おばあちゃんには敵わないや。
私には今年97歳になる祖母がいる。
祖母は実家で父と母と暮らしているので
今は一緒には住んでいない。
私が家を出るまでは一緒に暮らしていた。
祖母は共働きで忙しい両親の代わりに兄と私の面倒を見てくれていた。
母が夜勤の時は特に忙しかったと思う。
家事全てに加え私たち二人の面倒を見るのだ。
兄とは四歳離れていたが小さい子供二人の相手は大変だったと思う。
だから幼い頃は、特に私はいつも祖母にべったりだった。
この食べ物が好きだと言えば、すごい量を作ってくれた。
それで飽きちゃうこともあったが、それがとても嬉しかった。
あとは、祖母は自分の持っている物や人から何かもらった物でも
「いい物あげるからおいで」と言って
私に色んなものをくれようとした。
小さい頃はそれが申し訳ないとかそういう気持ちが
あまりよくわからなかったので、可愛かったり綺麗なものを見ると
「おばあちゃんありがとう。」と言ってそのまま貰っていたものだ。
差し出されれば、何でもかんでも貰っていたんじゃないだろうか。
困った子どもだったなぁと思う。
そんな私も大きくなるにつれ今度は反対に
祖母へプレゼントするようになった。
学生のうちはそこまでお金もないのでお誕生日や敬老の日に
何か少し送る程度だったかもしれない。
その後実家を離れて一人暮らしをするようになると
すぐに「実家」の有り難みがわかった。
甘えていたこと。
守られていたこと。
何一つ自分だけではできないという現実。
家を出て色んなことを感じたのを思い出す。
家族と離れたことで、その頃は特に祖母の事がより一層
気になるようになっていった。
なので就職して給料をもらえるようになると
少しずつではあるものの
家族に恩返しのようなものをしたくなった。
そんな私は帰省する度に特に祖母へ
何かしらプレゼントを買って帰るようになっていた。
お土産の定番である甘い物や祖母の好きなお漬け物。
他にはその地域ならではの独特なものだったり
とにかく好きそうものを見つけてはお土産に買って帰った。
お土産を渡すと祖母はとても喜んで明るい表情になった。
私はそんな祖母を見るのが嬉しくて
またいい物があったらお土産にしよう、といつも楽しみにしていた。
しかし、その祖母も80代後半になると
徐々に言動がおかしくなっていった。
急激に酷くはならないものの、やはりもう歳だ。
もちろん認知機能の低下は避けられない。
いわゆる認知症の始まりだったと思う。
母も私もそういったことには慣れていた為、特に慌てることもなかった。
身体についてはそこまで問題はないが調子の波があったりするので
感情をそのままぶつけてくる時は少し困ったが
介護としてはまだまだ楽な方だったと思う。
しかしそうはいっても私は離れて暮らしている為
ずっと面倒を見ている母にすれば大変なことである。
私もできる限り長期で帰省出来そうな時には時間を作って実家へ帰り
帰省中の間は基本的にはほぼ全て私が祖母の面倒をみるというスタイルで
母に気分転換をしてもらっていた。
数年前に実家に帰省した時にこんなことがあった。
私は祖母にいつも通りお土産を買って帰った。
その時のお土産は、祖母の好きな食べ物と和柄のポーチだった。
祖母はこういった小物が大好きなのだ。
和柄が好きだったので、和柄のポーチを選んだ。
これならとても気に入りそうだと思い
私は祖母の喜んだ顔を期待していた。
案の定祖母はそのポーチを気に入ったようで「ありがとう」と喜んだ。
祖母の笑顔を見ることができて、私はとても嬉しかった。
そして祖母は失くさないようにと、そのポーチをすぐに
自分の部屋へ持って行った。
少し時間が経った後のことだ。
すぐに部屋から戻ってこない祖母が気になり少し様子を見に行こうかと
思っていたら、ちょうど祖母が戻ってきた。
その右手には何か小さな物を持っている。
そして私の傍へ来てこう言った。
「この小物入れ、ねじりにあげるから持ってけ~」
私に差し出されたのは、さっき私が祖母にあげたばかりの
