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【短編小説】ものぐさ太郎(8)

 年明けて正月。松の内を過ぎた辺りから太郎は、平時のように教養を身に付けるため、綾の家に通っていた。

 この日は琴の練習をしていた。太郎の奏でる優雅な琴の音が、屋敷中に響き渡る。

 白い狩衣と端正な顔立ちのせいであろうか、奏者の太郎の琴を弾く姿がより凛として見える。

 夢中で琴を鳴らしていたときに、ビーン!! と不気味な音を立てて弦が切れてしまった。

「申し訳ない……」

 申し訳なさそうに、頭を下げる太郎。

「いいんです。この琴は糸を張り替えてからもうだいぶ経ってますし」

「でも、これは姫様の大事な宝物でございましょう?」

「うちで直しておきますから、そこまで責任感じなくてもいいですよ」

「いいえ、私が直しておきます。綾さんは気にしないでください」

「そこまで言うなら……」

「任せてください。必ず直しますから」

 琴の糸が切れた後は、琵琶の練習に変更した。

 琵琶と礼法の練習が終わったあと、太郎は楽器を作っている職人のもとへいき、綾の琴の糸を張り替えてもらった。

「この琴は糸を張り替えてからもうだいぶ経ってますし」

 糸が切れたときにこんなことを言っていたから、ひとまず全ての糸を張り替えた方がいいだろう。あと、どうせならきれいにもしておこう。そう考え、10本の弦全てを張り替えることにした。少し痛い出費。だが、綾の笑顔を守るためならば、それぐらい安いものだ。


 後日太郎は、修理した琴を持って綾の住む大内邸へやってきた。

 風呂敷の中から、ピンと線が張られ、新品同様にきれいになった琴が現れる。

「まあ!」

 綾はびっくりした。

 この琴は幼いころに父義弘から買ってもらったものである。父が討たれたときも、京都へ引っ越すときも、いつもこの琴があった。小さいころから思い出の詰まった大事な琴。その琴が、太郎の手によって甦った。

(太郎さん、本当に優しい人だったんだな……)

 綾は太郎が本当に優しい人だったことに気づかされた。あのとき助けてくれたことは、自身の家の身分の高さに付け込もうとか、その後に攫ってしまおうみたいな下心で動いてやったのではない。ただ単純に、優しさだけで助け出した。その事実に気づいてあげられなかった自分は、なんと酷い人間なのであろうか……。

「ありがとうございます、そして、ごめんなさい」

 太郎の善意が偽りでなかったことに感動したのと、今まで彼を疑ってきたことに罪悪感を感じた綾は、深々と頭を下げた。

「どうして謝るんですか!?」

 突如頭を下げられて、困惑する太郎。

「実は太郎さんのこと、疑ってました」

 重い口を開けて、綾は真実を話した。話す綾の目には透き通った涙が浮かんでいる。

「どうして……」

「疑っていた」と聞いて、ショックを受けた太郎。返す言葉が見つからない。誠心誠意彼女に接してきたのにどうして?

 綾は太郎について今まで思っていたこと、そして、琴の件をうけて太郎への疑いの念が晴れたこと全てを打ち明けた。

「謝らなければいけないのは、こっちの方です……」

「ものぐさ太郎」となった経緯、左衛門尉に話しかけられて運命の変わった日、名主様に言われ京を目指した日のこと……。太郎は過去のことを全て話した。

「約束なら、守らなきゃ、ね」

「あのとき、いきなり『結婚しよう』なんて言って、申し訳ございませんでした……」

 琴の線を直した一件は、太郎にとってはそこそこの痛手であった。が、彼女からの株を逆に上げることになったうえに、距離も縮んでいったから結果はオーライとなった。


 太郎と綾は、以前よりも距離が縮まっていった。

 いろいろ教えてもらう傍らで、二人でどこかへ出かけることも多くなった。春には醍醐の花見へ、夏には華麗荘厳な山車を見に祇園の祭へ、秋には紅葉を見に嵯峨野へといった具合に。

 もちろん清水寺へも行った。そのときには、彼が仁王門の前で黒い素襖を着てナンパしていたことを綾は話した。

 そうして、季節は春から夏へ、夏から秋へ、秋から冬へと移り変わっていく。


 秋から冬に変わろうとする10月。太郎のもとに、一通の手紙が届いた。送り主は、綾の育ての父大内盛見である。

 封を開き、太郎は文を読む。

 ──突然のお手紙失礼いたします。私は大内盛見と申しまして、綾の育ての父であります。俗に豊後守や長門守と呼ばれている者です。この前娘である綾を助けてくれたこと、そして彼女と仲良くしてくれていること、心より感謝申し上げます。
 貴方のことは、綾や侍女の和沙から度々聞き及んでおります。話を聞いているうちに、娘の友人にして恩人でもある貴方がどういう人間か興味が湧いてきました。ですが、文を書こうにも書こうとする暇が無いほどに忙しい日々が続いておりましたので、書くのが遅れてしまいました。もしお時間がありましたら、我が家でお茶でも飲みながらゆっくり語り合いましょう。お返事待ってます。

 手紙の内容はこんな感じだった。

(とうとう親父が出てきたか……)

 緊張する。

 太郎は手紙に「会いに行きます。日付は11月14日でお願いいたします」と書いた。


 11月14日。約束の日がやってきた。

 目の前にいる入道姿の中年は、近習を数人従え、畳の上で悠然と座っている。

 侍烏帽子を被り、紺色の直垂、下には灰色と白の着物を着、腰に短刀を差した太郎は、深々と礼をした。そして、

「それがしが、豊前守様の姫君であらせられます綾殿をお助けした、更科太郎義勝でございます」

 と言った。

「そうか。面を上げよ」

 ゆっくり頭を上げる太郎。

 太郎が頭を上げ、顔を見たあと、盛見は、

「噂通りの美丈夫だ」

 とつぶやいた。

「お誉め頂き、ありがとうございます。綾殿があれこれ教えてくれるおかげで、最近やたら褒められるようになりました。これもひとえに綾殿のおかげにございまする」

「おお、それはよかった」

 満足そうに盛見は言ったあと、

「里はどこぞ?」

 と聞いた。

「名字のとおり、信濃国の更科郡でございます」

「氏は?」

 そう盛見から聞かれ、黙り込む太郎。自分には氏はない。本当はあるのだろうけど、親が先に旅立ってしまったから、何も知らない。それゆえに無いも同然といった感じである。

(何も答えなくても、本当のことを言ってもやられる……)

 どちらを選んでも地獄なのは変わりない。嘘をついてもどこかでバレる。

「氏や素性というものは、成り上がり者ゆえ、ございません」

 覚悟を決めて太郎は本当のことを答えた。

 盛見は傍に立て掛けていた陣太刀の柄をにぎり、立ち上がった。そしてゆっくり鞘を抜き、不気味なほどに蒼く光る切っ先を太郎の目の前に突きつけ、

「兄の忘れ形見を助けてくれたことは感謝する。だが、どこの馬の骨かわからぬような成り上がり者の地頭ごときに、綾はやれん、帰れ!」

 と怒鳴りつけた。

 同時に隠れていた近習たちが太郎を取り押さえ、袋叩きにしたあと、門前へ放り出した。


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佐竹健
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