ビーチではみんなクリエイティブになれる
朝、うぐいすが鳴いていた。鳴き声はまだ練習中のようで、「ほー」「ほ」「け」「きょ」の間にいろんな音が混ざっているのが可愛い。
去年は確か5月くらいには成熟した鳴き声が聞こえていた気がするので、それまで少しずつ上達していくのを耳で感じるのが楽しみだ。
3月のとある週末
分厚いコートとマフラーを止め、ジャケットを羽織って朝から海岸へ向かった。
1日あったかいという天気予報と、時間に縛られた予定がなかったので、久しぶりに海のそばへ行きたくなった。
電車でひょいと行けてしまう海の最寄り駅へ着くと、コンビニに寄ってドリンクを買う。
これは毎回の小さな楽しみで、今回はさくら風味の緑茶オレを購入した。
ビーチに着くと、数段のステップになっているところへリュックを下ろし腰かける。
緑茶オレにストローをさし、持ってきた本を開く。
前日の夜も寝る直前まで、歯磨きをしている時でさえページをめくり続けてしまうほどハマっている本を持ってきた。
座ったステップはコンクリート。土や砂利でざらざらしている。
直角に折れたひざには日差しが当たり、手を当てるとねこが喜んで寝てしまいそうな温度になっている。
ジョギングする男性、犬と一緒に散歩をする夫婦、子供の手を引いて歩く親、ビーチバレーをする若者...
背中の遠くからレストランでかかっているらしい洋楽が漂ってきている。
時々さくらのほんのり苦味を口の中に広げながら、本を読み進めていく。
誰にも干渉されないし、私も誰にも干渉しない、各々が各々のスタイルでだだっ広い空間を楽しんでいた。
だだっ広い、砂と水の空間
これってどれくらい、人の手が加えられると「いかにも人口的」な空間になってしまうのだろう。
数ヶ月前に来た時から、すでに色々な「便利」が追加されていた。
・自転車を止めるスタンド
・カフェ
・BBQのできるおしゃれなお店
なくてもなんとかなっていたが、あると助かる。
でもここに、靴の中に砂が入るのが嫌だと不満が出たからと言って、さらにコンクリートの道が道路から海岸ぎりぎりまで伸ばされたら?
海岸に沿って何十メートルも常設テントを建てたら?
ビーチという空間は、用途を限定されていないからこそ全員が「同じ」を求められない。だからこそお互いが違うことをして当たり前だし、干渉せずにいられる。
便利なものを増やすことは、時に人間の動きを人間そうと自覚しないように限定的にしてしまう。
そしてその動きは一律となり、違う動きをする人は「変な人」「場の空気を読めない人」になってしまう。
人間が頭をひねり創造力を使って創ったものが、他人の創造力を潰してしまうのは皮肉だなあと思う。
とはいえ海は何も悪くない。
この穏やかな休日と天気、空間に感謝しつつ本をめくった。