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言葉に「色」をつけること

 というわけで月が変わりましたので、マガジンも更新となります。1月の諸エントリを読んで面白いと思われた方や、「ちょっと気になっていた」という方などには、今月の全記事の有料部分がまとめて読めて、ツイキャスの録画視聴パスもついたお得なセットになりますので、ご購読の検討をいただければ幸いです。

 なお、先月のマガジンは以下になります。限定公開にしたエントリもいくつかありますが、もちろんご購読いただいた方々には、以前と変わりなくお読みいただけます。


 さて、昨日はちょっと文章をほめていただいたのですが、私がものを書く上でいつも考えているのは「言葉に色をつけたい」ということで、これはまあその日の調子によってできることもあればできないこともあります。

 ただ、この場合の「色」というのは、眼に入ってくる反射光を通じて認識される感性的なそれではない。もちろん、一部のまとめサイトのように文字に色をつけたいということではないので、これは当然の話なのですが、世の中には読んでいると描写されているカラフルな情景が、本当に頭に浮かぶような気分にさせてくれる文章の書き手もいますよね。たとえば紀行文の名手などには、そういう人が多い。私が言っているのは、そういう意味での「色をつけたい」でもありません。

 何を言っているのかさっぱりわからないかもしれませんが、私が書きたいのは、私たちが通常の現実生活をする上で当たり前に見ているような様々な色が脳裏に浮かんでくるような文章ではなくて、普通に生きていたら捉えられないようなものがただの言葉の連なりから浮かび上がってきて、でもそれをどう把握しておけばいいのかわからないから、その直観を「色」とでも名付けておくほかないような、そんな文章です。読み終わったら、「なんというか……なんかとにかく赤かった」とか、そんなふうに言っておくしかないようなもの。

 たとえば、これは私だけかもしれませんが、服なんかでも、本当に図抜けて素敵だと感じられるようなものは、「この色がいい」とか「この形がいい」とか、そういう「具体的にいい個々の部分」を指摘するのが難しかったり(私は)します。服なんて(いわゆる「着心地」のことをとりあえず措いておくなら)詮ずるところ「色」と「形」で評価するしかないものであるはずなのですが、圧倒的なものにはそうした感性的な側面を超えて、ほとんど「知的直観」に近いような了解を、見る者に直接的に与えるような存在感がある。既成の評価の文脈からして「この色と形だからよい」と言えるようなものではなくて、「よい」ということの新しい意味がそれによって発見されるようなものであり、ただ「この服はこうでなければいけなかった」と、嘆息するしかないようなものです。

 ……と、こんなふうに言語化してみると、私の作文上の理想というのは、「その日の調子によってできることもあればできないこともあ」るようなものではとてもないですね。そんなものがじっさい書けたと(自分で)思うのは、本当に数えるほどしかなかったことです。でも、稀にですがそういうことはないでもないので、今後も少しばかりでも私の書くものに「色」が宿ることを願いながら、毎日の試みを続けてゆきたいと思います。


※以下の有料エリアには、今月配信するツイキャス放送録画の視聴パスを、投銭いただいた方への「おまけ」として記載しています。このパスで視聴可能な動画URLは、配信があるたびに、順次以下に追記してゆく予定です。

フキさんとの対談(承認されたいという思いと、それに伴う不安について)
雑談(コラボ振り返り、「原罪」の感覚と男の「責任」など)
パコランディウス師との対談-1(事前説明)
パコ師との対談-2(聖書と女性、「日本の国体」と「解放の神学」など)
わとりんさんとの対談(VRChatの楽しさと孤独、その性的な多様性など)
雑談(修羅の街Tokyo、踏みにじられたフェミニズム)
パコランディウス師との対談(正教の教理、独裁官と映画語りなど)
雑談(現代的な育児の困難、自尊心と男性の義務)

 2月のツイキャス過去録画視聴パスが記されているのは本エントリのみであり、今月の他のエントリには有料部分にもパスの記載はございませんのでご注意くださいませ。

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