映画『ナワリヌイ』の衝撃 : プーチンが最も恐れた男
映画評:ダニエル・ロアー監督『ナワリヌイ』
ロシア大統領選挙に立候補したことのある反体制派の運動家で、毒を盛られて暗殺されかけたり、冤罪で何度も刑務所にぶち込まれた人物がいた、というくらいのことは、テレビニュースで知っていた。
だが、詳しいことは知らなかったし、その人物の名前も記憶していなかった。また、彼がその後どうなっているのかも全く知らず、このドキュメンタリー映画を観るまでは、「過去の人」として、ほぼ完全にその存在を忘却していたのだが、本作を見て、自分の無知と不明を、深く恥じなければならなかった。
あのニュースが語っていたことは、こうしたトンデモない話の一部分だったのかと、初めて全体像を知ることができたのである。
映画の冒頭、奥行きのある落ち着いた部屋の中で、着席した上半身のナワリヌイが、正面のカメラ(つまり、観客・視聴者)に向かって、リラックスした様子で話しかける。
しかし、そのあまりにも作り込まれた画面と、ナワリヌイ本人がイケメンであるため、まるで「映画」のワンシーンにしか見えない。「これはドキュメンタリー映画ではなく、俳優が演ずる伝記映画なのではないか?」と、つい疑ってしまったのだが、そうではない。
この冒頭のシーンで、フレームの外のインタビュアーが「もし殺されたら、ロシア国民に、どんなメッセージを遺す?」と質問すると、ナワリヌイは「それじゃあまるで、僕が殺された時のために撮ってるようにしか思えないから、今はそれに答えたくないな」というようなかたちで、回答を保留する。
予告編の中で紹介される、同じ質問への回答の言葉「簡単だよ〝諦めるな〟」は、後で撮られたものなのである。
ナワリヌイは、ロシア在住の弁護士であり反政府活動家だ。
なんら特権を持たない一市民である彼は、強大な絶対権力に立ち向かうために、youtubeやTwitter、TikTokなど、あらゆるメディアを駆使し、反プーチン勢力として手を組める相手なら、それが右翼グループであろうと、手を組むことを辞さない。
ロシアにおいて、体制転換を本気で考えるというのは、そうした覚悟がなければできないということであり、当然、協力者は国内に止まるものではなく、外国のマスコミやマスメディアとも協力関係を築いている。
一一あるいは、それに止まらず、本人は認めていないが、当然のことながら、外国の政府機関とも連携・協力していることだろう。
無論、それが明らかになれば、ナワリヌイは「西側のスパイ」呼ばわりされて、ロシア国民からの信用を失うから、今はそれを公然と認めるわけにはいかないのだろうが、ロシアの独裁体制を変えようと思えば、そのくらいのことを躊躇していられないというのは、当然だろうと思う。なにしろ、事は「命がけ」なのだ。
したがって、ここで大切なことは、ナワリヌイがロシアを変えるために「西側をも利用している」という理解であって、
彼が「西側から送り込まれている」ということを意味するわけではない、ということだ。そもそも、西側から送り込まれたスパイなら、ここまで危険に身をさらすわけがないではなないか。
だから逆に、そうした点で、仮にナワリヌイに西側の政府機関が協力しておろうと、それで彼が信用できないということにはならない。それは、当然の選択であって、そのことを責めるのは「ロシアの現体制派」だけだと断じても良いのである。
この映画のクライマックスは、ナワリヌイに対する「毒殺未遂事件」について『自ら調査チームを結成して真相究明に乗り出す』その経過と、その驚愕の結果である。
ロシア国内を飛行機で移動中だったナワリヌイが、機内で突然もがき苦しみだす。飛行機は緊急着陸して、彼は病院へと救急搬送される。彼に同行していた妻のユリア(経済学者)とスタッフは病院に同行し、ナワリヌイが病院で殺されるのを恐れて、治療の立会いを要求するが、病院側はこれに応じない。
そこで、ユリアは、病院側に、転院のための退院を要求するが、当初はこれに応じなかった病院側も、ドイツのメルケル首相が「要請があればいつでも受け入れるし、彼を救うための最高の治療の提供を約束する」とコメントするに至り、病院側は一転、ナワリヌイの転院を認める。
そして、ドイツの病院で治療を受けたナワリヌイの体からは、ロシア軍が化学兵器として研究開発した毒物「ノビチョク」が検出される。
ドイツでの治療とリハビリの後、ナワリヌイは、彼に協力を申し出たブルガリアのジャーナリストから提供された、毒殺未遂事件容疑者の情報を元に、そのジャーナリストを含めたスタッフで、独自に情報の裏付けと追加調査を進める。
そしてついに、容疑者たちの個人電話番号まで突き止めるに至って、容疑者たちに直接電話でのアタックを仕掛けることを決断する。確証を得るためには、それしか方法がなかったからだ。
ナワリヌイは、調べ上げた情報をもとに、実在のロシア政府側工作員になりすまして、容疑者たちに電話をかける。毒殺未遂容疑者たちは、この突然の電話に疑いを持ち、一言も発しないまま電話を切ったり、途中で話を誤魔化して電話を切るなどしたが、毒殺事件に絡んだ科学者に電話をしたところ、ついにこの人物から、当事者しか知り得ない、赤裸々な犯行の事実を聞き出すことに成功する。
