通勤訓練日誌その5(産業医面談)
通勤訓練も5日目。2日目から特段違和感は感じずに来れていたけれど、今日は少し緊張気味。
というのも、今日は職場のオフィスで産業医と面談があるから。
今日の午前中は主治医(心療内科)に通院だったため、通勤訓練の状況を報告。初日だけ吐き気等の違和感があったものの、2日目以降は大丈夫、という話で、基本的に緊張からくるものだろうとのことで結論づけられ、おそらく4月からはフルでいいんじゃない?という雑な感じ。
いつもこんな感じなのだけど、産業医面談ということもあって、朝から吐き気、動悸が割と顔を出していて、お腹もぐるぐるいってる感じ。
脳内では自分を鼓舞したいのか、職場のメンバーができないこと(楽器やキャリコンとしての理論とか大学の話とかとにかくマウンティングできるものすべて)がエピソードや妄想で駆け巡る。痛々しいことこの上ない。
診断はさくっと終わり、パートナーも午後出社だったので、一緒に一駅歩いていったん帰宅。めっきり春らしくなって、遊歩道沿いは気の早い桜が咲き出していたり、春休みに入った子供達が遊ぶ声が聞こえたりで平和そのもの。歩いている間に緊張がほぐれ、平常心というか自分を客観視できるぐらいには落ち着いた。
脳内の妄想も、とにかく自分が怯えていることがわかったし、怖いのも当然だから、と思うと自然と薄まっていったように思う(油断したらすぐに出るけど)。
これが完全になくなるのは無理だろうし、たぶん一歩前に進むことで少しずつ打ち消していく(=自分に自信を持たせていく)もんなんじゃないかと思う。だから、今日も勇気を出す日。
サッポロ一番塩ラーメンにコーンとワカメとバターぶち込んだ簡易でジャンキーな昼食を済ませていざ「出勤」
いつも通りの喫茶店に入る前に、トイレに行ったら、カウンターパートの先輩とばったり。向こうは気づいていなかったけど、あえて声をかけて少し話すことで緊張もほぐれ、ようやく出勤完了。
あとは3時間弱、読書やネットサーフィンで時間を潰すだけ・・・。
産業医の面談はかつて自分がアドバイザーとして接客をしていたブース。やすみはじめてから、そこまで踏み込むのは初めてなので、どうなることやら・・・と思うものの、一連の出来事を考えれば多少緊張ぐらいで行けそうな気はする。
プライバシー的にはもうちょい配慮欲しいところだと思うけど、まぁ復職できるなら来いよってことだと思うので、来れること自体が1つハードルなのだと思うので無理せず時間になったらいこうと思う。
産業医とのやりとりはたぶん知りたい人もいると思うので、あとで記事書くかなんかする予定。
<こっから脳内妄想と自己解析のぐだぐだした文章>
非常に気持ち悪いのだけど、脳内の俺TUEEEEEE系の妄想はわりとよく降りてくる。自発的にというより、気づいたらその世界にいるので、本当に気持ち悪い。
子供の頃からそうだったし、未だにそうだというのはなんか救い難いものを感じるけれど、いい機会なので文章にして公に晒そうと思う。供養みたいなもんだと思う。
内容を考察するのは精神崩壊を引き起こす(というか考察するほど内容はない)ので、もう一段抽象的になぜそういった妄想が降りてくるかを考えた。
上述したとおり、自分を守りたいんだと、そう思う。
いったいなにから自分のなにをまもりたいのか、という話になる。
なにを、という部分で考えると、プライドとか体裁とか体面とかそういうものだと思う。
なにから、という部分で考えれば、周りからどう思われているかの被害妄想に近い部分であろう。
話はそれるけれど、パートナーはこの辺りが本当に強い。周りからどう思われるかより自分がどう思うかを100%優先して行動ができる。だから私が休んでる間、通院には毎回午前休で着いてきてくれるし、早めに帰ることも多い。
なぜそうできる人とできない人がいるのか、すごく不思議だし、なんなら不公平に感じる。
もちろん人の機微により敏感なのは私かもしれないが(そしてアドバイザーとしてはその方が成果が上がるとしても)、人生が窮屈になる強みなど要らないとなんども思ってきた。
アダルトチルドレンのところで何度も振り返ってきたけれど、他人の目を気にして生きてきた人生は30年弱に及ぶ。それをいきなり方向転換することはやっぱりできない。でも、いつまでも気にし続けるのもシャクだし、なにより応急処置というか処方薬みたいな手当ては欲しい。
だから、そういう妄想が降ってきたときは自分に対してあやしてあげるようにしようと思う(これもすごい気持ち悪いw)。小さな子供がぐずっているときのように、んー?どしたー?と。とにかく無条件にいったんよしよししてあげて、それからなにが自分を傷つけると思っているのか考える。そして「それは実際に傷つけているのか?まだだとしたら、蓋然性は?何よりそれは回避・コントロール可能なのか?」を考える。だいたいこの3つだとどれかがNOだから、そうなったらそこで考えるのをやめる。
パートナーがいる場合は口に出してこんなことを今怖がっていると言う。言ったら、だいたいしょうもないことだということに自分で気づくことが多いから。
それでも不安な気分やもやもやは晴れないと思うけれど、あくまで処方薬でしかないということだから、あとは長い目で自分の中の子供と向き合っていくしかない。
30年間見て見ぬ振りをしてきた自分をちゃんと可愛がってあげる必要があるので、それなりに時間がかかるのだと構えるしかないので。
供養の代わりに書きなぐり。以上!
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