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チベットで歌詠むひと [日記と短歌]23,11,5


雪煙へ消ゆるひとあり一歩目とまた一歩目と続く遥かに/夏野ネコ


沢木耕太郎さんの「天路の旅人」を読んで、あぁ、河口慧海の「チベット旅行記」をもういちど読もう、と思いました。というかそう思いながら読んでいたとも言えます。

「天路の旅人」は第二次大戦中、中国西域へ潜入した一人の日本人スパイが終戦後なおもチベット、インド、ネパール、と巡礼のごとく旅を続けるお話でした。対して慧海の「チベット旅行記」は明治時代、当時いわば秘密国家であったチベットへ仏教原典を求め単身乗り込む旅です。
背景こそ異なりますがそこに共通するのは「無欲」というようなもので、欲得ない純粋な旅という点で2つの旅はとても似ていました。最初の1歩を延々続けていくうちとんでもない遠くまで行ってしまった、彼らの踏み出す1歩。それは常に未知へと向いており、だから常に新鮮なんですよ。

さて「天路の旅人」については読後の感動で未だ体がジワジワしているのでまたいずれ書くとして、河口慧海の「チベット旅行記」についてです。
今までの人生でこの本を2度読みました。最初は講談社学術文庫版、次はKindleを買った記念にAmazonの電子版を。

再読したのはもちろん、ぶっちぎりで面白いからですが、今回3回目を読もうかしらと思ったのは、前出の「天路の旅人」に触発されたのはもちろんですが、「チベット旅行記」には慧海が随所で和歌をしたためていたのを思い出したからでした。
明治の教養人らしく、慧海は和歌を嗜みます。旅行記に記された歌はこんな感じです。

御仏のみくににむかふ舟のうへのり得る人の喜べるかな

河口慧海「チベット旅行記」より

慧海がインドへ向かう船の上で詠んだ一首です。これからいくぞー!っていう感じがじにみ出ており、こういっては失礼ですが、かわいらしい。

空の屋根、土をしとねの草枕雲と水との旅をするなり

河口慧海「チベット旅行記」より

ネパールからいよいよヒマラヤを越えていこうというところ、雲と水との旅、がとても素敵です。高地の清冽な空が目に見えるみたいです。

くさぐさに有らん限りの苦しみをなめつくしてぞ苦の根たえなん

河口慧海「チベット旅行記」より

チベットに入り艱難辛苦を続けていくところ、一種の開き直りのような態度が(きっとめちゃくちゃ苦しいんだろうけど)爽快な感じさえします。

と、このようにちょいちょい歌が出てくるのです。初読と2周目の時は正直読み飛ばしていた箇所ですが、短歌を詠むようになった今の私は違います。今度は慧海の歌をしかと鑑賞しつつ3周目をじんわり読んでみようと思います。旅行記、冒険譚としても抜群に面白いのですが、その時々に詠まれた歌から慧海の心のありように触れることで、この旅がより立体的になるんじゃないか、と期待しています。

チベット旅行記はパブリックドメインなので青空文庫で読めますし、青空を底本にしたKindle版は0円です。めっちゃくちゃ面白いでの気になった方はぜひ。あ、沢木耕太郎さんの「天路の旅人」も半端なく面白いですよ!


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