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【私小説】人のことを好きになれない(前編)

 ホームルームがあった2日後の午後。私は保健室から教室へと向かった。渋々授業に出席するためである。

 この日出席したのは、道徳だった。

 本音を申せば、道徳の時間が嫌いだ。

「みんな仲良く」

 特にこの論調が嫌いだ。

 みんながみんな仲良くできれば、世界、いや、もっと身近なところから争いが無くなっている。そして、警察も司法も軍隊もいらない真に平和な世界になる。けれども、現実は残酷だ。様々な思想信条や宗教がある。話しても絶対分かり合えない人間がいる。私から見たらあいつのように。人が人でいる限りは、永遠に分かり合えない。そしてその中には、絶対に分かり合えない人間もいる。

「夢は叶う」

 これも嫌いだ。

 子どもの頃からの夢を叶えた人はいるということは認めよう。けれども、9割9分の人の夢は、叶わない。

 自分の見てきた将来の夢を思い浮かべてみてほしい。みんな叶わなかっただろう?

 何を言いたいのかと言えば、道徳というのは「こうなったらいいな」という理想論と大して変わらないのである。

 対して現実は、学校の道徳の説いている理想論とは遥かに遠い。正義と悪の存在が曖昧だ。そのうえ、どうにもならないことが幾重にも積み重なっている。

 こんな理想論を教えるくらいなら、生き方を教えて欲しい。

 正義も悪も曖昧で、どうにもならないことだらけ。嫌でも互いに傷つけ合い、悪という名の泥を被って生きて行かなければいけないような、そんなどうしようもない世界を生き抜ける強さ。これを教えてほしい。


 この日の道徳の話題は、「好きな人について」だった。バレンタインも近いから、こんな話題が出たのだろう。

 ──好きな人とか正直どうでもいい。

 モテない私にはどうでもいいことだった。

「好きな人」

 私にはいたことが無い。そもそも人を好きになるという理屈が、よくわからない。

 いろんな物語や歌とかで、恋愛のことを扱ったものはあまたある。だけど、どれも他人事のように感じられる。

 創作だから、それでいい。けれども、自分のこととなると、とんと理解できない。

 同時に私のことを好きになる物好きなんて、よほどのことが無ければいない。勉強もできなくて、運動もできない。不器用で、コミュ障で、人間嫌いで、容姿にも恵まれていなくて……。こんな何の取り柄のない人間が、どこにいるだろうか。そして、そんな人間を好きになる人がいたとしたら、どうせ誰かに罰ゲームとして付き合わされているんだろう? それぐらい、馬鹿な自分でもわかる。だから、今も好きになることは無いし、これからも無いだろう。むしろ、人があまりにも嫌いになりすぎて、いつ事件を起こしてもおかしくなさそうだ。


 道徳の授業が終わる前に、感想文を書かされた。

「感想文」

 と言うけれど、型のある物なので、正確には人様に媚を売るための練習なのだけど。

 私は白紙で出した。実際に誰かを好きになったことがない、いや、なれない私に、誰かを好きになる人の心情なんて、知ったことではない。自分のわからないことなんて、書けるわけがない。


 白紙で出したので、むろん担任に呼び出された。

「貴方には、好きな人がいたことはないの?」

「無いです」

 私は即答した。

「え、14歳になっても!?」

 目を見開いて、担任は少し大きめの声で返した。

「なんというか、人のことが好きになれないんです。だから、人を好きになるとか、そういうのは、他人事として受け取っていて……」

「そっか。普通は好きな人の一人や二人いてもおかしくないんだけどね。私が佐竹くんと同い年だったときはいたよ。告白はしたけど、結局フラれちゃった。でも、それはそれで、いいんじゃないかな? 好きな人がいるイコール幸せなこととは限らないし。好きな人がいなくても、幸せなことはたくさんあるわよ。それに、いつか『こういう人が好き!!』というのがわかる日が来るかもしれないしね」

「そ、そうですよね」

「とりあえず、佐竹くんは、これ明日までに書いてきてね」

 一人の女性から中学校の先生に戻った担任は、私の名前が書かれた真っ白なプリントを返した。


 夕方、私は三浦くんに今日あった出来事を全て話した。

「好きな人がいたことがないか」

「うん。正直誰も好きになれない。人のことは嫌いになるのに」

 どうしてだろうか? 私は人のことは好きになれないけど、嫌いにはなる。

 人に好かれたことが無いからなのかな? それとも、自分には人の心というものが生まれつき無いからなのか? いずれにせよよくわからない。でも、私が嫌いな生き物の中に「人間」が入っているから、これが影響しているのは間違い無いだろう。

 三浦くんは、おかしそうに笑い、私の問いに答える。

「そういう人だって、いるさ。世の中には同性を好きになる人もいるし、どちらも好きになれるって人もいるから。誰も好きになれないという人がいたって、何もおかしな話ではないと思う」

「そっか」

 やっぱり、世の中は広い。三浦くんと話していると、いつもそう思う。

 学校では教えてくれない知識や考え方、ものの見方も彼は知っている。そんな世間の常識に囚われない彼の世界観が、私はとても好きだ。

 このときも世間の常識に囚われない彼の物の見方に救われた。誰も好きでない自分でいてもいいんだ。そう思えた。

 何を言われてもいい。正直に自分の思いを書こう。白紙で出した道徳のプリントの回答が決まった。


 週が明けて、2月14日。

 この日は3限の授業に出席した。

 カバンに入れた教科書とノート、ワーク、筆箱を置いて、席に着く。

(やっぱり、騒がしいな)

 いつも保健室という静かな空間にいたから、同世代の男女が集う教室という場所は、おそろしく騒がしい場所に感じる。

 そして、窮屈な場所でもある。

 以前私は自転車に乗って東京まで旅をしてきた。東京も人がたくさんで騒がしい場所ではあった。が、こんなにも何かに締め付けられる感覚を感じることは無かった。

 次の授業の用意を済ませ、トイレに行こうとしていたとき、自分の名前を呼ばれた気がした。

 呼ばれたので、私は振り返った。

 振り返った先には、クラスメートの山木がいた。

「突然なに?」

「なに、って言われてもね。ちょっと聞きたいことがあるだけ」

「何だよ」

「健、好きな人って、いたことがある?」

 真顔で山木は聞いた。

 無いよ、と私はあるがままの事実を答えた。無いことをあることとして語れるほど、自分の脳は高等な造りをしていない。

「本当に!?」

 ここまでは定石通りだ。この歳になって、誰も好きになれない人間なんて、天下広しといえども、そういるはずがない。ましてや、この1学年150人弱という小さな社会の中では、なおのことそうであろう。

 しばらく黙り込んだ後、山木は口を開いて言う。

「本当にそうだとしたら、君は『異常者』だよ」


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佐竹健
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