価値観に偽物が混ざる。
以前、「こうじゃなきゃ」についての記事を書きました。
でも「こうあるべき」というのも
なかなかしんどいようです。
「こうじゃなきゃ」は自分の考えが
まだ少しは含まれている感じがしたけれど、
「こうであるべき」は、完全に自分じゃない偽物が存在している
気がしてならないのです。
無理してそう思い込もうとしているような…
頑張ってそう考えようとしているような…
少しきつい縛りな感じがします。
縄でギュッと捕らえられているような、そんなイメージ。
これでは自分の意識とはちょっと違いますよね。
でも、こっちの方がすぐ溶けて混ざりやすい。
混ざると溶けやすいのかな?
正義みたいな顔して混ざってくる。
みんなも「正しいと評判の正義が来たぞ」と歓迎する。
本当にそうなのでしょうか?
こうして歓迎された偽物と本来の自分の価値観が混ざって
よくわからないものになる。
そして偽物はそのまま住み着いて、なかなか出ていかない。
繁殖するに心地いいのだろう。
そうしてそのうち偽物の価値観が自分の価値観となり
ゆっくりと自分自身が乗っ取られる。
気づかないくらいにとてもゆっくりじっくりと。
もちろん私も日々周りの影響を受けて、毎日生活しています。
誰でもそうだと思います。
けれど、時々ちょっとした違和感や不具合を感じる時があります。
誰かと話していたり周りを見たり聞いたりした時に
私の中で少しばかり何かが反応するんです。
自分ではそれが何という感情なのかはわからないけれど
小さな波が起こる。
「偽物」の波だ。
静かな水面にほんの少し波が立つ。
そこに浮かんだ小さな小さな船が揺れる。
これはなんなのか。
最初はそれが何を表しているのか気になって
突き止めたかったけど、
やめました。
多分それを突き止めて名前をつけた所で
それが重要じゃない気がしたから。
でもその感情を突き止める以上に大事なことは
やめませんでした。
それは、その波を「見なかったことにしない」ということ。
そこに小さな小さな船が浮かんでいる以上は
どんな波でもちゃんと知っておくこと。
どんな時に波がきたのか。
どのくらいの波なのか。
まだ波は収まっていないのか。
私はじっと波を観察する。
その浮かんでいる小さな船の中に
自分の大切にしているものが積まれているかのように
しっかりと観察する。
小さな波では収まらず、もし大きな波がきそうなら
すっと逃げること。
転覆したら大変だもの。
だってその船の中には
自分のにとって大切なものが積まれているから。
日々の忙しさとストレスで
この波の見張りを怠っている人は
多いのではないでしょうか。
でも、転覆なんてしたらさぁ大変です。
小さな波のうちに見つけておけば
少しは早く対応できそうです。
偽物が混じって自分のものが何なのかわからなくなる前に
小さな波でも警戒する。
もし転覆する可能性があるならば
早めに移動しちゃいましょう。
そしてぷかぷかと
のんびり浮かんでいましょうよ。
穏やかな水面に浮かぶのは
気持ちいいものです。
ではまた。