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【歴史小説】第29話 祇園乱闘事件①─神輿に刺さった矢─ 『ひとへに風の前の塵に同じ・起』
1
久安3年(1147)6月15日。
清盛は祇園社(現在の八坂神社)で、一族の繁栄を願うため、田楽を奉納する準備をしていた。
きらびやかな衣装を身にまとった踊り子と、その護衛に着いていた郎党たちは、
「準備はできたような。控えの場所へ行こう」
「おう」
清盛の指示で、控えの場所へ行こうとしたとき、束帯姿の人物が、
「おいお前ら、ここで何をしていた?」
大きな声で聞いてきた。
「午後からやる田楽の準備だけど?」
「ここでは、準備をしてはいかん。今回は見とがめてやる。次からは気をつけろよ」
「すいません」
清盛は頭を下げて謝った。
「おい、そこの神人さんよ」
郎党の一人海王丸は、この場を去ろうとしていた神人の肩を強くつかむ。
「何だ?」
「うちの殿に頭下げさせて、タダで済むと思うなよ」
海王丸は神人を強く睨み付けた。
「お前の主人が、お前らのために、わざわざ頭下げてくれたんだ。ありがたいと思え」
海王丸の肩を振りほどき、神人は足早にその場を去ろうとした。
「おい、待て」
「うるさいなぁ!」
海王丸の引き留めにイラついた神人は、郎党の一人を殴りつけた。
「やったな、オイ!」
怒りのボルテージがマックスになった海王丸は、神人の顔面を、思いっきり蹴りつけた。
神人は血を吐いて数メートルほど吹き飛んだあとに立ち上がり、笛を吹いた。
烏帽子を被り、刀や薙刀で武装した神人の仲間たちがぞろぞろとやってきて、清盛とその郎党たちの周りを取り囲む。
踊り子たちは、薙刀の刃をきらめかせ、いつでも襲いかかってきそうな神人たちに怯えている。
「やっちまえ!」
武装した兵士や悪僧に、神人は命令を下した。
「海王丸、やめろよ!」
戦いを始めた海王丸と血走った神人たちを、清盛は必死で止めようとする。
だが、両者は聞く耳を持たず、そのまま戦闘を始めた。
2
傍観者の中に、白い頭巾を顔にまとい、黒い法衣に太刀を差した少年がいた。
少年の背丈は高く、肩幅が広い。ぱっと見元服したばかりの色黒の青年に見えるが、顔つきに残るあどけなさから、まだそれほど歳を取っていないことがわかる。
清盛の郎党たちと八坂神社の神人の喧嘩を、少年は楽しそうに見物していた。
血の流れる喧嘩を直で見ていて、気持ちが高ぶったのか、少年は、
「おもしろそうだ! 明雲、俺も参加していいか?」
一緒に来ていた同年代の僧侶 明雲(みょううん)に許可を求めた。
「これ鬼若(おにわか)よせ。また師僧に叱られますぞ」
明雲は鬼若と名乗る少年を制止する。
「怒られるのは慣れっこだ。それじゃ、行ってくる」
「おい、待て! 師僧から夕食抜きと言われても、知らんからな」
明雲は鬼若を呼び止めようとした。
だが当の鬼若は、事件が起きている場所へと突っ込んでゆく。
「はぁ、また叱られる」
明雲はため息を一つついた。
「みんな、つまらない喧嘩はやめよう」
清盛はドサクサの中、必死で説得を試みた。
だが、郎党たちは、血走る神人たちと戦うのに精いっぱいなためか、清盛の説得に耳を傾けてくれない。
そこへ、大柄な僧兵姿の少年が、
「この鬼若も参戦するぜ! おい、そこのチビ、覚悟しろ」
拳を振り上げ、清盛の方へ突撃してきたのだ。
「おいおい、そこの少年、喧嘩はやめよう、な」
清盛は、鬼若に殴るのを辞めるよう促すが、鬼若は聞こうともせず、清盛を殴り飛ばした。
「痛っ」
数メートルほど吹き飛んだ清盛は、鬼若に殴られ、青く腫れあがった箇所をなでる。
「なんだ、大したことないな、もう一発喰らわしてやろうか?」
鬼若は再び清盛に殴りかかろうとしたそのとき、目の前に、額に縫い傷、頬に刀傷のある15、6歳ぐらいの少年が、鬼若の拳を受け止めた。
「お前、誰だ! そこをどけ!」
鬼若はすかさず、二の拳を出し、青年に殴りかかる。
だが、二の拳も受け止められ、反撃手段は蹴りしかなくなった。おまけに両手は強い力で握られているので、痛いうえに動かすこともできない。
「痛ぇ、放せ、このヤロー!」
鬼若は必死で抵抗する。だが抵抗すればするほど、青年が握る握力が強くなる。
「うちの殿に手出したら、ただじゃおかないからな」
拳を突き出したときに、腹を思いっきり蹴りつける。
