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若木もゆっくりと旅をする。ー『旅をする木』を読んで
自然好きが昂じて秩父に木を植えてます。仕事は広告、趣味はキャンプ,ランニング,フットサル,読書,バーの店長です。
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毎夏、日焼け止めを塗る努力をする。
でも毎年9月以降の僕は結局こんがりしている。
ただ、今年の日焼けは訳が違う。毎年の如く炎天下で走り回ったせいではない。
リモートワークの恩恵だ。使える時間が増えたから、昼休みや就業前の時間、公園で本を読むのが習慣になった。
▼縄張り
もう一つ新たな習慣の話をすると、これからは、発信を習慣化していくことにした。人の目に触れて初めて、価値が生まれることがあると、少しずつ学んだからだ。公園で何冊か読んだから、手始めに今一番共有したい事から書くことにした。
人生の面白みは、積極的に生きることにこそあるのかもしれない ——— 。
そうシンプルに感じられたのが、星野道夫「旅をする木」を読んでいる時だった。
▼10冊だけ残して他の本捨てろ!と言われても絶対残す本
星野さんは、写真家としてアラスカで愛する大自然を求め、命を燃やした人だ。厳しい自然にしかない景色や風を噛み締めて生きた星野さんの表現には、華やかさの対極にあるが、実直である、その魅力が色濃く滲み出ていた。
作中に僕の胸の深い所に残って、これからの生き方に長く影響しそうな表現がある。
鮮烈に残る艶やかさは無くても、自分の深くまで沁み渡り、たとえ脳裏に浮かぶ風景は精緻でなくても、思い起こされる度深く心を動かす様な経験を、同書の中で星野さんは「沈殿する」と繰り返し書いていた。
今まで、幸せにもいくつか種類があると、漠然と感じることはあった。世間の道理で、何が幸せか?という問いに、正しいと理屈では納得することもあった。しかし、胸の奥に一切の曇りなく「そうだな」と思う経験は多くなかった。
お金を払うと、貴重な経験を五感を通して、様々に楽しむことが出来るのが今の世の中だ。
では、人生の節目を迎える度に自分を支え、繰り返し豊かさをくれる経験は何か?そう思うと、生きるための手段であるはずの時間やお金の使い道に、急に自信が持てなくなった。
それでも、少しずつ時間とお金の使い方に迷う中で、段々と見えてきたものがあった。
たとえば、その一つはランニングだった。
物思いに耽りながら、苦しい一歩を毎回増やすことで生き物としての限界を広げられる、自分のペースで無理のない成長と達成に幸福感を感じられる趣味——。苦しい分、幸せも共に感じる、生きることをシンプルに表すような、自然な営みだ。(今は村上春樹の「走ることについて語る時に僕の語ること」を笑いながら読んでいます。)
荒川区在住の僕の定番のランニングコースは、荒川の土手だ。川沿いにはスクラップ場やゴミ処理場があって、川も綺麗とは言えないから、独特の臭いがする。寒々とした青白い電灯がいつも土手の復路を照らしている。
秋が駆け寄ってきた冷え込みと、ゴミ処理場の臭いから、僕は昨冬の冒険感に駆られた。たどたどしいビジネス英語で、米国に出張した時の、無理のある冒険だった。当時の僕には多少荷が重くもあったが、上長の胸を借りて辿り着けた貴重な経験だ。その経験は今、僕の中で明確に、大人になって初めての冒険として、根付いている。走りと仕事の苦しさ、荒川とシカゴ川、青白い電灯と12月のミシガンの寒空が重なった。
▼トランプタワー鎮座 シカゴ川沿い
シカゴの思い出は「その時は鮮やかに、けれども次第に溶けて消えていく」ということもなく僕の中にたしかに沈殿して、ランニング中の五感を通し心の中を舞った。
この経験は、僕の年次の低さに構わず仕事を任せてくれた上長と、連携した部署の先輩方、得意先のお陰で出来た貴重な経験だった。こんな風に、苦しくても自分だからこそ出来ること、周りも豊かな気持ちになれる経験を自分の中にどんどんと沈殿させていきたいと思った。そんな経験を与えられる人になりたいとも思った。
僕が読んだ、第6刷の「旅をする木」のあとがきは池澤夏樹さんという人が書いている。池澤さんは、星野さんの人生を、同書の題にもなっているトウヒの木になぞらえている。
▼アラスカのトウヒの木 ©NATIONAL GEOGRAPHIC
アラスカのトウヒの木は川沿いの湿った地に種を落とし、芽吹き、根を張り大きくなるが、春の雪解けの洪水で根こそぎ流される。しかし、木の旅は続いていく。
木はユーコン川からベーリング海へ流され、ツンドラの浜辺に落ち着く。木の生えないツンドラに珍しいトウヒの木は、キツネの棲み処となり、猟師が寄ってくる。貴重な燃料として、木は少しずつ薪となり、人を温め、煙となる。空気中の何某になって、トウヒはまた、他の木の中に取り込まれる——。
「結果ではなく、過程が大事だ。」とよく目にするが、今までのどの経験より、この本を読むことで、そう言われ続ける事の意義が分かった気がする。
形や大きさ、居場所に在り続ける長さではなく、キツネを抱き、人を温める生き方。自分の価値観を持ち、人を思い遣って、自分だから出来る生き方を貫き、走りぬく人生。
シカゴを思い出したランニングで感じた事がもう一つあった。人生の幸せとは、万華鏡のようなものではないか、ということだ。「沈殿する」かけがえの無い想いで、ふと自分の人生を振り返るとき鮮やかに心が彩られていれば、誇るべき旅になる気がするのだ。
人が現世も後世もそんな旅をするには、想い合うことが何より必要なことだと思う。素敵な人たちに想われて生きる、想って幸せになる人生はなんと豊かなものだろう。
自分なりの形で、積極的で豊かに生きるために、まず発信を始めてみようと思った。これからも読んで、何か想ってくれると嬉しいです🌳