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『博士号のとり方――学生と指導教官のための実践ハンドブック』の書籍紹介
『博士号のとり方――学生と指導教官のための実践ハンドブック』とは〜博士号という学位の本質〜
博士号とは、特定分野でオリジナルな知的貢献ができる能力を証明する学位である。かつて博士号は限られた人のみが目指す“敷居の高い”資格というイメージが強かったが、高度情報化社会の進展とともに、世界中のあらゆる分野で博士号取得者への需要が高まりつつある。
国内外を問わず、多くの企業・大学・研究機関で「博士号所持者の採用枠」「博士研究員(ポスドク)の受け入れ」が増え、社会人学生や留学生の割合が著しく伸びていることも、その変化を裏づけている。
こうした背景の中、世界的ベストセラーとして高い評価を受けているのがE.M. Phillips and D.S. Pughによる著書『博士号のとり方――学生と指導教官のための実践ハンドブック』である。本書はタイトルが示すとおり、「博士号のとり方」をその考え方から具体的な実践まで網羅的に解説している。
博士課程の心理的ハードルを下げる
指導教員とのコミュニケーションを改善する
研究の計画から口頭審査までのプロセスをシステマティックに捉える
これらを「技術マニュアル」を超えた包括的視点で提示している点が大きな特徴である。英国を舞台にしたケースが中心ではあるが、日本を含む世界7言語に翻訳され、あらゆる国と地域の研究者コミュニティから支持を得ている。その普遍性は、どの分野・どの国の博士課程にも共通する課題――すなわち「孤立」「ストレス」「経済的負担」「指導教員との連携不足」など――を、本書が構造的かつ実践的にカバーしていることに起因する。
博士号取得を考えている学生や、既に博士課程に在籍している若手研究者、そして学生を指導する立場にある教員にとって必携ともいえる一冊である。
博士課程へのステップ:入学要件・研究計画・指導教員の選び方
■博士課程の入学要件と事前準備
博士課程への道筋は、国や大学によって異なるものの、修士号(もしくはこれに準ずる研究実績)が一般的な前提条件とされる。
加えて、入学試験や研究計画書の提出、面接、推薦状などが求められるケースも多い。英語圏の大学であればIELTSやTOEFLのスコア、場合によってはGRE/GMATなど標準化テストの結果を添える必要もある。
日本の文部科学省の調査によれば、博士後期課程在籍者数は年々増加傾向にあり、現在は約7万5千人(2018年度時点)規模に達している。
修士課程から進学する場合はもちろん、社会人経験を経て博士課程に入る人も増えている。大学院によっては社会人入試や推薦制度を設け、働きながら学ぶ学生への柔軟なサポートを行なっている。
■研究環境の選定―通信制やパートタイムの可能性
研究分野や研究スタイルによっては、通信教育を受け付けている大学院や、週末・夜間のプログラムを実施している機関もある。
ただし、研究という性質上、実験設備や学内でのディスカッションの場が必要な場合、フルタイムでキャンパスに滞在できる体制が望ましいのも現実である。留学生や社会人学生が増えているため、多くの機関がインターネットを活用したリモート指導やハイブリッド形式の授業を導入しているが、論文執筆や口頭試問直前の追い込み時期などは、フルタイムで取り組まざるを得ない局面が少なくない。
■指導教員を選ぶ4つの基準
本書で特に強調されているのが、指導教員選びの重要性である。著者は次の4つの観点から、候補となる指導教員を慎重に見極めるようアドバイスしている。
最近、論文を活発に執筆しているか
最先端の研究に携わっている指導教員は、学生にとって刺激的であり、研究のモチベーション維持につながる。
研究室は効率的に運営されているか
研究費や設備、学生サポート体制が整っていない環境では、博士論文の進行が遅れる可能性がある。
研究助成を受けているか
外部資金やプロジェクトに参加している指導教員ほど、ネットワークが広く、有益な共同研究の機会も得やすい。
国内外の学会に呼ばれているか
学会発表の招待講演やキーノートスピーカーを務めるほどの研究者であれば、学生の論文が国際的に認知されるサポートも期待できる。