鬼若は二メートルほど吹き飛び、倒れる。
「誰だ、お前?」
「平清盛の郎党、伊藤忠清(いとうただきよ)だ。覚えなくてもいい」
忠清は自分の名を名乗り、清盛の側へ向かう。
「そうか、いつかはお前を倒してやるから、覚悟しとけ」
鬼若は忠清の後ろでわめき続けた。
「いつでも相手してやる」
忠清は鬼若に言い残し、暴れる神人を止めに向かっていった。
このとき鬼若は、心の中で、「いつかは平家をこの手で倒してやる」と誓ったのだった。
3
一方、山王丸と海王丸の兄弟とその元部下の郎党たちは、神人たちと殴り合いの喧嘩を繰り広げていた。
武装した神人たちの多くは、急所を強く殴られたり、手首や足を斬られたりしたため、戦闘不能に陥っている。
「おのれ、神聖な場所に血という穢れを持ち込むとは……」
頭から真っ赤な血を流しながら、神人は元海賊の兄弟をにらみつける。
「穢れが何だってんだ。俺らが穢れみたいなもんだからな」
山王丸は大笑いした。
「兄貴の言う通り! そんなんなら、俺たちを入れんじゃねぇ!」
二人は気を失った神人の仲間たちを背後に、唐剣を構える。
「うぅ……」
神人は苦しそうな顔で、腰に佩いていた太刀を抜き、兄弟に立ち向かった。
一太刀を浴びせたが、力の差で海王丸に押され、体勢を崩した後に腹部を思いっきり蹴られて、泡を吹いて気絶した。
「けっ、ざまあねえな」
海王丸は腕を組み、余裕の表情を浮かべている。
「おのれ、賊上がりめ、覚悟しろ!」
そのとき、後ろで倒れていた神人が立ち上がり、持っていた太刀で、海王丸に斬りかかろうとしてきた。
「兄貴危ない!」
彼を救うべく元部下の定元は矢を弦につがえ、弓を引く。
放った矢は、空気を切る音を出しながら神人を目がけ、目に見えるか見えないかの速さで、倒れた神人たちの上を翔る。
「危ない!」
神人は飛んできた矢を避けた。
矢はそのまま直進し、神人の後ろにあった神輿(みこし)に当たった。
鏡が割れ、細部に施された装飾が壊れる。
その破片が砂利の上に飛び散り、夏の強い日射しを受け、強い光を放つ。
(定元、なんてことしてくれたんだ……)
清盛は、あぜんとした表情で矢の刺さった神輿を見ていた。
戦っていた忠清も同様、ポカンとした表情でそれを見つめる。
「お前ら、何ということをしてくれたんだ!」
目を覚ました神人は、先ほど注意したときよりも大きな声で、清盛たちを責め立て、再び戦おうとしたときに、
「御用だ、御用だ!」
騒ぎを聞き付けた検非違使の役人たちがやってきた。
「やべっ、検非違使だ! お前ら、撤退するぞ」
神人たちは慌ててその場を去った。
田楽は乱闘騒ぎのため、予定していた時間よりも少し遅れたが、無事奉納された。
4
京都の北東 比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)(滋賀県と京都府の県境にある天台宗の総本山)。伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう)の開基以来、京都の鬼門を封じる役割を担っている。
読経や真言(マントラ)を唱える声、焼いた香木の香りが、青葉を茂らせた木々の中にある、荘厳な伽藍(がらん)や仏塔(ぶっとう)から、小鳥のさえずりに混じって届く。
この日、鳥羽院は崇徳院や院近臣、公卿らを連れて、比叡山への参詣を行っていた。
鳥羽院たちは、参詣を終えたときに、刀や薙刀を持った僧兵たちの集団とすれ違った。
そのうちの何人かは、矢が刺さり、飾りが壊れた神輿を担いでいる。
付き従っていた高階通憲こと信西(出世を望めない己の家柄に絶望し出家した)は、この様子を見て、
「何だか、山の様子が騒がしいな」
といった。
僧兵たちは普段、自分たちの寺やそれに関連する神社、関所の警備をしている。だが、この日はなぜか、数十人単位でこの比叡山に集まり、会合を開こうとしている。それに、悪僧が先ほど担いでいた神輿に矢が刺さっていたのが、不吉な予感を感じさせた。
「何があったのやら」
不安そうな表情で、忠通は集まった悪僧たちの集団を眺めている。
これから始まるであろう悪僧たちの会合の様子を見て、鳥羽院は、顔を真っ青にしながら言った。
「嫌な予感がする」
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