3年ぶりのフルマラソン
網走マラソン2022大会。
実に3年ぶりのリアルフルマラソンレース。
9/25(日)8:45の号砲で網走刑務所正門から鏡橋を渡ってスタートしました。
ネットタイム5時間51分。
練習不足は正直です。
実は9月になってから新型コロナウイルス感染症に罹患。
自宅療養生活を余儀なくされていました。
というか、余儀なくも何もわたしにとっては割としんどくて、これでワクチン接種4回の効果が出てるのかどうか誰か教えて・・・って感じ。
咳と鼻水がひどかったので横になって休めなかったことが一番辛くて。
咳は体温が平熱になっても引きずりました。
そんなわけで、レース2週間前に予定していた30キロLSDにも参加できず、1週間前に予定していた10キロ練習も6キロでギブアップの状況。
体調をレースに間に合わせられずに、完全に練習不足な状態でレース当日を迎えました。
朝、ホテルの窓から外を眺めると、のどかな網走川にはたくさんの水鳥が集まって何かおしゃべりをしています。網走の町には、昨日の大雨からは打って変わって抜けるような青空が広がっていました。
7:15にホテルを出て、シャトルバスでスタート地点の網走刑務所に向かいます。
会場につくと、すでににぎわっています。
鏡橋の上から写真を撮ったり、走る仲間6人で刑務所前で写真を撮ったりと、比較的リラックスした時間が過ぎていきます。
寒さが気がかりでしたが、心配をよそに日差しが強くて、むしろ暑いくらいです。
着ていた上着を脱ぎ、手荷物を預けて8:30。
各自スタートブロックに並びます。
少しずつ緊張感が高まる中、会場では東京農業大学応援団による演舞が始まりました。
なじみのある学歌と「青山ほとり「大根おどり)」にほろりとしながら、ストレッチをしながら、号砲を待ちます。
8:45。じわりじわりと列が前進を始めました。
スタート直前には応援団。
「行ってくるね」
スタートラインを踏むとリアルレースの実感がわいてきて、ちゃんとまたレースに出られたってことが何とも言えない感情になってこみ上げてきます。
沿道の声援やスタッフの方々の姿を目にするとレースの雰囲気がよみがえってきて、なんともうれしく、始まったばかりなのに泣けました。
いつのまにやら「走れることにありがとう」がしみこんだランナーになった自分を感じながら、気を取り直してペースを確認。
久々のリアルレースです。
まわりのスピードに影響されてしまったハイペースを冷静に立て直し、いざ序盤の難関「山登り」を目指します。
初めて見るオホーツク海。
澄んだ空気と青い空。
「なんて気持ちがいいんだろう」
病み上がりの身体には何もかもが心地よく、幸せ感じながら海沿いを走りました。
途中で海の写真を撮っていたら、後ろから来たランナーが「撮ってあげるよ!!」と親切に足を止めてくださいました。
(フィニッシュゲートでもお会い出来ました!!)
地元の方は
「今日はサイコーの日だよー、あっちの陸まで見えるでしょう!!」
と一緒に喜んでくださいました。
順調にレースは進んでいます。
このレースは2.5キロ毎にエイドが設けられています。とても心強い対応でありがたい。安心感があるのでリラックスできます。
さらに、楽しみなのは給食内容。
最初は4.4キロ地点のカニ汁です。
序盤から贅沢すぎ!!あま~いお出汁が効いたお味噌汁は最高で、単純なわたしは意気揚々。
お次は朝どれのトマト。おいしい!レースの朝は、なかなかフレッシュなものを食べられないのでありがたい。みずみずしくて目が覚めました。
ペースは7分15秒くらいでとてもいい感じです。
食べ物に釣られてテンションが上がったわたしですが、ついに名物激坂に差し掛かりました。
といっても、
想像していたのは富士山マラソンのコースでおなじみの、河口湖から西湖につながる1キロの急坂だったので「それほどでもないな」というのが正直な感想でした。
しんどいコースを知ってるって強いなと思いました。
