どんな気持ちで空を見たいか。
雲を見る。
青く綺麗な空に雲。
青と白のコントラストは、私の大好物。
でもそんな大好物には
「なんだろな探し」がある。
いや別にもともとこんな名前がついていたわけではありません。
勝手に、しかも、今つけちゃった…。
でもみんなこれよくやると思うなぁ。
空を見上げて、雲を眺める。
その時雲が何かの形に見えることがある。
動物だったりハートなどの形だったり
色んな何かに見えたりする。
探し始めると、これが結構様々なものに見えてくる。
私はこの「なんだろな探し」が昔から好きだった。
大人になってからも時々やっている。
相変わらず、子供のままだ。
けれどこの楽しみは無理にやめる必要はないと思っている。
自分が自然と楽しめることの一つだし、何よりも
想像力が高まる感じがして気分がいい。
だから探し始めると夢中になってやっている。
上を見過ぎてひっくり返りそうになったこともある。
因みに子供のころではなく、大人になってからもだ。
こんななので、夫は私を「危険人物」とみなしている。
そんな私も、その大好物をできなくなった時期がある。
あの頃は、仕事による慢性的な疲れと毎日極度の緊張
自分の成果に対する焦りと不安で押し潰されそうだった。
心と身体が悲鳴をあげていた。
精神的に追い詰められていた。
食欲もなかった。
仕事が夢中にまで追いかけてきて、私に仕事をさせる。
日々休まることのないそのストレスに
私は心身共に疲れ果てていた。
大好物である「空を見上げる」ことすらも
いつしか頭から消えていた。
大好物だって、そんな精神状態では頭から追い出される。
むしろそういう時は大切な事ほど、ぽろぽろとこぼれ落ちて
しまうのかもしれない。
私はその大好物を完全に忘れ去ってしまっていた。
楽しむ心を、捨ててしまったのだ。
その後とうとう自分に限界がきて、自らその職場を辞めた。
すると徐々に感覚が戻ってきたのか
自然と空を見上げることが多くなっていった。
そしてまた私は青い空の中に探し始めていた。
大好物、完全復活。
人はどんなに大好物のものでも精神が崩壊していると
どうやら無理らしい。
ちゃんと入れたつもりでもこぼれたり
ちゃんと置いたつもりでも崩れたり
そういう時は、自分ではどうにもできないみたいだ。
私は空を見なくなったら要注意なんだな。
空の中何もに探さなくなったら、風が強い日の雲みたいに
自分自身が簡単に消えかかっているという印なのかもしれない。
空を見上げて雲の中に何かを探している時の自分は
いつもの自分なのかもしれない。
そして、雲を見る時どんな気持ちで見ているかによって
それが全然違う可能性もある。
もし空を見上げても何も探さなくなっていたら
自分の中で何かがおかしいサイン。
空を見上げることすら忘れてしまった時は
もっとまずいサインだ。
雲の中に何かを探している時って
実は元気な証拠なんだなぁ。
自分が幸せじゃない時はいくら探したところで
何も見つかってはくれなさそうだ。
だって、心が健康じゃないから。
健康じゃない状態で探しても全く気付かないと思う。
どんな状態で見るかによって、それは全く変わってしまうのだろう。
小さなことに気付くことができるのは元気な証拠だ。
どんな些細な事にも気付けるよう元気でありたいと思う。
じゃないと幸せ感度が下がっちゃって
もったいないもんね。
さて今日も
空を見上げるとしよう。
何か見つかると
いいな。
ではまた。