
ロシア文学秘話:ドストエフスキーとナボコフ
代表作『ロリータ』で知られる作家ウラジミール・ナボコフは故国の大文豪フョードル・ドストエフスキーを大変嫌っていた。彼のコーネル大学時代の講義録をまとめた『ロシア文学講義』にはドストエフスキーも論じられているが、そこでナボコフはドストエフスキーを『偉大な作家というより凡庸な作家』と痛罵している。彼はその中でドストエフスキーの代表作を取り上げその小説の構成から描写に至るまで徹底的にこき下ろしている。ナボコフのドストエフスキー論は論評というより憎しみかはたまた怨念に満ちたものがあり、普段の彼の貴族的な冷徹さを欠いている。何故ナボコフはこれほどドストエフスキーを憎んだのか。それはナボコフ家とドストエフスキーの百年にもわたる因果のせいなのである。
上に記した通りドストエフスキーとナボコフ 家には長い因縁があった。ドストエフスキーは政治犯で逮捕され要塞に収容されたのだが、そこの監獄長だったのがウラジミールの祖父たるナボコフ将軍だったのだ。恐らくドストエフスキーもナボコフ将軍の名前すら知らなかっただろうし、またナボコフ将軍もドストエフスキーなど知らなかっただろう。だがこの出来事がナボコフ将軍の子供たちを苦しめたのであった。
ドストエフスキーは長いシベリア流刑から帰ってきて文壇に復活すると後に五大長編と呼ばれる名作を立て続けに発表したちまちロシア文学の大文豪となった。誰もが文豪ドストエフスキーを崇拝し、彼を苦悩の殉教者と呼んだ。『白痴』にも書かれた死刑執行から皇帝の突然の恩赦まで異様な体験や、あのトルストイまで泣かせた『死の家の記録』に書かれたシベリアでの過酷な体験から生み出された小説の巨大さは彼を聖人へと祭り上げるには充分すぎるものであった。そのドストエフスキー信奉者たちが揃って目の敵にしたのが、彼をかつて要塞に閉じ込めたナボコフ将軍の子供たちだったのである。
ウラジミールは父のホームパーティでこんな会話を耳にしたという。父と招かれた客が文学談義を始めたのだが、その時客がドストエフスキーを挙げて彼はトルストイに匹敵する作家だと思うかと聞いたのだ。それに対して文学には人かたならぬ審美眼をもつナボコフの父は控えめにドストエフスキーはトルストイには及びないと否定したのである。するとこの客人は吐き捨てるようにこう言ったのである。
「ハッハッハ、立派ですなぁ!アンタらはまだあの偉大なるドストエフスキーを要塞に閉じ込めているつもりなのですかな?」
ウラジミールもまたドストエフスキーハラスメントの犠牲者であった。彼は学校のクラスメイトから「お前のぢいちゃんドストエフスキーいぢめたんだって?あの聖人をいぢめるなんて鬼畜以下だよ!イヂめ!イヂめ!イヂめ反対!」
こんないわれのない中傷を受けてウラジミールは一生ドストエフスキーなんか読むもんかと思った。だが負けん気の強い彼はそれでは逃げたと思われると考え勇気を出して『罪と罰』を読んだのである。このドストエフスキーの有名作は少年ナボコフの心を震わせた。文法をまるで無視して熱狂のままに書き綴られた文章は彼の文学の価値観を思いっきり揺るがせた。だが彼はギリギリのところでドストエフスキーの渦から逃れた。罪と罰を読み終えたナボコフは冷や汗をかき薄ら笑いを浮かべてクラスメイトたちに罪と罰の感想を話したのだった。
「昨日三十分でドストエフスキー『罪と罰』読んだんだけどなかなかスリルがあって面白かったよ。見事なサスペンスドラマだね」
ロシア時代のナボコフにとってドストエフスキーは呪いであった。どこへ行ってもドストエフスキーのいぢめっこの孫だと蔑まれ、アホな奴にはじいちゃんの代わりにお前が謝れと罵られる始末だった。ナボコフは祖父であるナボコフ将軍を大変尊敬していた。大臣にまでなった偉大なるグランパパ。その偉大なる人がこんなにも蔑まれるなんて!ドストエフスキーなんて俺は認めない!じいちゃんとパパを苦しめる奴の文学なんて俺は認めない!
ナボコフのドストエフスキー嫌いはロシアから亡命してベルリンに移ってからも治らなかった。彼はますます高まりゆくドストエフスキーの名声を耳にするたびにドストエフスキーハラスメントに苛まれた祖父と父の苦悩を思い出すのだった。周りの亡命ロシア人グループはドストエフスキーを完全に預言者扱いしそれにちょっとでも否定的なことを言うと一斉にドストエフスキーハラスメントを受けるのだった。一度などある婦人からこんなことさえ言われた。
「やっぱりあなたはあのいぢめっこのナボコフ 将軍の孫なのですわね。全くどれだけドストエフスキーをいぢめれば気が済むの?」
ナボコフはじいちゃんの汚名を晴らしてやりたかった。じいちゃんは皇帝の命令を忠実に実行しただけ。それに連中が偉大な預言者と持ち上げるドストエフスキーだって偉大な文豪なんかじゃなくて凡庸なお盆に乗って床を滑るぐらいつまらない三流作家なんだぁ!だがヨーロッパ時代のナボコフはドストエフスキーを表だって批判できずせいぜい小説の中で嫌味を書くことしか出来なかったのである。
だがとうとう復讐のチャンスがやってきた、それは大戦から逃れてやってきた新天地アメリカでである。ナボコフは交流をもっていたエドマンド・ウィルソンらとのコネでコーネル大学の教授になりそこでヨーロッパ文学と彼の故国ロシア文学の講義を受け持つことになった。ナボコフはこの地位を手に入れてどんなに喜んだであろう。フローベールやジョイスといった彼の尊敬する大作家と、そして故国のゴーゴリと、そしてあの偉大なるトルストイを語る事が出来るなんて。だがそれにも増して喜ばしいのはあの忌まわしいドストエフスキーをコテンパンにやっつける事が出来る事だった。ナボコフはペンを片手に復讐心をたぎらせながらドストエフスキーをむさぼり読んだ。彼の心の中に尊敬すべき祖父や本物の文学の審美眼を持った父の姿が思いうかんだ。じっちゃん俺、じっちゃんの汚名を晴らしてやるっ!ドストエフスキーなんてシベリア送りにされて当然の凡中の凡作家なんだよ!じっちゃん、パパ見てろよ!俺が今すぐドストエフスキーをやっつけてやるから!