でも、今回のわたしはなんといっても練習不足。事前に「坂道は歩いて上る作戦」にしてもいたので、ここは頑張らずに大股の早歩き。ストレッチ効果も期待してずんずん前へ前へ。
たまに、林の中からかさこそ音がします。小動物がいるのでしょう。一目会えたらと思いながらリスの姿をさがしてみたりしました。自然の中にお邪魔している気分。だから、「今日は走らせて下さい。見守ってくださいね。」そんな風に思いながら、のんびり進んでいきました。
しかし・・・この地味にいやらしい高低差が思っていた以上に長く、結構しんどい。
途中で左足の指が釣れるような感覚になってきました。こむら返りと言うよりは「腱」が引っ張られる感じです。しばらく様子を見ながら走っていましたが、靴下が原因じゃないかと思い当たりました。
今回のレースでは、初めて5本指ソックスを履いてみましたが、もう少し履き慣れる時間が必要そうです。
ガーミンを見ると、自分が想定していたよりずいぶん速いペースで進んでいます。少し躊躇はしましたが、持参していた別な靴下に履き替えることにしました。
立ち止まるのはとても勇気がいりますが、早めに手を打った方が傷は小さく済むと思いました。
思い切って縁石に座って靴を脱ぎ始めると・・・救護班の自転車のお兄さんが「大丈夫ですか?」とすかさず声をかけてくれました。
すごいなぁ、さすがだなと感動しながら「大丈夫です!!」と元気よく答えられました。
そう。わたしはまだまだ大丈夫。
緩やかに下り始める道のりに、そろそろ坂道終わりかと思いきや、試されるように何度も何度も小さな上り下りが続きます。
いい加減うんざりしてきた頃、コースは大きく右に曲がりました。木々の間から海が見え隠れしてきて、それがパッと途絶えた時、そこには広い原っぱの先に灯台が小さく見えています。その先に広がるオホーツク海。
青い空、青い海、原っぱと白い灯台。
東京では絶対に見ることができない景色。まさに「夏土産」の世界。
なんという美しさだろう。と思ったらまた泣けてきました。
こんな、日本地図の端っこまで自分の足で来られたうれしさ。
自然の飾ることない姿。
きれいだ。
灯台を折り返すと、エイドステーションには地元のおいしいものが盛りだくさん。
昨日の雨の中、どれだけの人がレースのために骨を折って下さったのだろうと思うと、また涙が出ました。
でもあんまりゆっくりはしていられません。
エイドを後に進んでいくと、15キロ地点で仲間に会えました。
今回初めてのフルマラソンにチャレンジした貴子さん。
早い!すごい!!頑張ってる!!!
「まだ15キロだから頑張るよ!!!」
お仕事の関係でなかなか練習時間がとれなくて、練習不足のはず。きっともう足も痛くなり始めてるはず。
でも、お互い励まし合いながら先に進みます。
レース中、仲間とすれ違うのはとってもうれしいものなのです。
次第に道は下りになって、スピードにも乗れました。快調に走っていると再び海沿いの道になっています。振り返ると遠い丘の上にさっきの灯台が見えます。
こういう時、自分の足の偉大さに驚きます。こんなに自分で走ってきたんだ。
そしてコースは長いトンネルの入り口へ。
「トンネルの中は急に冷えるのでお使い下さい。」と書かれた段ボールの中に「使い捨てポンチョ」がおいてあります。
なんて優しい大会だろう。かゆいところに手が届くというのはこういうこと。その思いやりがとてもありがたいと思いました。
幸いこの日は寧ろ暑いくらいだったので、手にしたポンチョを広げることなくトンネルを抜けたました。使わずに済んだポンチョはトンネルの先の救護所にいたスタッフの方に「ありがとうございます。使わずに済みました」といってきちんとお返ししました。
コースは能取湖のほとりをひた走ります。
単調でしたが、風もなく、青空と白い雲が水面に映って鏡のようでした。きれいだった。
ちょっと飽きが来そうなコースの途中、距離を示す看板には「名言」が書いてあります。
だんだんと足が痛くなってくるなか、
「あきらめたらそこで試合終了だよ」
という安西先生の台詞が!
うれしかった。スラムダンク大好き!
