湯浅政明監督 『映像研には手を出すな!』 : 才能と才能の「出会いの奇跡」
テレビアニメ評:湯浅政明監督『映像研には手を出すな!』(全12話・2020年)
劇場版長編アニメなら『マインド・ゲーム』『夜は短し歩けよ乙女』『夜明け告げるルーのうた』『きみと、波にのれたら』『犬王』、テレビアニメのシリーズものなら『四畳半神話大系』『ピンポンTHE ANIMATION』、Webアニメなら『DEVILMAN crybaby』などの、傑作やヒット作で知られる、名匠・湯浅政明監督によるテレビアニメシリーズの傑作が、本作『映像研には手を出すな!』(原作:大童澄瞳)である。
これまで見た、湯浅政明監督作品の中では、『夜明け告げるルーのうた』、『DEVILMAN crybaby』に次いで、私の好きになった作品。
前の2作が、人間という生き物に対する「悲観」を前面に出した、いささか「重い」作品であるのに対し、本作はそうした側面をほとんど見せずに、ただただ「楽しく」進行していく、「楽しい作品」だ。
しかし、本作があくまでも湯浅政明監督の作品だというのは、その締めくくりのエピソードに、間接的ながらも、その「重い」個性が現れている点であろう。その意味で本作は、単に「明るく楽しい」だけの作品ではないのである。
だが、そのあたり(湯浅政明論)については、すでにこれまでのレビューでも論じているから、それをここでを繰り返すのはやめて、ここでは、本作の「明るく楽しい」部分を紹介して、多くの人に本作をお奨めすることに注力したい。
その上で、各人が本作の締めくくりが、いかに「湯浅政明的」なものであったかを考えていただければ幸いである。
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本作は、リベラルな校風で知られる「芝浜高校」に進学して自主制作アニメを作ろうとする、浅草みどり、金森さやか、水崎ツバメの、3人の女子高生の物語である。
浅草みどり(声 - 伊藤沙莉)は、
金森さやか(声 - 田村睦心)は、
水崎ツバメ(声 - 松岡美里)は、
つまり、メインとなる主人公の浅草みどり、通称「浅草氏」は、妄想癖のある「世界設定マニア」の「オタク」なのだが、そのべらんめえの口調には似合わない、対人関係が苦手な「小心者」である。
一方、すでに中学時代に浅草の友人となっていた金森さやか、通称「金森氏」は、シビアなリアリストで、浅草とは真逆な性格の持ち主である。
では、この二人がどうして友達になったのかというと、どちらも「個性派」であるがゆえに「普通の女子」たちには馴染めなかったからだ。
浅草は「入っていけなかった」のであり、金森は「入る気にもなれなかった」という違いはあるにしろ。
そんなわけで、二人はなんとなくいつも一緒にいるようになるのだが、友人の少ない浅草が金森と友達となったというのはわかるとしても、友達なんかいなくても一向に困りそうにない金森が、浅草と友達関係になったのかは、少なくともこのアニメ版では描かれていないので、ハッキリしたことはわからない。
金森に、どうしてと問えば、金森なら「浅草氏には、金のにおいがしたからっスよ」とでも答えるのだろうが、やはり、単純に浅草の「その非凡な才能を認めたから」ということではなく、浅草の中にある「損得を超えた熱意」に惹かれるものがあったのではないかと、私はそう見ている。
そして、その「熱意」が無駄にならないようにしてやりたいという「友情」が、金森の中にはあったのではないか。
そして、それが水崎ツバメ(通称「水崎氏」)という「新たの才能との出会い」によって、一気に花開いたというのが、この物語なのではないだろうか。
つまり、浅草も金森も、共に非凡な「才能」の持ち主だったけれども、二人だけでは、その「才能」を活かす道が開けなかった。
なにか「もう一つの要素」が必要だったのだが、それをもたらしたのが、「アニメーター」としての非凡な才能を持つ、水崎の登場だったのだ。
どんなに優れた才能があっても、その才能だけでは、開けない道というものがある。