これらを踏まえ、自分の研究テーマと指導教員の専門領域が合致するか、またはどの程度の指導を期待するかを考え合わせることが大切である。本書によると、入学後の数か月以内に指導教員と意見が合わずに苦しむ例は少なくなく、むしろ「事前の情報収集不足」が原因というケースが多いという。入学前に論文や学会発表を確認し、まずはメールやオンライン面談で率直な意見交換をしておくことが望ましい。
指導教員とのコミュニケーションと“育てる”視点
■ミスマッチを防ぐための初期コンタクトと協議事項
博士課程の期間は通常3〜5年ほどに及ぶが、実質的にはそれ以上の時間をかけて学位取得を目指すケースもある。その間、学生と指導教員は“一対一”に近い関係で長く協働するため、初期の段階での認識共有が極めて重要となる。
初回ミーティングのポイント
研究テーマの方向性や成果物の目標設定
研究の進捗管理方法(ミーティングの頻度、報告形式など)
コミュニケーションの手段(メール、チャット、対面など)
お互いが期待することの明文化(本書では「期待値のすり合わせ」が要とされる)
本書では、ミーティングのたびに「前回合意した内容」「進捗報告」「フィードバックへの回答」「次回ミーティングの日時調整」を行うフレームワークが紹介されている。これらを習慣化し、あらかじめ議題を共有しておけば、時間を効率的に使えるだけでなく、研究活動の質が高まりやすい。
■指導教員を「育てる」ための具体策
興味深いのは、本書が「学生の側から指導教員を育てる必要がある」と言及している点である。これは、「教員がすべてを指示してくれる」と受け身になっているだけでは博士号取得に必要な自立した研究能力が身につかない、という厳然たる事実に基づく。
指導教員“育成”のメリット
研究のイニシアチブが学生自身へと移る
教員が提供していなかった情報や視点を学生から積極的に発信できる
「報告先」ではなく「議論のパートナー」として指導教員を巻き込むことで、より深い学術的発展が期待できる
たとえば、自分の研究の専門誌に掲載された最新論文を率先して教員に情報共有したり、学会発表のアイデアを打診したりすることで、指導教員側も学生の成長を実感しやすくなる。研究では想定外の問題が日常茶飯事的に起こるが、学生側が進んで提案を行うことで「指導教員と学生が共に学び合う」対話的な関係が構築できる。
研究の進め方と論文執筆:効率的スキル・スケジュール管理・執筆術
■先行研究レビューの目的と戦略的アプローチ
博士論文において、先行研究レビューは不可欠な要素である。本書が強調するのは、「ただの文献要約」ではなく「独自の視点を持った批判的評価」が必要だという点である。先行研究を丹念に読み解き、その中から不足点や問題点を指摘できるかが“プロの研究者としての第一歩”であると著者は述べる。
先行研究レビューで重視するポイント
研究分野の背景を的確に掴んでいるか
既存の研究手法・結果を批判的に評価できているか
自身の研究がどの部分で新しい貢献を行なうのか明確か
一貫した論理の流れで整理されているか
「プロとしての視点」とは、他の実践者・研究者が興味を抱くような論点を提示できることである。単なる情報収集に終わらず、研究の潮流や課題を見極め、そこに自分の研究を位置づける――この作業が博士課程を通じて習得すべきスキルでもある。
■研究技法の習得とオリジナリティの出し方
研究を円滑に進めるためには、最初の段階で自分の分野の“お手本”となる論文を複数選び、どのようなスキル・テクニックを用いているかを体系的に把握するのが望ましいという。研究スキルは“やりながら”覚える職人的性質を伴うため、少しでも早くプロの研究者の実例を参照することが大切である。
オリジナリティの概念
未発表のデータや視点を提示する
先行研究を新しい方法で統合する
既知の材料に新しい解釈を加える
他国や他地域で行われた研究を自国の文脈に適用する
既存の研究手法を別の分野に展開する
研究の複数分野の橋渡しを行う
博士課程では実験・アンケート・フィールドリサーチなど方法は多岐にわたるが、いずれの場合も「自分が考案した手法」や「従来の研究者が見落としていたアプローチ」をきちんと示すことが、学位取得の条件にもなる。
■ライティング工程サイクルとリライトの重要性
論文執筆は、単に一度書けば終わりではなく、「書く→しばらく寝かせる→第三者のフィードバックを得る→リライトする」という工程の繰り返しで完成度を高めていく。
本書では「週に2〜5時間、必ず執筆にあてる」習慣をつけることを推奨している。
