家康は息子の信康を殺して、見事に成長してしまった
徳川家康が、執念深く武田に取られた領内の城を取り返すべく、がんばっていることで、武田勝頼はいらつき、家康の失脚を目指し、築山殿から跡取り息子の信康を武田方に寝返らせた、という。
築山殿、信康事件といわれる、この件が起こったのは1579年。
勝頼からすれば、家康はマジにうざい。信康が家康を追い落とすことができれば、勝頼は信長に対し大きな防衛ラインを築くことができる。
すでに信長は天下人の地位にあったが、各地で反乱の動きが相次ぎ、信長の目線でいえば、あのおとなしい家康の息子