究極の贅沢「何もしない」を味わうのに最高な場所
初めての、そして最後のサウナは−30度の真冬のフィンランドだった。
フィンランドの中でもさらに北部、サンタクロース村の近くのお家へホームステイをしたのはかれこれ7年前。
そのお家にはサウナが完備されていて、体にじんわりと汗をかいたらサウナ室を出て目の前の雪景色へと裸でダイブした。
ふわふわの雪はしっとりと、確実に体を凍えさせるのだが、熱々になった体の温度差がたまらない。
日本でサウナには... そういえば入ったことはなかった。
岩盤浴や温泉には入るが、併設されているサウナ室のドアをなぜか開けようとはしなかった。
最近、旦那さんがサウナに入り始めた。
日本各地のサウナを巡るドラマを二人で観て、サウナ欲が高まっていたタイミング。
電車で1本で行けるサウナへと出かけていき、水風呂も満喫して無事に「ととのって」帰ってきた。
あまりに彼が「気持ちよかった〜」とにこにこしているのと、サウナを巡るドラマに洗脳されていたのとで、私もついに日本でサウナデビューしたのが先日のこと。
向かったのは、以前温泉のみ利用したことのある施設。
岩盤浴とセットにもできたが、今回はなしで。
温泉を楽しみ、いざサウナのお部屋へ。
異なる温度が楽しめるよう、3段になっている席のうち真ん中を選んで座る。
部屋の中にはテレビがあり、海外からの旅行者には体験型の観光が流行っているとか近いうちに気温が一気に上昇するとか言っていた。
数分経つと、あっという間に顔から、腕から、背中から粒状の汗が噴き出てきた。
汗まみれなのに、いやな感じじゃない、むしろもっと汗をかきたくなるような気持ちよさがあった。
1回目のサウナ後は水風呂へ、そして2回目と3回目は水風呂は入らずに屋外のベンチでぼんやりした。
私はこの「ベンチでぼんやり」がすごく気に入った。
大きめの日陰にすっぽり収まったベンチを選び、仰向けになる。
壺形の小ぶりのお風呂には3~4歳くらいの子供たちがお母さんと一緒に入っており、みんなではしゃぐ声が聞こえてくる。
見上げると絵の具で作ったような水色の空に白い雲がぽやぽやと浮かんでいる。
敷地内に植えてある植物は、まだまだ葉をつけるには季節が早いのか、細くて頼りない枝をのんびりと揺らしている。
だんだんと体の汗が引いてきて、肌がさらさらになる。
その表面を風がそよそよなぞっていく。
肌に触れるとひんやりとするのだが、鳥肌は不思議と立たず、ただ表面を滑っていくだけ。
時間は数分だったかもしれないし、数十分だったかもしれない。
サウナの後はもう一度お風呂に入り、着替えて旦那さんと合流した。
何もしない、贅沢な時間
帰宅後、各々のサウナの楽しみ方について喋っていると旦那さんが言った。
「サウナ、これからも行こうかな。家でゲームするよりもリフレッシュになるし、何もしないっていう贅沢な時間の過ごし方だと思う」
ゲームが悪い、と言っているわけではないことはわかりつつ、「贅沢な時間の過ごし方」は私も同意だった。
サウナやお風呂の場にはスマホは持って入れないから、「ながら」ができない。
熱々の部屋でじっくりと汗が噴き出ていく自分の体の変化と向き合う。
水風呂やベンチで過ごす「ととのう」時間を味わう。
「〜しながら〜する」が当たり前になり、今この状態「だけ」に集中して過ごすことが日常では少なくなっていることに気づく。
いや、サウナの一連の体験中でも、私はひんやりした風や枝の揺れを感じて考え、「さっきのお風呂、あとでもう一回入ろう〜」などと考えていたのでたった一つのことに集中していた、とは言えないかもしれない。
それでも「ネット」というデジタルな世界と自分を物理的に切り離し、自分のいる状況と自分の今の状態について考えたいように考えることができる時間は正しく「贅沢」だなと思う。
着替えた後の、お酢と冷凍フルーツの入った炭酸ドリンクはカラカラの喉を潤すのに最高だった。