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2020年2月分のエントリまとめ

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2020年2月のエントリをまとめたマガジン。当月公開記事の有料部分が全て読めるのに加えて、ツイキャス過去録画の視聴パスも入ったお得なセットです。視聴パスが使えるツイキャス放送の内…
2020年2月の(ほぼ毎日更新する)エントリをまとめたもの。記事の有料部分は全て読める上、当月公開…
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記事一覧

言葉に「色」をつけること

言葉に「色」をつけること

 というわけで月が変わりましたので、マガジンも更新となります。1月の諸エントリを読んで面白いと思われた方や、「ちょっと気になっていた」という方などには、今月の全記事の有料部分がまとめて読めて、ツイキャスの録画視聴パスもついたお得なセットになりますので、ご購読の検討をいただければ幸いです。

 なお、先月のマガジンは以下になります。限定公開にしたエントリもいくつかありますが、もちろんご購読いただいた

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「文字通り」で「直接的」な世界

「文字通り」で「直接的」な世界

「いまは裸婦像というと『裸→エロい→性的興味の対象→悪い』というような理解が一般的になって、作品化されることによる抽象化や、『性欲そのままのもの』と『性欲が昇華されたもの』の区別といった感覚もなくなってしまった」
「あらゆることについて両義性や多義性は好まれないようになり、すべてに『文字通り』が求められるようになった」

 こうした意見を目にしながら、やはりこれも以前のエントリで述べたSNS時代の

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時には楽しい「対話」のために

時には楽しい「対話」のために

「ネット上の『議論』や『対話』にあまり意義を感じられない(あるいは、様々な経験を通じて感じられなくなった)」という話をしている人たちを見かけて、「たしかに気持ちはわかるなあ」と頷くなどした。

 ひとくちに「議論」と言っても、その内実は当然ながら色々なのだけど、少なくとも建前としては、それは「相手を『やっつけよう』とするためのものではなくて、むしろ互いに敬意を払いつつ、論題に関する意見を交換し、参

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まだ誰かが、「理不尽に宥してくれる」かもしれないから

まだ誰かが、「理不尽に宥してくれる」かもしれないから

 告知のとおり、フキさんとのコラボキャスを催行。当初に予定していた話とは異なる、思わぬ方向にトークの内容は転がっていったのだが、コメントにもあったように、まさに人間の「実存」の核心にふれるところまで議論が深まって、私にとっては本当に貴重な対話の時間となった。

(※録画視聴パスは2月1日の記事もしくはマガジンより取得できます。)

 対談の録画は公開保留中なので、上掲は私の振り返りキャスだけれども

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メシを減らして、とにかく走る

メシを減らして、とにかく走る

 さいきん私の周囲では多くの人が高い意識をもってダイエットに励んでおり、ゆえに様々なカロリー制限の方法論や効率的な運動の仕方についての議論などが流れてくる。そういうのを見ると食事や生活習慣を複雑にすることの苦手な私は(もちろん皮肉ではなく心から)「すごいなあ」と思ってしまうのだが、向いていないことをやっても続かないのは経験的にわかっているので、結局のところいつものシンプルな解決策に戻ってしまう。要

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言葉が遮る「ありのまま」

言葉が遮る「ありのまま」

 以前にちょっと別のところで書いたこともあるのだが、私はある種のワークショップなどでは不可欠のものである、「あなたが感じたことをそのまま飾らず、ありのままに皆さんの前で語ってみてください」的な時間がものすごく苦手である。「感じたこと」は定義により「感覚」なのであるから言語ではないし、それを「語って」みよというのであれば、望むと望まざるとにかかわらず、その際に脚色が入りこむことは避けられない。

 

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「原罪」とキャスの希望

「原罪」とキャスの希望

 聖闘士パコランディウス師こと、さむさんとツイキャス。聖書の、とくにパウロの書簡における女性の扱いが、現代のキリスト教においてはどのように理解されているのか、ということに関する問いからはじまった話だったのだが、専門家らしいガチな学問的観点から丁寧な解説をいただけることになり、私としてもたいへん勉強になる時間であった。

(※録画視聴パスは2月1日の記事もしくはマガジンより取得できます。)

 個人

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なにしろとてもさみしいから

なにしろとてもさみしいから

 2月3日夜に行ったフキさんとのコラボキャスだが、対談録画の公開ができることになったので、通例のとおりパス付きで視聴可能としておいた。

(※録画視聴パスは2月1日の記事もしくはマガジンより取得できます。)

 対談の内容については上掲の過去エントリでも簡単に述べてあるが、具体的な話は様々に出たにせよ、それらを通じて「実存」に関わる本質的な問題として浮かび上がってきたことは、「ものすごく他者から承

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心を事実から守るために、「純粋」になる人たちのこと

心を事実から守るために、「純粋」になる人たちのこと

 世界に存在する普遍的な「差別」や「暴力性」の問題一般について、単に知的刺激やマウンティングのためではなく、自身もその構造に加担する者の一人として深く本気で悩んでいる人というのは日本語インターネットの世界にもそれなりにいるもので、そういう方々を見かけたり話したりするたびに、「本当に高潔な人だなあ」と心から思っている。

 ただ、同時にそれは「人間」の力では及ばないこと、つまりは個人の振る舞いでどう

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グルーミングがにゃんともホテップ

グルーミングがにゃんともホテップ

 これはちょっと恥ずかしい話なのだが、生まれつきの性質に関することなので是非の問題ではなく事実の記述として書いておくと、私は「ただ他人と会話をするということが、それ自体として楽しいとか癒やしになるという感覚」が、どうもよくわからない。もちろん、他者との会話がとにかく嫌だという話ではなくて、「内容の如何はとりあえず措くとして、人と話をすることはそれ自体として基本的には楽しいし、癒やされることでしょう

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あくまで「私のよかったこと」を

あくまで「私のよかったこと」を

 これはあまりにもよかったので、つい鍵垢からRTさせてもらったツイートなのだけど、本当にぐっときましたね。こういう「詩を作るつもりなんてまるでないのに、吐いた言葉が勝手に詩になっていた」みたいな文章は大好きです。

 私はもともと、自分はそれなりにやってきたものの、他人に瞑想を勧めるということについては長いあいだ消極的で、それは「瞑想というのは機縁があればやる人は勝手にやるものだし、準備ができてい

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私たちが最も恥じなければいけないこと

私たちが最も恥じなければいけないこと

 昨日わりと「きれいめ」のエントリを書いておいてアレなのだが、たまたまツイッターで流れてきた以下の記事を見て、また暗澹たる気分になってしまった。

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「時のなりあひ」と「現実教」

「時のなりあひ」と「現実教」

 昨日と一昨日のエントリの「トーン」の違いを改めて見ると、やはり私にとって最も関心のあるところというのは、「彼岸と此岸のあいだ」や「絶対と相対のあわい」、あるいは敢えて仏教用語を使って言い換えるなら、「心真如門と心生滅門の汽水域」とでも表現しておくべき領域なのであろうと思う。

 某先生が鈴木大拙や清沢満之といった近代日本の仏教者たちの思想について、「彼らにとっては絶対無分別の宗教的世界と相対分別

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そろそろ「ガス欠」注意モードに

そろそろ「ガス欠」注意モードに

 ツイッターでこのように言っていただいて、とても嬉しかったのだけど、同時に「これはちょっと困ったなあ」とも思っている。もちろん、言っていただいたことが外れているからではなくて、むしろよく当たっているからである。

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