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自分の生まれた日を知らずに生きる人々【映画/存在のない子供たち】

両親を告訴する。僕を産んだ罪で。

胸がつまるコピーに惹かれて、映画「存在のない子供たち」を観た。

以下、映画のネタバレです。


***


「人間が想像するすべての不幸な出来事は世の中で起こっている」といつか誰かが言っていた。
日本で普通に暮らしていれば遭遇しないであろう混沌とした世界は、映画の中の話というわけでは決してないはずだ。

戸籍のない少年、ゼイン。
自分の誕生日も知らず、年齢もわからない。
家族の生活費を稼ぐため、学校に行かず働く日々。

お金のためにわずか11歳で結婚させられる妹、サハル。
妊娠したものの、幼い身体はその負担に耐えられるはずもなく。病院に運ばれるが、戸籍がないため治療をしてもらえず死亡した。

彼らの親も、同じく戸籍を持っておらず、まともな職に就くことができない。生活のために次々と子供を産むが、戸籍のない人間から産まれた子供は、同じ道を辿る。

そう、この映画では登場人物の誰もが、社会的に存在しない人間なのだ。

一方で、持っていたはずの戸籍を隠し、他人の戸籍を買うことで自分を偽って生きるシングルマザーもいる。その子供もまた、戸籍がない。

物語の中で、彼女は6年間メイドをしていた、というセリフがあったので、彼女は自分の国の戸籍を持っていたのだと思います。

この映画の中では、存在、という概念はとても強く、弱い。
戸籍がなければ人は存在しないのか。
他人の戸籍を名乗る人と、他人に戸籍を奪われた人は、一体何者なのか---。


***


妹の結婚に激怒したゼインが、家出した先の街。流れるまま居候することになった、シングルマザーの家庭。
そこで出会う母親・ラヒルは、ゼインの実の母親とは正反対のキャラクターに描かれる。貧しい中でも、赤ん坊のヨネスを愛し、必死に育て、たまたま出会った見ず知らずのゼインの面倒までみようとしていた。

ここで見せるゼインの表情は、12歳の少年そのもので。諦めた目が、無邪気に笑うのだ。ゼインはここで初めて、母親の暖かさを知る。

特に印象的だったのは、ヨネスの誕生日祝いとして3人でケーキを食べるシーン。おそらくゼインはケーキを食べることも、誰かの誕生日を祝うことも、はじめてだったに違いない。彼や彼の家族は、誰も自分の誕生日やそれを祝うことを知らないのだから。

ヨネスは恵まれない環境で生まれ、戸籍もない。けれど息子を愛する母親のおかげで、自分の誕生日や年齢も知ることができる。
ゼインはヨネスの代わりにロウソクの火を消した。もしかしたらあの一本のロウソクこそが、ゼインの12年分の誕生日祝いだったのかもしれない。

しかしその穏やかな時間も長くは続かない。
ラヒルが、家に帰ってこなくなった。実は彼女は不法就労の罪で捕まってしまったのだが、それをゼインが知るはずもなく。ヨネスを自分に押しつけて逃げたのだと思い込んでしまい、元の諦めた目に戻っていった。

それでもゼインは必死に生き抜こうとする。
ヨネスと共に亡命するため、薬の違法販売をはじめた。実の母親と同じ方法で。ヨネスが作業の邪魔をするときに足を繋いで拘束するところまで、母親そっくりだ。
しかしひょんなことから家を追い出され、貯めたお金まで失うことになったゼインはついにヨネスを売ってしまう。
「ヨネスを育てたいという人がいる」なんて、嘘だと気付いていながら。

仕方のないことではあった。わずか12歳の、戸籍もない、頼る家族もない少年が、赤ん坊と一緒に生きていくなどできるはずもない。

しかしそれが、妹を売った母親と同じ行為だと、ゼインは気づいていたのだろうか。ゼインはそのとき、母親と同じ、諦めた大人になってしまったのだ。

亡命のため身分証明書を取りに実家に戻ったゼインは、そこではじめて自分に戸籍がないこと、妹が戸籍がないために死んだことを知る。そして妹の結婚相手の男を、刺してしまう。


***


ゼインは「世話できないなら子どもを産むな」と訴える。ヨネスを守ろうと必死で働き、そして捨ててしまった彼の言葉は、重たい。

冒頭でこの映画はフィクションではないのだろうと述べた。特に確信があったわけではないけれど、やはりそれは間違いではなかったらしい。

映画を観たあと、キャストを調べると全員、俳優ではなかった。中東やアフリカで移民、難民として暮らしている人々。キャストの中には本当に自分の誕生日や生まれた年を知らない人もいるそうだ。

きっと彼らにとってこの映画は日常のひとつなのだろう。

この世界のどこかで今日も起きている悲しみや不条理を少しでも減らすために、わたしたちは知ることから始めなければいけないのだと強く感じた。






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みどり
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