき、

「久しぶりだな、義朝」

 腰に二本の太刀を差した、一人の騎馬武者が義朝に声をかけた。為義だ。

「何の用だ? 今さら復縁なんぞ受け付けるものか」

 絶縁した父に冷たく言い捨て、目の前で戦う義明たちの加勢に向かおうとする。

 腰に差したもう一つの鬼切丸を抜き、為義は義朝に向かって投げつけた。

 鬼切丸は弧を描き、義朝の目の前に突き刺さる。

「これが、何なのかわかるか?」

「鬼切丸、だろう」

「そうだ。前の持ち主は覚えているか?」

「義賢か」

「そうだ。お前の弟で、とっても聡明な男だったよ。聞き分けの悪いお前なんかと違ってな。そいつを殺したのは、誰かわかっているのか?」

 為義は腰に差していた鬼切丸を抜いて、義朝に問いかけた。

「俺じゃない。息子の義平だ。殺人犯の親を殺すのはお門違いじゃないか?」

「義朝。俺はお前の父親として、今から生んだ者の責を取らせてもらう‼ 持て、義朝」

 鬼切丸を大上段に構えた為義は、義朝に斬りかかった。

 疲労困憊で満身創痍の身ではあるが、軽々とした身のこなしで為義の一撃を避ける。

「こんなもの、いらん」

 義朝は刃こぼれの酷い刀を抜いて、帯の部分を狙って斬りかかった。

 真っ赤な血が、為義の脇腹から噴き出してくる。

 痛みを必死で抑えながら、為義は、

「よけるな!」

 と叫び義朝に斬りかかり、続ける。

「貴様も人の親になったんだってな。もう縁を切っているが、この場で祝ってやるぜ。だから、お前もわかるだろう。自分の息子が殺されることの辛さを、痛みを!」

 攻撃を防いでいる義朝は、父親の説教に冷ややかな笑みを浮かべて返す。

「犯罪者を匿い、その罪をもみ消している分際でよく言うぜ」

「笑うな! ダメな俺でも、最大限に家族を大切にしようと思ってやってきた。北面の時に一緒だった忠盛を闇討ちにしようとしたこと。関白殿下の妻子を人質にしたこと。汚いことかもしれないが、お前たちを必死で養うためにやったんだ」

「この期に及んで父親面とはな。呆れたもんだ」

 刀で為義を押し倒し、義朝は肩を斬った。

「あのときのことは謝る。許してくれ、義朝。全て、この父上の心の弱さがそうしたんだ。反省もしている。この通りだ」

 涙を流しながら、為義は謝った。

「懺悔はあの世の閻魔様のもとでするんだな!」

 義朝は、為義の首を取るため、刀を振り下ろした。

 恐怖のあまり、目をつむる為義。

 刀が首に接触し、首が斬れようとした刹那、正清が刀を振りかざす義朝を制止した。

「なぜ制止する? このジジイは子どもを見捨て、犯罪者を匿った極悪人。なぜかばう?」

 義朝は声を荒げ、為義を助けた理由を尋ねた。

 落ち着いた声色で、正清は義朝の質問に答える。

「このジジイには聞きたいことが山ほどある。だから、生け捕り程度にさせておけ」

「でも、この男を生かしておいたら、消えた為朝が取り返しにくることだってあるだろう?」

「そのときはそのとき。どうしても斬りたいなら、こいつが死刑になったときでもいい」

 正清がそう言い捨てたとき、義朝はしばらく黙り込んだ。

 倒れている為義を正清は持ち上げ、

「正清のおかげで首が繋がったこと、感謝するんだな」

 と耳元で呟いたあと、息が荒くなり、痛そうに傷口を抑えている為義を持ち上げ、腹部を思いっきり蹴って気絶させた。


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