【エッセイ】武蔵(東京)③─上野公園の桜観察記録(『佐竹健のYouTube奮闘記(34)』)─
噴水のある広場から、桜並木のある大きな通路の前に来ていた。
つい2ヶ月前まで満開の花を咲き誇っていた桜木は、代わりに青葉を繁らせて黒い枝を彩っている。
「あ、そういえば、上野って桜の名所だったんだよね」
青葉の繁る桜木を見た私は、このことを思い出した。
お花見の動画を見てくれた人なら知っているとは思うが、知らない人のために説明しておこう。今もそうなのだが、上野は花見の名所として江戸時代から知られていた。
天海だか林羅山だったか忘れたが、奈良の吉野から移植したのがその始まりとされている。
春になると、たくさんの江戸っ子たちが、上野の桜を見に集まっていたのだとか。
江戸時代の花見は、現代のものよりもにぎやかだった。酒盛りはもちろんのこと、楽器の演奏をしたり、コスプレをしたりしていたのだとか。また、ちょっとした茶番も行われていたそう。江戸っ子たちにとって、上野の花見は一大イベントであったのだ。
だが、寛永寺には徳川歴代将軍の菩提寺である。それに寛永寺の住職は輪王寺宮と呼ばれる出家した皇族。桜を見るのは構わないが、バカ騒ぎを頻繁にされては困る。これがお上の考えだった。
バカ騒ぎをする庶民が、何かやらかさないよう、警備の役人を入れたり、桜を見る時間帯や飲食に制限を設けたりしていたそうだ。
(あの季節が、とても懐かしい)
暑くもなくて、寒くもない。そして動きやすくて、なんだかそわそわする季節。楽しかった春のことを私は思い出した。
※
2023年3月上旬。私はNikonのマゼンタのデジカメを持って、上野公園へとやってきた。桜が咲いていたためだ。
私はよく上野へ足を踏み入れているのだが、2月下旬のある日上野公園の散歩をしていたら、花が咲いていた桜の木を2本見つけた。品種を具体的に言えば、厳密に言えばシダレザクラとカンザクラだったか。
(お、桜が咲いてる! もう春だね)
そう思った私は、シダレザクラとカンザクラの花が五分咲きぐらいになるまで、しばらく待つことにした。
待つことにした理由は、このとき私は、春の特別企画の撮影を試みていたためだ。
前々から、今年も桜にまつわる動画を撮りたいなと思っていた。
昨年は、自転車に乗って桜を見ながら板橋本町から王子まで走った。今年もそんな感じでいいかな、と思っていた。が、これだけではつまらないな、ということで、桜についての解説動画を出すことにしたのだ。
このときの撮影秘話については、3回と10回で書いているので、詳しいことを知りたい方はそちらを読んでもらえるとうれしい。
話は3月初めに戻る。
シダレザクラだが、柳のように垂れた枝に、少しピンクがかった花が3分咲きぐらいに咲き誇っている。カンザクラの方は、シダレザクラとは対照的に白い花を咲かせていた。
(さて、動画の素材を撮ろうかな)
そう思い、私はカメラを起動して動画素材を撮った。
撮っている途中、観光客の話し声の中から、小鳥のかわいらしいさえずりが聞こえた。
鳴き声のする方向に視線を移すと、そこには鳥が2羽いて、花の咲いた枝と枝の間を鳴きながら小さな足で飛び移っていた。
(かわいい)
桜と鳥。かわいいとかわいいが組み合わさった、最高の組み合わせじゃないか。そう思った私は、小鳥のいる方にカメラを向けて、素材を撮影した。
3月中旬のおやつ時。
この日も私は、上野公園にいた。所用を済ませ、東京の周縁にある家、いや、諸事情あって次の避難所へ行こうとしていたときのことだった。
かつては寛永寺の参道であったと思われる大きな道を、私は歩いていく。
側にはいくつもの桜の木が植えられている。そしてその桜の木の枝には、今にも花を咲かせてやるくらいの勢いで蕾が膨らんでいる。また、近くには、観光協会や区の名の入った提灯がぶら下げられていた。