でも、24キロを過ぎた頃にはすでに足首も足の裏も痛くなっていました。
練習不足は正直です。「足ができていない」
ここからは痛みとうまく折り合いをつけながら進みます。
でも。
フルマラソンを完走できるようになるまで、わたしこの「痛み」にとても弱くて。痛みが出てきてしまうと走り続けられませんでした。
わたしは、長距離を走れる先輩たちはみんなこの痛みを克服して「痛まない身体を手に入れている」と思っていたので、「痛むわたしは走りきれない」そう思っていました。
ところがあるとき「だってみんなはもう痛くならないんでしょ?」と言うと、先輩たちが一斉に「毎回痛いよ!」と笑うのです。「これだけ走れば全員痛いよ!」と笑うのです。
そしてコーチはわたしに笑いながら教えてくれました。
「痛くなっても走り続ける練習をするんだよ」
わたしがフルマラソンを走りきれるようになったのは、「痛くなってももともとよ!!」と開き直れるようになったから。痛みとうまく折り合いをつけられるようになったからです。
あと…
走っていていろんなところが痛くなってくると、わたしはいつも亡くなった大切な友人たちを思い出しています。若くして神様に連れて行かれた友人たちだけど、生きてたら同じように足の裏痛くなっただろうなって思うんです。そして毎回「わたしまたこんなあほやって足痛くなってる。ちゃんと頑張って生きてるよ。見守って下さい」って話しかけてます。痛みを感じられることにも、生きていることへの感謝の気持ちを少し、持つようにしています。ちょっとキレイすぎるけど、でも、そう思って頑張っています。
そうこうしているうちに29キロのエイドステーションに着きました。
ここでのお楽しみは「しじみ汁」です。
網走のしじみは大きいの!お出汁もよく出てとてもおいしい。カニとはまた違った風味のお味噌汁です。汁物はもともと大好きですが、走ってるときはさらに格別です!!
しじみ汁の隣には「コーラ」。
疲れてるしもう無限ループになりそう(笑)
ここはレイクサイドパークという公園で、きれいに手入れされた芝生はきらきらしてて、湖もきらきらしてて、広くて気持ちいい。
仮設ではないトイレで落ち着いて、眼鏡を取って顔を洗って。
日焼け止めを塗ってたら知らないランナーに声をかけられました。
「もうどこもかしこも痛いですよね~!!ここまでくると~(笑)」
『ほんと!痛いとこしかないですね(笑)でもあと12キロ!がんばりましょ!ゴールで会いましょ!』
やっぱりみんな痛いんだ。痛いけどゴールまで走る。ただそれだけだな。って思いました。
(フィニッシュゲートで会えました!!)
しじみエイドを過ぎると、コースは能取漁港へ。
日差しを遮るものが全くない単調な道のりは結構ヘビィで辛いです。でも、スタッフの方が優しくてうれしかった。
港を過ぎて、少し内陸に入ったころ。33キロあたりだったでしょうか。「牛肉焼いてますよ~~!!!食べてってくださ~い!!!」と、かわいこちゃんの声とともに、お肉を焼くいいにおいがしてきました。
網走牛です。テンション上がります!
ランナーの多くは、エイドの給食を楽しみにしています。ここまで来ての肉の出現は、疲れがピークのランナーたちのモチベーション維持に大貢献していると思います。わたしもそのひとり。
だったのですが、残念なことに、しばらくするとおなかの調子が怪しくなってしまいました。
フルマラソンなどの長距離を走っているとき、身体は急激な熱量の消費具合に「やばいぞ!!!」って警戒を始めます。生命維持にかかわることが最優先されて、それ以外は後回しに。
消化機能は後回し組です。
走っているときにお腹の調子が悪くなったり、吐き気がしたりするのは、よくあること。
今回わたしは、スタートから3時間前に朝食をとり、その後は固形物はほとんどとらず、ほぼエネルギーゼリーだけでエネルギ補給をしていました。身体はすでに内臓疲労も起こしています。さらに前日から便秘気味でした…
調子が整っていない消化器に、急に牛肉をいれるなんて!!へそを曲げたわたしのおなかは、反乱を起こしそうな勢いでした。
3年ぶりのフルマラソン。
勘が鈍っているというのはこういうことで、「そういえばこうなるんだったなぁ・・・」と思ったのは後の祭り。ここからさきは「どこでトイレに入ろうか」と悩みながら走ることになりました。
残りは8キロ。1時間はかかります。
2.5キロ毎にあるエイドステーション(最低限は水)には、仮設トイレも2~3機設置されています。これはとてもありがたいことなのですが、「和式」が多くてちょっと困りました。
なんせ、ここまで30キロ以上走っています。もはやしゃがめません。
お腹が痛い波を手なずけながら、なんとか走り続けていると、最後の給食「シャインマスカット」が現れました。これもとっても楽しみにしてたもののひとつ。
食べるか、やめるか、食べるか、やめるか・・・え~い!!