書きにくい章に固執せず、「書きやすいところから書き始める」アプローチも有効だと強調する。
文章をしばらく寝かせて「客観視」したり、他人に読んでもらって曖昧な箇所を指摘してもらうことで、論理の飛躍や表現の不備に気づきやすくなる。学術誌論文に投稿する場合も、まずはターゲットとなる雑誌が求めるレベルとフォーマットを把握し、すでに掲載されている優れた論文を研究することが近道であると著者は説く。
口頭審査から博士号取得後のキャリアまで:実践的な準備と活かし方
■口頭試問(口頭審査)の事前対策
博士号取得の最終関門として待ち受けるのが、口頭試問あるいは口頭審査と呼ばれるプロセスである。審査委員(内部・外部)の前で自分の研究内容を説明し、質疑応答に応える必要がある。
事前準備のポイント
よくある質問と想定回答をリストアップ
論文全体のサマリーを体系的に作成
指摘されそうな弱点やデータの限界を洗い出しておく
模擬口頭試問を複数回行う
想定外の質問にも柔軟に対応できるよう、研究分野全般の知識をアップデートしておく
審査委員の立場に立ってみれば、最も重視するのは「この研究は本当にオリジナルな貢献をしているか」「博士研究者として必要な水準の知識と視野を持っているか」の2点である。加えて、研究手法やデータの妥当性にも厳しい目が向けられるため、数値やグラフ、引用文献を再点検し、どのような批判に対しても最低限は回答できるようにしておくのが得策である。
■博士課程学生の時間配分とストレスマネジメント
本書では、博士課程学生が研究に費やすべき時間の目安として「週40時間程度」を推奨している。
もちろん、分野によっては実験やフィールドワークの都合でさらに多くの時間を要する場合もあるが、少なくともフルタイム就業と同等の労力を覚悟しておくべきである。
研究の孤立感や長期的プレッシャーに耐えかねてドロップアウトする学生もいるため、以下のような対策も著者は勧めている。
定期的に研究仲間と進捗を共有し合う
指導教員以外のメンターを見つける
適度な運動やレジャーを取り入れ、オン・オフを切り替える
カウンセリング制度や相談機関の利用をためらわない
■博士号取得後の展望・キャリア構築
博士号を取得した後の進路としては、ポストドクター(いわゆるポスドク)として大学や研究機関でさらに研究を続ける道が典型であるが、近年は企業の研究開発部門やデータサイエンティスト、コンサルティング業界など、多彩なフィールドで博士号取得者が求められている。
AI・IoT・ビッグデータなどの先端領域では特に高度な研究能力が評価される一方、人文社会科学系でも専門知識を活かした政策立案やNPO、国際機関でのリサーチ職などが期待されている。
本書では、指導教員や学内だけでなく、学外の研究者コミュニティとも積極的に交流しておくことが、修了後のキャリアパスを広げる鍵だと説く。
学会発表や共同プロジェクトに参加することで、論文のクオリティを高めるだけでなく、自分の専門分野を超えた横断的なつながりが増えるというメリットもあるからだ。
【記事のまとめ:3つの重要ポイント】
博士号の意義を正しく理解する
オリジナルな知的貢献を証明する学位としての博士号は、世界的なキャリアにもつながる重要なステップである。
指導教員と学生の相互協力体制が成功の鍵
事前の情報収集、定期的なミーティング、学生からの積極的な働きかけが、博士課程の成果を大きく左右する。
研究計画・執筆・審査まで、一貫したプロセス管理が不可欠
先行研究レビュー、ライティング工程、口頭審査対策などを体系的に行い、着実に進めることで博士号取得の可能性が高まる。
まとめ
本書『博士号のとり方――学生と指導教官のための実践ハンドブック』は、博士課程における入学準備から研究計画、指導教員とのコミュニケーション、論文執筆、そして口頭審査に至るまでのプロセスを網羅的に解説する実践ガイドである。
世界7言語に翻訳され、増え続ける留学生や社会人学生を含む幅広い研究者層に活用されている点が、その汎用性を物語っている。
博士号取得という“長期戦”において鍵となるのは、指導教員との良好な関係と、継続的な研究・執筆の習慣づくり、そして孤立を防ぐためのネットワーク活用である。
これらのポイントを体系化した本書は、まさに「学生と指導教官にとっての必携書」といえるだろう。
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