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エッセイ、その他

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『だって…』

『だって…』

 僕の描く数かずのフィクション作内には「死」がある。
 必ずと言っていいほど、死者がいる。では、死が話の題材、もしくは中核なのか――。これもまた違う。

「死とは何か」。それを問いかけるよう、意図したことはあるような、ないような…

 ここはハッキリしない。

 そう、ハッキリしない程度に意識しているだけなのかも。死と表裏にある「生」を題材に話を展開しているわけでもない。

 なんだか混乱してきた

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『スルー・レイワ』

『スルー・レイワ』

 2023年、元号にして令和5年がもうすぐ終わる。

 そして次の一幕、6年へと、時間は絶えず進む。後ろに戻ることなく、かといって、よそ見をすることもなく、秒針は右へ、右へと進む。

 「あのころ」--。それがいつなのかは、人のかずだけ、想起する時代があるハズだ。同時に「当時」に抱いた感情も異なってくる。

 それは恋や愛、友情、怒り、喜びなど、自分史のなかでも印象的な1ページから引き出すものは多

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『灯せよ、光』

『灯せよ、光』

 「良識」とは何か--。ぼくがぼくなりに、その核心に迫るきっかけとなったのは、皮肉なことに、大震災だった。

 「令和6年能登半島地震」。2024年1月1日に発生した、大災害は、石川県はもとより、北陸地方や他の地域に打撃を与えた。

 ぼくは12月31日には実家に戻っていた。
 例年どおり、次の日、元日は昼過ぎまでダラダラ寝ていた。

 起こした母の声は切迫していた。

 「今大変なことになってい

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『過去の音に導かれて』

『過去の音に導かれて』

 「ババア」

 そう呼んでいたのは、高校1〜2年生のころだ。深い意図はない。徐々に母を拒絶するようになり、干渉を避けるために用いた言葉だ。

 もう気づいていた――暴言には抑止力があるのだと。

 同時に、申し訳なさも感じていた。吐き捨てた暴言の数だけ、後悔があった。しかし、反省している自分を見せると、母はぼくの「バリア」を破る。そう怖れ、赤裸々な姿は見せなかった。

 心と言葉を連動させると、

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『ぼくとルーツと今』

『ぼくとルーツと今』

 三十余年の人生を反芻(すう)するーー。紆余(うよ)曲折な生き方をしている・いたように思える。踏み込もう。

学生時代 非行少年ではなかった。ただ、周りに不良が多かった。特に中学生のころだ。

 具体的には?

 ーー剣道部の木刀が全て盗まれる。先輩や同級生がそれらを持って、他校に乗り込む、といった具合に、過激な非行を目の当たりにするのがつねだった。

 ぼく自身はどこかシラけた目で眺めていた。

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『プラトニックな浮気』

『プラトニックな浮気』

 これまでで一番本気な恋愛は、プラトニックな「不倫」だった気がする。

 今から4年ほど前の話。

 かの女には旦那がいた(今も婚姻生活が続いているかは分からない。かの女と連絡をとっていないので)。

 それを分かっていた。

 相手もぼくも。その上で、互いへの好意がーー不倫をしているという、背徳感に近いものからなのかーー日に日に増していった気がした。

 前の話なのにその記憶は鮮明だ。

 かの

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『朝になる前に』

『朝になる前に』

 眠れない空に起きている。

 夢のような、現実のような、なんともいえない感覚だ。アンビバレントで骨格がない感じ。今置かれている精神状況だ。

 ぼくは無神論者で「人間の魂の浮遊」といったたぐいの話は、信じない。なのに、だ。魂がどこかへと、さまよわないよう、言い聞かせている気分。

 なんなのだろう。

 たまにあった気がする。けれども、初めてな気もする。どっちつかず。起きたら、感覚がどうたらと、

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『時の滴』

『時の滴』

 静かな退屈をしのいで今日を終え、明日を迎える。

 これが入院時の「お決まり」の時間の流れに思える。ぼくはベテラン患者。何度入院したのかーー回数がどうでもよくなるくらい多い。それだけの多さ、とだけ認識してほしい。

 きっと、外は騒々しいだろう。そういえば昨日は、甲子園で慶應附属高校が優勝して、盛り上がっていたとかなんとか。

 きっと、スタバに行けば、夏休みの宿題をギリギリに終わらせる、学生の

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『想像を越えた日常』

『想像を越えた日常』

 日常が「フィクション」化しているように思える。ここ数年を経て、フィクション化された日常を過ごしている--つくり話が当たり前になりつつあるのだ。

 具体的には何か--。

 例えば、想像すらしていなかった、殺人事件。想像を越えたの世界が現実となっているのだ。それが当たり前になりつつある。

 日常とフィクション、想像世界の線引きが曖昧になっている。

 --想像の世界で起こり得る悪いことは、特に

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『周縁の記憶』

『周縁の記憶』

①「横浜市の天国と地獄」戦後の混乱期に、ひと際謎に包まれた「伝説の娼婦」と称される女性が、そこにはいた。神奈川県横浜市、伊勢崎町や黄金町で、戦後の50年間を娼婦として、生涯を終えた、ひとりの女性ーー「メリーさん」。

 「『天国と地獄ね……』。ある時、メリーさんがそう呟いた。横浜の小高い丘に広がる富裕層が住む山手と、その麓にひしめく浮浪者街、そんな対極の地を見たときのことである。映画『天国と地獄』

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『朝に凍結』

『朝に凍結』

午前10時ごろ、「オイオイ、ウソだろ?」と内心で、焦りの声を上げていた。

 どうしたかーー。Twitterのアカウント凍結。「いいね」は見れる。正常。「フォロー・フォロワー」は0に。違和感。「DMを送ろうとしてもダメ」。一時的なエラーか?

 ところが決め手はプロフィール上に「Your Account Is Suspended」と書かれていたこと。英語設定にしているから「凍結」か、と。

 英語

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『前向きな死について』

『前向きな死について』

 いつか迎える「死」を、ぼくは前向きに受け入れるだろう。今は「生」に感謝をしていない。

 --厳密には、出来ていない、する余裕がないのかもしれない。死に向き合う時だろう、「命」のありがたみが分かるのは。

 今ある生ーー。自分は惰性で生きていると思っている。楽観的でもなく、悲観的でもない「惰性」だ。

 ただただ、今を生きる。

 時間を意識せず、雑音に囲まれることもなく、目前のことをこなしてい

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『鱒を詠(よ)む』

『鱒を詠(よ)む』



ビート世代の文学運動
ーーR・ブローティガン前夜

アメリカにおけるビート・ジェネレーションに、流行したものごとの一つに文学が挙げられる。ビートーー定義はさまざまだが、1940年代〜60年代後半とされるーーの後半から終わりにかけて、活躍したものの埋もれている、名作家を紹介したい。

 リチャード・ブローティガン(1935年ー1984年)という作家を取り上げる前に事前知識として、ビート文学とはな

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『トー横という病』

『トー横という病』


トー横キッズたち
トー横はTOHOシネマズ付近にある。
シネマズの横にあることから、この名前がついたとされる(Wikipedia)。ここにたむろする少年少女が話題となった(っている)。

 このエリアで取る奇行などが注目を浴びるきっかけになった。その話題性からか、トー横に居座る若者は「トー横キッズ」と呼ばれる。今ではトー横キッズの呼称は定着し、浸透している。

 一面だけを見ると、いかにも若者が

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