(もうすぐ桜の季節だねぇ)
冬が終わり、短い春が始まる。そう考えるだけでも、退屈な季節が終わるような気がして、少し楽しい気分になれた。
桜のつぼみを見ていると、白く、小さな花を咲かせた枝のある木を見つけた。
「あ、桜が咲いてる」
春が来ていた。これからどんどん咲いていく。2週間後くらいには満開になっているかな。満開になったら、清水観音堂や不忍池の桜を見よう。
厄年で嫌なことだらけの生活。そんな生活の中でも、一つの楽しみができた。発狂からの精神崩壊から、
(というわけで、記念撮影と)
私はカメラを取り出し、咲き始めた桜の写真を撮った。
ちなみにこの日は、東京で桜の開花が確認されたことを、夜スマホのニュースを見て後で知った。
3月の終わりの午後3時半ごろ。この日も私は上野公園にいた。
今日の上野散策は、帰るついでに桜を見て行こうということで、入谷から上野御徒町の駅まで散歩することにしたのだ。
大通りの桜は7分咲きか満開ぐらいに咲き誇っていた。
7分咲きか満開ぐらいに咲く桜を、観光客は自前のスマホやカメラで写真を撮っている。
その中で私は、普段愛用しているマゼンタ色のNikonのカメラを起動し、写真と動画に使うであろう素材を撮影した。
撮影した素材は、上野東照宮と五重塔、そして花が咲く桜の小枝だった。
上野東照宮と五重塔の素材を撮影したのは、作中で江戸時代のお花見の話をするためだ。上野公園にある江戸時代感あふれるものと聞いて、まず先に思いついたこともあるが。
ある程度必要になりそうな素材を撮ったあとは、公園の大通りや清水観音堂の桜を見ながら、不忍池方面を目指して歩いた。
清水観音堂の桜を見た後、不忍池へと向かった。
不忍池の桜は、例年通り、水面へと伸びる黒く細い枝に、きれいな白い花を咲かせていた。
ゆらりゆらりと小刻みに波打つ水面には、桜の花が映っている。
(やっぱり、ここに来ないと、上野の桜を見た気にはなれないね)
不忍池のほとりに咲く桜を見ながら、私は思った。
上野公園で桜が一番きれいな場所はどこ? と聞かれたら、迷わずに、
「不忍池」
と答えるだろう。
池の水面に映る桜が、とてもきれいなのだ。曇りの日は薄暗いせいか、影が強調される。そこに桜の白い花が映る様が、なんとも風流でいいなと思うのだ。もちろん、水面を目指して伸びる枝に咲く桜も、同じくらいきれいなのだが。
春風が吹くと、なおいい。風に揺れる桜の花を咲かせた枝が、風をうけて小刻みに揺れるさまが可愛らしくて趣深い。
あまりにきれいだったので、私は動画に使う素材として、不忍池の桜も撮った。
撮っていたときに、春風が吹いた。
わずかな春風は、花の咲く枝を揺らした。
(いい画が撮れた)
動画撮影を終えた私は、マゼンタ色のNikonのデジカメをウエストポーチにしまった。
この後は池の中にあった弁天堂にお参りしたり、屋台などを見たりしながら、帰途についた。
※
(桜の季節が懐かしいねぇ)
私はつい3ヵ月前の出来事を思い出して、懐かしい気持ちになった。
今年の春はいろいろあった。けれども、鬱にならずにここまで来れたのは、過ごしやすい気候と桜のおかげだった。この二つが無ければ、今年最初の厄災にやられ、再起不能になっていただろう。本当に春というのはいい季節だ。
同時に、私が最も嫌いな季節の、一番嫌な時期が近づこうとしている足音が聞こえるようで、辛い気分になった。今年は厄年。厄年なので、神はとびっきり暑くしてくるであろう。この暑さで今年も心と体がやられないかということを考えると、気が気でならない。
(数ヵ月後のことを考えていてもどうしようもない。とりあえず進もう)
私は目的地である上野東照宮へと足を進ませた。
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