なにしろとてもさみしいから
2月3日夜に行ったフキさんとのコラボキャスだが、対談録画の公開ができることになったので、通例のとおりパス付きで視聴可能としておいた。
(※録画視聴パスは2月1日の記事もしくはマガジンより取得できます。)
対談の内容については上掲の過去エントリでも簡単に述べてあるが、具体的な話は様々に出たにせよ、それらを通じて「実存」に関わる本質的な問題として浮かび上がってきたことは、「ものすごく他者から承認されたいのだけど、ありのままの自分がそれを享受することには不安を感じるし、なによりそんなことが自分に起きるとはとても信じられない」という、一部の人々にとってはお馴染みの「気分」である。
こうした「気分」が「存在することそのものへのかすかな後ろめたさ」におそらくは根差すものであり、敢えて言えば「原罪」の感覚にも繋がり得るものであるということは、上の過去記事でも述べたとおりだ。そういう意味で、今回の対談キャスの内容は、単なる一女性の感覚の吐露ということだけにはとどまらない、普遍的な射程を有しているように思う。
なにしろ私たちは根源的にさみしいから、できれば他人からの承認を得たいと願うのは自然なことなのだけど、それがどうしても叶わない状況にあるのであれば、他にできることは「人でないものに承認してもらう」か、「承認への欲求自体を手放す」か、「無理にでもまず自分が承認する側になる」かのどれかだろう。
そのうちのどの道を選ぶにしても、いずれにせよ主観的にはわりと苦しいプロセスをたどる可能性は大いにあるのだが、それでも現状のままでいることのほうがもっと苦しいと感じるなら、なんとか這ってでも先に向かって進むしかない。
私としては、現状が苦しい時に(言うまでもないことだが、とくに現状を苦しいと感じていないのであれば、もちろんそれはそれでよいのである)それを変えようとして様々に足掻いてみることは、どんな人にとってもどんな場合でも(そして、そうした個々の試みがたとえ徒労に終わったとしても)究極的には無駄にはならないと信仰している。だから、そうした精進を人知れず今日も続けている人たちに対しては、こちらもひそかに、応援を続けたいと思うのである。
(※以下は購読者向けに、女性の「もやもや」に関する具体的なコメント)
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