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【エッセイ】10年前はここまで熱くなかった『佐竹健のYouTube奮闘記(82)』

 世間的に夏と呼ばれている季節、個人的に灼熱と呼んでいる季節は、本当にろくでもない。熱い上に気力が無くなるから、何もしたくなくなる。だから、日が照っている間はベットに伏している。

 何とか体を起こして、お昼を軽く食べ、食器とかを洗う。合間に洗濯も済ませる。そして洗濯物を干したり、取り込んだりする。

 カーテンと戸を開けると、見るのも嫌になるくらい青い空と強い日の光が窓に差し込んでくる。

 夕方になって熱さが少しマシになった辺りでやっと、

(動こうかな)

 とか考えたりできるようになる。そして重い重い身体を起こし、冷食をチンしたり、買い物に行くついでに松屋や富士そば、サイゼみたいな安いところで夕食を食べたりしている。家で適当に何か作ることもあるけど。

 買い出しは夜にしている。日中なんて、出れたものではない。

 こんな調子なので、動画撮影や編集どころではない。それどころか、頭も回らなくなっているので、文筆の方も小説の最新話更新がストップしたり、エッセイの話題が思いつかなかったりしている。熱い時期が続くと、こうげき、ぼうぎょ、すばやさ、かしこさなど全てのアビリティが下がるので、一日でも早く終わってほしい。本当に嫌になってくる。


 10年前の今ごろ、いや、5年前でさえここまで熱くなかった覚えがある。

 当時も確かに暑かった。朝の9時を過ぎた辺りから、エアコンなしでは発狂してしまいそうなくらい暑かった覚えがある。もちろん今みたいな「熱い」と思ってしまうほどの日もあった。が、そうした極端な日は一年に一回か二回あるかどうかで、それでも朝と夜は多少マシではあった。特に早朝は、どの季節よりも爽やかさがあった気がする。

 最近の場合は、朝昼晩ともに物凄くあつい。

 天気予報を見ると、朝の9時くらいから夕方まで30℃を超えている。灼熱真っ盛りな時期は、涼しくなっているであろう夕方から夜でさえもぶっ通しで30℃以上だ。30℃を切るのは、深夜帯のみだ。そんな日が、連日続いている。朝は爽やかさの欠片もない。

 こんな話を、毎日受験勉強に勤しんでいた10年前の私にしたら、どんな反応を示すであろうか? 間違いなく発狂してしまうだろう。この10年間でここまで熱くなっているとは思いもしないだろうから。遁世して1年が経った5年前の私でさえも、同じリアクションを取ると思う。

 グラフを見ていくと、低かった気温が、00年代、10年代、20年代と年代が進むごとに上がっている。そして、30年代のところで、夏の最高気温の平均が40℃台になっていることが大げさに表示されていた。40年代に入ると、旧東京の夏の最高気温が50℃を超え、雪国と呼ばれていた新潟や東北地方の日本海側、北海道などでは、雪が降らなくなっていた。45年には冬の気温も30~35℃台が一般的になった。

佐竹健『最高気温50℃』(2024)

 これは、この前私が最高気温50℃を超えた近未来の日本の話を書いた短編小説の一部分である。私が中学3年だったときと比べて、ここまで熱くなっているのだから、今から10年後の灼熱は、もっと熱くなっていることであろう。拙著のように30年代の最高気温が40℃を超えていたとしても、何らおかしな話ではない。最低気温は35℃とかになっているのだろうか。だとしたら、さらに30以降まで生きようと思えなくなってしまう。


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