ダイヤのジャックの魂は忍び足で
オレンジとザクロの甘いジュースと卵黄1つ、最後にレモンジュースを少々。
材料全てが収まったシェーカーを、バーテンダーが目の前で躍らせる。リズミカルな音が響き渡った。
「ああ、久しぶりだなぁカクテルなんて。それも、プッシーフットなんて」
隣の席の銀髪の青年が、えくぼを見せて呟いた。
流浪する無名の芸術家集団の一員であるという彼は、近々、仲間と一緒に大都市のバルゼグラで大展覧会を開くらしい。どうやら展覧会が成功続きらしく、金に苦労している雰囲気は無い。
しかし、この豪華寝台列車のチケットをメンバー全員分購入するなんて、無名の芸術家集団にできるだろうか。怪しいと思ったが、もう少しこの青年と話したくなり、一杯奢ると申し出た。旅行中の面白い土産話を聞けるかもしれない。
「私もプッシーフットは久しぶりだ。子猫の足、とも言うね。後味が良いから、時々飲みたくなる」
「そうですね。アルコールが入っていないから、作品を作ってる時も安心して飲めます」
「移動中も、作品作りかね」
「ええ、皆しっかり最後まで作品作りに集中できるように、奮発してこんな高級列車のチケットを買ったんです。僕は、今休憩中」
にっと笑った青年は、両手を私に広げて見せる。両手には様々な色の絵の具が付いていた。
「洗っても、これ以上落ちないんです。特別なインクを使っているので」
「絵の具かと思ったよ。インクか。どんな作品を作っているんだい?」
「トランプのカードです。僕の身長くらいのサイズの。僕はいつも、ジャックのカードを担当しています。団員全員で、1組の巨大なトランプカードを作り上げるんです」
「お待たせしました。プッシーフットです」
バーテンダーが、私と青年の前にカクテルグラスを置いた。青年と乾杯して、飲む。トランプ。意外なワードが、頭の中を浮遊する。
「トランプ。そうか。面白いね。私も観てみたくなってきた」
「ふふ、ぜひ展覧会にいらしてください。今は、カードの枠を手直ししてまして。ダイヤのジャックは、いかさま好きの囚人なんです。だから、彼はあの手この手で僕を騙して、出てこようとする。困ったものです」
肘をつき、組んだ両手の甲の上に顎を乗せた青年は、ため息交じりに話す。独特の言い回しが引っかかる。
「出てくる?カードから?」
「ええ。僕たちは、カードに人の生の魂を入れて、作品に仕上げるのです。今回のダイヤのジャックの魂は、この前に滞在した街で出会った、プロの詐欺師の男性。一度も捕まったことが無いと自慢してたので、今回のダイヤのジャックの設定にぴったりだと思って、選んだんです。簡単に捕獲できて、拍子抜けしたのに」
ノンアルコールカクテルを美味しそうに飲む青年。私は、あるいは彼が、酔っているのだろうか。重厚感のある静かな列車内のバーに、似つかわしくない不穏な言葉が響く。
「……人を、トランプにしているということかい?」
「いえいえ、そんな怖い話じゃありませんよ。魂だけ頂いて、殻は生きたまま、丁重にお返しします。魂が、重要なのです。魂が入ったトランプにこそ、人間は魅せられる。素晴らしい演奏も、演技も、人形も、同じでしょ」
青年の明るく人懐っこい笑顔に、背筋が寒くなった。
「そろそろ戻らなくちゃ。脱獄されてしまうかも。ごちそうさまです。美味しかった。きっとまた、展覧会でお会いしましょう」
青年は残り少ないカクテルを飲み干し、静かにバーから出ていった。