銀河鉄道とブローティガン [日記と短歌]23,7,2
乳白の河を渡って空になる君の街まですぐに行けるよ/夏野ネコ
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読みました。
いまさらか…、はい。いまさらです。
読んだことのあった気はしていました。けっこう昔のことで、たぶん中学生の頃。きっと教科書か、何かの課題図書だったのだと思います。文芸に触れるのはほぼ国語の教科書のみという不真面目な生徒だったので、読んだとしたらそのどちらかでしょう。
そんなんだからちっとも内容を覚えておらず、あるいは全編ではなく抄だったのかもしれず、だからこのたび読み直しをしたわけです。ゆえに作品が決定稿ではないこと、それが作者の歿後に発表されたこと、なればこそ永遠に未完であること、など銀河鉄道の夜に関する重要事項をちっとも知りませんでした。
国語の勉強はちゃんとやっとかなきゃダメだよな、ほんとに。
作品についての考察などはWebにたくさんあるのでここではしません。ていうかできません。単に私はこの世界観にめっちゃくちゃ惹かれたので、このnoteは「なんでこれ好きなんじゃろう」のぼんやりメモです。
さて。
一読感じたのは「あ、なんかブローティガンみたいだ」でした。とはいえブローティガンも「アメリカの鱒釣り」と「愛のゆくえ」と「西瓜糖の日々」くらいしか読んだことない私なので全く偉そうなことは言えないわけですが、でも「この世と違うどこかの寓話めいた話」みたいな手触りが似ていた。特に「西瓜糖の日々」の持つ不思議なルールをもった異界の印象に。
もちろん賢治の方が先なので本来であれば「ん?ブローティガンって銀河鉄道っぽくないか?」になるはずなんだけど、わたし史上では順序が逆転しているのでごめんなさい。
ブローティガンの西瓜糖の日々という小説は、すべてが西瓜糖でできた世界にあるコミュニティのお話で、そのまわりには「忘れられた世界」が広がっているという。そして西瓜糖世界のルールやありようについて、ほとんど説明されない。でも儚くて平穏で危うい世界ということは辛うじてわかる、だから読者は西瓜糖世界に対して傍観者でしかいられない、そんな不思議小説なのですよね。印象として近いのは村上春樹さんの「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」だと思います。
この儚さと不完全さと箱庭的に閉じた世界のありよう…正直これは死後の世界の話なんじゃないか、と個人的に解釈しており。
というとちょっと違うな、死後の世界に行く前のモラトリアムの世界、と捉えているんです私は(読んでない方にはサッパリですよね、よければ読んでみてください!)。
そして死後世界への中間措置みたいな時空間のありようを持った銀河鉄道がだから、西瓜糖めいて見えたのかもしれんと府に落ちました。
うん、まじで個人の感想ですね…。
そしてこの「現世と死後の世界との間にあるモラトリアム」は、私自身「そうとしか捉えようのない」臨死体験めいた夢を幾度も見ており(定番なんですよ!)、とても馴染みのある世界観なんですよね。そのような世界で永遠に暮らしたいという欲求が私にはあるんだろうな…、とても居心地がよい…。
なので、真っ当な惹かれ方かどうか怪しいけれど、とにかくブローティガンに惹かれたし、銀河鉄道の夜にも「うわー」てなったんだと思う。
などと!
相変わらずとりとめないんですが、「現世と死後の間のモラトリアム」についてはまた別の機会に書きますね。ひとつは飛行機の翼に住む人たちの話、ひとつは川を渡る話です。
なんのことやらサッパリですよね、ごめんなさい、またいずれ書きます!
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