やっぱり食べてしまいました。
残り7キロ。
レース終盤はサイクリングロード。
走りやすいけどとても単調。小さな上り下りが地味に効いてきます。
時計を見ると歩いても完走できる時間。おなかも痛いし、疲れたし、足も痛いし歩きたい。だけど、ここで力をくれたのは仲間の声援でした。
東京にいる仲間たちが、「応援ナビ」でずっと見守ってくれていて、LSDのMLで「ペースが落ちてるね」とか「順調だね」とか「もうすぐだね」とか、見守りコメントのやりとりをしてくれました。「エイドも景色も楽しんでくれてるといいな」なんて。
ホントみんな優しいんだから!!
貴重なお休みの日なのに、ずっとナビでレースを追ってくれてることがうれしくて、「頑張るよ!」って返信しました。
こういうのはものすごいパワーになります。遅くてもいいから走り続けよう、と気を取り直したら、お腹が痛いのが収まってきました。
いいぞ!おなか!!
小さな一歩を出し続けているわたしは、歩いているたくさんのランナーを、どんどん抜いていきました。
疲れてきたときって、不思議とちょうどいいことを思い出したりします。今回は上司のエピソードでした。
彼は外科医です。何時間もかかる手術をすることもあるはず。ある時「手術していて、手を休めたり座りたくなったりする事は無いんですか?」と素朴に聞いてみたとき、彼の答えは、「手術で辛いのは身体の疲労じゃないから、手を休めたいとか座りたいとか思ったことは一度もない。ただ淡々と最後までやりきるだけ」でした。
始めたら終わるまで続けるだけなのは手術もレースも同じ。わたしは淡々と走るだけだ。
スピードは出ないけど、もう関門もない。走り続けてさえいれば、必ずゴールできる。
そう思ってひたすらゴールを目指しました。
残りはもう4キロです。
コースの表示が40キロを過ぎた頃、そこはすでにフィニッシュゲートへの入り口でした。
音楽もアナウンスも聞こえてきています。たくさんのスタッフの人たちが役目を終えて集まっています。
「ナイスラン!!」「あとちょっと!!」「お帰りなさい!!」「最後ファイト~!!!」みんなが口々に応援してくれます。
でもまだヒマワリが見えてこない。
あと2キロが長い・・・
だけど、MLでの応援も、現地の人たちの応援もひっきりなしに続いてくれます。
「アフロがんばれ!あとちょっと!!!」「まだ足残ってるぞ!!」
そうだ。あとちょっとでゴールできる。ゴールしたら走らなくていいんだ。ゴールまで、ゴールまで。言い聞かせながら一歩ずつ。
ようやくヒマワリ畑が近づいてきました。
フィニッシュゲートへの直線は、大会のために育てて下さった見渡す限りのヒマワリ。
ヒマワリ、ヒマワリ、ヒマワリ!!!
こんなの見たことありません!
「おかえりなさい!レインボーのアフロをかぶった2104番のランナー、今ゴールです!!」
今回3年ぶりにフルマラソンを走ることで不安だったのは「長距離練習が不十分」そして直前の「体調不良」で「走ること自体が不充分」ということでした。
練習不足は「足の痛み」に直結していたと思ってます。痛くなるのが早かった。つまり疲労(痛み)が早い。
痛みが少ない方が当然楽に走れます。
今回のレースがしんどかった原因は、一にも二にも練習不足でしたが、ある程度不可抗力でもありました。
そんな中での収穫は、「練習すればもう少し楽に走れる」という経験が蓄積されたことです。
一方、今回のレース。
わたしはどこかで「絶対に完走できる」と自信を持っていたような気もします。
関門時刻に不安は全くなかったし、なにより、「わたしの足は42キロならいける」と信じていたように思います。いつのまにか、30キロくらいなら大丈夫だったわたしも「フルマラソンなら大丈夫なわたし」に成長したということでしょうか。あと、「走ってる自分が好きだな」なんて思いました。
素直に、嬉しいです。
走り続けている限り、これからもわたしは、わたしを楽しむことができそう。
走れることにありがとう。
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