デイビッド・リンチ監督 『エレファント・マン』 : 若きデイビッド・リンチの〈手堅い仕事〉
映画評:デイビッド・リンチ監督『エレファント・マン』
『ツイン・ピークス』『ブルー・ベルベッド』などで知られる、鬼才デイビッド・リンチの長編映画第2作で、実話を元にした作品ある。
この「あらすじ」からもわかるように、本作は、素直に見るならば「感動的なヒューマンドラマ」である。
そのグロテスクな姿形によって見せ物にされていた青年メリックを、医師のトリーブスが興行師から引き取って人間的な生活を与え、そうした人間的な生活と交流の中で、メリックは隠していた豊かな知性と人間性を徐々に示すようになり、人々も彼の素晴らしい人間性を知るようになる。一一という、大雑把に言えば「外見的偏見にとらわれない、人間性讃歌」の物語であり、映画としての物語的な捻りも多少は加えられていて、それなりによく出来てはいる。
だから、これを「表面だけを見て、差別する心こそが醜いよね」「人間って、やっぱり心だよ」と、素直にうけとって感動できる人にとっては、本作は単純に「感動作」である。
しかし、トリーブス医師も当初は「医師としての功名心」からメリックを保護し、学会での発表材料にしたという意味では見せ物興行師と大差なかった部分もあり、その後、有名になったメリックに群れよってきた「名士たち」もまた、功名心ゆえの接近に過ぎなかったのではないかとも言えて、彼らの「真意としての内面」を描かない本作は、ただ「人々に感謝して、静かに死んでいったメリック」によって、周囲の人たちの「功名心」や「打算」や「下心」も含めて、すべてを「美しい物語」へと封印してしまう構造となっている。
結局、メリックも含めて、登場人物の誰の「(生々しい)本音」も、この「実話」映画では示されず、鑑賞者の解釈に委ねられているのである。
そんなわけで、本作は「どのような視点から評価するか」によって、見え方が大きく変わる作品であり、どれか一つの評価が特権的に正しいとは言えないような作りになっているのだが、私個人は、本作を、デイビッド・リンチ作品として鑑賞した。そして、その観点からすれば、本稿のタイトルどおり、本作は「若きデイビッド・リンチの〈手堅い仕事〉」だということになるだろう。
本作は、モデルとなった実話の舞台であるイギリスで撮影が行われ、かの地の名優たちがキャスティングされて、良い演技をしている。一方、かの地に渡った若きデイビッド・リンチは「無名」に等しい異国の若手監督であり、リンチは、伝統と格式を誇る英国の名優たち、特に若きアンソニー・ホプキンスには、かなり手こずらかされたようだ。
リンチもかなり頑張って、自分の演出を通そうとしたようだが、でき上がった作品としては、「冒頭のイメージシーン」や「場面転換のカット」あるいは「工場内の描写」などの特定部分(つまり、名優たちが登場しないカット)を除くと、リンチ作品だと言われなければわからないほど、手堅くきれいに撮られている。リンチは、明暗の利いた画面作りが、じつに上手いのだ。
つまり、この作品では、リンチらしい「悪夢」も「狂気」も登場しない。
前述のとおり、その描かれない「本音」は別にしても、登場人物たちの性格描写は、じつにわかりやすく「高潔」だとか「俗物」「下劣」といった具合に類型的で、その「人物類型」からはみ出す、リンチらしい「了解不能」な部分が、本作には見られないのだ。
だから、リンチファンとしては、かなり物足りないし、すれっからしの映画鑑賞者なら、この作品の「絵に書いたような感動ストーリー」が鼻につきもするだろう。
だが、本作が、リンチの個性そのままの「デイヴィッド・リンチらしい作品」ではないとしても、例えば、リンチには後年の『ストレイト・ストーリー』に示されたような、意外なほどの「善意」への指向もあるのだから、本作『エレファント・マン』が、リンチにとって、まったく不本意な作品であったと考えるのも、間違いなのかもしれない。
リンチにはいつでも「昼間の表の世界」と「その裏側にひそむ、邪悪な闇の世界」が存在する。
本作の場合は、その前者だけを描いたとも言えるし、「光の世界」があるからこそ「陰の世界」があり、光が明るければ明るいほど、陰の世界の暗さもまた、いっそう増すことになるのではないだろうか。
それにしても、「陰の世界」を欠いた「光の世界」は、やはりどこか嘘くさくて、薄っぺらな印象は否み得なかった。
初出:2020年11月14日「Amazonレビュー」
(2021年10月15日、管理者により削除)
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