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あくまで「私のよかったこと」を

 これはあまりにもよかったので、つい鍵垢からRTさせてもらったツイートなのだけど、本当にぐっときましたね。こういう「詩を作るつもりなんてまるでないのに、吐いた言葉が勝手に詩になっていた」みたいな文章は大好きです。

 私はもともと、自分はそれなりにやってきたものの、他人に瞑想を勧めるということについては長いあいだ消極的で、それは「瞑想というのは機縁があればやる人は勝手にやるものだし、準備ができていない人が無理にやっても、たいていは長続きしないものだ」と思っていたからですね。

 この考え方については(色々と実情を見てきた経験によるものなので)いまでも基本的には変わっていません。『悟らなくたって、いいじゃないか』でも強調したとおり、「瞑想難民」の問題も実際に起きていましたし、適切でない関わり方をすることで、それなりのリスクを生じる可能性もあるのが瞑想実践であるということを、強く意識していたということもあります。

 ただ、最近は『感じて、ゆるす仏教』で宣言したとおり、仕事の内容も仏教とは直接の関わりのないものがほとんどになってきましたし、「自分がやってきて、こういうことはとてもよかった」という話を、自分のnote記事でするくらいならばいいのかな、という気になっています。もちろん、上述のとおり「リスク」は様々にある話なので、実際に自分でもやってみたいという方々に対しては、上掲の諸著を読むなり信頼できる先生につくなりして、よくよく注意しつつ自己責任で、という留保をつけさせていただくことにはなりますが。

 昨年末に出した上掲のエントリなどはそうした「瞑想について私のよかったこと」を(かなり)率直に記述したものですが、本質的な話はこの記事も含めて、こちらのマガジンに入っている瞑想関係のエントリでだいたい語り尽くしてしまったような気がするので、新たに内容的に付け加えたいことはさほどにありません。

 とはいえ、冒頭に引用させてもらったような瞑想に対する熱い志に久しぶりにふれてみると、かつて『自由への旅』を(出版のあてなんて当時はまるでなかったのに)黙々と訳していた時の感覚を想起させられてしまったというのも事実であって、やはり今後も細々と、瞑想に関する言及は折にふれてひっそりとやってゆきたいなあと、改めて思ったことでした。

(※以下は、もう少し正直な話。)

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