例えば、私はこれまで、読書家として、アマチュア小説家や新人作家というものにも少なからず接する機会があったのだが、その中には「才能があるのに、続けられない」という人が、少なからず存在した。
作品だけを見れば一流なのに、それを書き続けていく意志に欠けて、途中でその道を捨ててしまうような非凡な才人の存在だ。
たしかに「続けていく意志」も「才能のうち」なのではあるが、しかしここに、金森のような「優れたプロデューサー」が存在しいていたなら、その人も寡作ながら良い作品を書き続けることもできたのではないだろうか。
言い換えれば、浅草や水崎にいくら非凡な才能があっても、金森との出会いがなければ、彼女たちは、その望みどおりに「高校でアニメを作る」というその夢を実現できず、夢に挫折して、その先へ進むこともできなかったのではないだろうか。
水崎の登場がなければ、浅草一人ではアニメを作れなかったというのは明らかだ。また、水崎の方では、人気俳優である両親が、娘にも俳優になることを望んでおり、アニメ部に入ることを認めていないという事情があった。
だから、それぞれがバラバラだったなら、浅草も水崎も、それぞれの夢を叶えることはできなかったのだ。
だが、ここに、自身では「創作になど興味のない」金森がいて、二人の才能を結びつけ、「アニメ部がダメなら、われわれで新たにアニメを作る部を設ければいいではないですか。お二人の才能をこのまま無駄にするのはもったいない。お二人には、金の匂いがする」と、その非凡な「交渉力」によって、学校と生徒会に、「映像研」の設立を認めさせてしまう。
同校にはすでに「アニメ研究会」が存在しており、学校側には「設立趣旨の同じ部は作れない」と建前があったのだが、金森は「映像作品全般を研究する部」という建前で新たな部の設立を認めさせ、「あとは良いアニメを作って既成事実としてしまえば、こっちのものですよ。アニメも映像作品のうちなのですから」という、老獪さと強引さを持って、後の「浮世離れした二人(浅草と水崎)」を、夢の実現に向けて引っ張っていくのである。
そんなわけで、最初は同好会扱いだった「映像研」も、各クラブ活動への学校側からの交付金を決めるための「活動(実績)報告会」に向けて、ギリギリのアニメ制作を始める。
オタクであるがゆえに、あらゆるところに凝ってしまい、制作進行が滞りがちの浅草と水崎を、金森は叱咤し威しつけながら、浅草や水崎にすれば「妥協に妥協を重ねながら」も、ついに作品を完成させる。
そして、その作品を「活動報告会」で発表し、その高校生とは思えないクオリティにおいて、学校側と、何かと注文をつけたがる生徒会を、有無を言わせずねじ伏せ、部への昇格まで勝ち取ってしまうのだ。
本作は、全12話で、シリーズの構成としては、3人の出会いと、この「活動報告会」での成功までを描くのが、第1話〜第4話。
コミティアなどをモデルにした同人作品即売会での作品販売を目指し、その前哨戦としての「学園祭」での新作発表をするまでの悪戦苦闘を描いたのが、第5話から第8話まで。
この学園祭での成功を経て、今度は、地元である「芝浜商店街」の依頼による「ご当地アニメ」を作ることになるのが、終盤の第9話から第12話となる。
一一そして、この最終盤に、とんでもない手違いが発生して、映像研の3人は絶体絶命のピンチに立たされるのだが、それをどのように乗り越えていくのか。そこに、この3人の成長が描かれるのである。
なお、最後に描かれるご当地アニメ「芝浜UFO大戦」のラストが、いかにも湯浅政明監督の作品らしい、どこか私が大好きな『夜明け告げるルーのうた』を思わせる「悲しみをたたえたリリシズム(抒情性)」があって、本作を単なる「明るく楽しい作品」以上のものにしている。
もちろん、「明るく楽しい作品」として楽しむだけでも十分な作品ではあるのだけれど、本作が原作マンガを越え出て「湯浅政明作品」である所以は、このあたりにあるという事実を、是非その目で、ご確認願いたい。
(2025年1月5日)
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