あの和柄のポーチだった。
「何かあげたくて探してたらこれが部屋にあった。ほら、綺麗だ~。
これあげるから持ってけ~」
祖母は、忘れていた。
さっき私があげたばかりのポーチのことを、完全に忘れていたのだ。
祖母が部屋に戻ってから10分も経っていない話だ。
もちろんこういったことは日常的にある事なので慣れっこだった
はずなのだが……。
さすがに少し驚いて、心がチクッとした…してしまった。
こんな事は全然当たり前のことだし、しょうがないこと。
ただ、少しだけ、淋しくなってしまった。
けれど私の中で、すぐに気持ちの変化が訪れた。
もちろんチクッとしたのは本当だ。
しかしその後すぐに嬉しい気持ちになったのも、本当。
その理由は、祖母がそのポーチを気に入ってくれていることが
よくわかったから。
先程言った通り祖母は、自分のお気に入りの物でもなんでも
祖母自身が素敵だと思ったものをとにかく私にすぐ与えようとした。
可愛くないとか綺麗じゃないとかお洒落じゃないとか
祖母がそう感じた物を私に勧めてきたことは、一切なかった。
もちろん祖母と私の好みがぴったり一致しているわけではないので
そういったズレは多少あったが、それでも祖母自身が良いと思うもの
だけをいつも私にあげようとしてくれていた。
昔ずっと一緒に住んでいたので、それはよくわかっているつもりだ。
だからだ。
祖母が私に勧めてきたということは
私があげたそのポーチを祖母は「気に入った」ということなのだ。
嬉しかった。ものすごく嬉しかった。
傍から見ればもしかすると
「ついさっきプレゼントした物を忘れられ、逆にそれを返されそうに
なっている可哀想な孫」
という図になっているのかもしれない。
もちろんそういうことが起こる事を理解していた私でも
実際にされると少しは淋しい気持ちになってしまうことも
まだまだ全然ある。
しかし残念ながら、それは当たり前の出来事なのだ。
わかってはいるつもりでも、時には淋しさを感じてしまう。
けれど今回はそんな淋しさはすぐに消え去り
嬉しさの圧勝ということになった…。
その時の私は、根本にある祖母の優しさに救われたのだと思っている。
忘れられてしまうことは淋しいけれど、このプレゼントというものは
それをわかっていて私がプレゼントしたくて勝手に渡した物なのだ。
自分の勝手な自己満足であり私が祖母の笑顔を見たかっただけなのだ。
そう考えたらもう既に私は祖母から「ありがとう」という言葉と共に
祖母の素敵な笑顔をもらっていたわけだ。
もう十分過ぎるだろう。これは贅沢な話だと思った。
これ以上私は何を望むというのか…。
祖母はにこにこしながら私にそのポーチを勧めてきた。
私は「ありがとう」と言って、言葉を続けた。
「すごく素敵だけど、これはおばあちゃんの大好きな和柄だよ。
私よりおばあちゃんの方がとっても似合うと思うからそのまま
持っててほしいな。」
すると祖母は、あら、いいの?といった様子で
「ありがとうね。これ本当はすごくいいと思った。そんなら
じゃあ使おうかね。」
そう言って祖母はまた素敵な笑顔でまたポーチをしげしげと見ていた。
あの時チクッとした心は、とっくに幸せな気持ちに変わっていた。
どうやら私のチクッとした心は祖母の大きな優しさによって
すぐに癒されたらしい。
そもそも期待なんてしていないと強がっていた自分に対して
ものすごく恥ずかしくなった部分はあるが
そんなことすらもいつの間にか消えていたみたいだ。
本当は気に入ってくれてたんだ…よかったぁ。
ついついにやけてしまう。
これも期待しちゃいけないとわかってはいるが
あの時の私は、それはそれで、本当に嬉しかったから。
結局喜ばせてもらったのは
私だったというわけか。
恐るべし、おばあちゃん。
まだまだ大先輩には
敵わないみたいです。
嬉しかったよ。本当にありがとう。
大好きなおばあちゃん。
ではまた。
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