このあたりが、まさに「スパイ映画」も斯くやというスリリングさなのだ。
作り物の映画にしては「うまく行きすぎ」なところも含めて、そこにはかえって、いわく言いがたいリアリティがあって、そこが衝撃的なのだ。「これは現実なのか」と。
なりすまし電話で犯行の供述を引き出した際の、ナワリヌイたちのリアクションのリアルさに、私たちは説得されざるを得ない。演技なら、こんな「ベタなリアクションにはならないだろう」と。
ナワリヌイが「毒物で殺されかけた」という報道が世界をかけめぐると、各国の記者たちは、プーチンにその事実をぶつけたが、プーチンは「その人物」「その反体制派の男」といった言い方で、ナワリヌイについて語る。その名が、口にする価値もないといった不遜な態度で、余裕綽々に「われわれが殺そうと思ったのであれば、彼がまだ生きているなんてことなど、あり得ないだろう」とまで言い放った。
この、プーチンの定例記者会見を視たナワリヌイは、この段階ではまだ公表していなかった「殺し屋の特定とその自供」の様子を撮った動画(この段階ではすでに、本作映画スタッフが入っている)を、世界に向けて一斉公開し、プーチンに対して、一歩ひかない決意を示す。
これに対しプーチンは、「CIAの謀略だ」「奴は西側のスパイだ」と、お得意の「陰謀論」で応えたのであった。
この映画では、ナワリヌイに「CIA」などとの協力関係があるとはしていない。そもそも「有る無し」に言及していないのだが、前記のとおり、そのくらいのことは、あって当然だと私は思う。
そもそも、この映画で描かれていることの多くは、疑えば、いくらでも疑うことができよう。
例えば、この映画の目玉である「毒殺実行犯」たちの特定やその後の直接電話といった「スパイ映画」さながらの展開も、「すべて作り話のお芝居」だという可能性もゼロではない、とは言えるだろう。
プーチンらが信用できないのは無論のことだが、ロシアの独裁体制を覆そうとしているナワリヌイらに「謀略的な背後関係」が、1パーセントも無く、完全に真っ白だ、とも信じられない。何しろ、プーチンを倒すためなら、右翼とでも組んで、国際的な評判を下げることも辞さないのだから。
だが、その一方、ナワリヌイへの毒殺未遂事件に関わった実行犯たちは、映画の中で何度も「顔写真や実名」まで晒されているのだから、これが「作り話」だとしたら、逆にその「嘘」をロシア政府側に暴かれ、墓穴を掘ることになる恐れだって十二分に高いわけで、ナワリヌイの側に、そんな無用のリスクを犯す蓋然性など、極めて低いとも言えよう。
現にロシア政府の側は、その後も「CIAの謀略だ」と言い募るばかりで、まったく具体的な反証を示せていないのだから、ナワリヌイの側がつきとめたことが、限りなく「真相に近い」と考えるのは、妥当な判断なのではないだろうか。
したがって、私は、この映画で語られたことを「鵜呑み」にはしないけれども、「信じるに値する情報」だと信じることにしたのである。
ナワリヌイが何者であろうと、あるいは仮に「毒殺未遂」事件が狂言であったとしても(その場合、ドイツ政府までがそれに加担したことになるが、そんなことがあり得るだろうか?)、それでも彼が、ずっと、いつ殺されてもおかしくない状況下にあったというのは、動かしがたい事実であり、それでも、あえてドイツからロシアへと帰って行き、そこで逮捕され、懲役9年の実刑判決を受けて、今も刑務所に入れられたままである(政治活動の大半が封じられている)という事実は、誰にも否定できない。
それでも、彼が「西側に雇われたスパイ」だなどということが、果たしてあり得るだろうか?
こんなリスクを冒すに値する「報酬」など、あり得るのだろうか?
そんな、およそあり得ない「陰謀論」を無理にでも信じるくらいなら、彼が「(愚かなまでに)恐れを知らぬ愛国者」だと考えた方が、よっぽど素直に飲み込める話なのではないだろうか。
ちなみに、彼の両親は、チェルノービリ(チェルノブイリ)発電所から、約10キロの場所で農民をしていたという。そして原発事故当時、ロシア政府から、被曝の危険性を伝えられないまま、農作業を続けさせられていたのだそうだ。
ともあれ、こんな命知らずなど、めったにいないし、彼の真似など誰にもできない。
しかし、こんな「命知らずの信念の人」が、稀に実在するというのは、歴史の証明するところでもあろう。
一一ならば私たちは、彼の力にはなれないまでも、彼のことを知るくらいの義務があるのではないだろうか。
ともあれ、本作は、トンデモなく「面白い」。それほどの「非現実的な現実」が、この映画では生々しく描かれているのだ。
だから、是非とも多くの人に、「この人を見よ!」と強くお勧めしたい。
(2022年8月6日)
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(2024年2月17日)
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