魅力は違いに宿っていて、だから個性を磨くことが美しさになるのだと思う
こんばんは。ナツミです。
最近、ぼやっとよく考えることがあって
徒然と書き残そうと思います。
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わたしは、形が整っているものは
美しいと思うけれど何故か心が惹かれない。
昔は整っているもののほうが好きだったのだけれど
今はシンメトリーだったりいろんな色や形が混ざっていたり
整っていないものに魅力を感じるようになった。
たとえば黄金比で形作られた四角形や、
端正整った円形や、
絶妙なバランスで支え合う三角形は
見ていて美しいけれど、美しいだけに見えるのだ。
それよりも、ちょっといびつで歪んだ楕円や、
形が崩れた三角形や四角は見ていて面白いなと思う。
海辺や川辺で、そこら中に落ちている石の中から、
お気に入りの形のものを探すような感覚と似ているかも知れない。
どれもいびつで、変な形で変な色だけれど、選んでいる間は楽しい。
つまり、最初から整えて形成されたものよりも
ひとつひとつ違う形ーーーそれぞれの差異であったり個性に、
美しさだけではない魅力を感じて、惹かれているのだ。
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わたしは、美術展に行くのが好きなのだけれど、
素人目にはデッサンとか構図とか上手には見えない作品が
それでもとても美しくて心を大きく揺り動かすのは
どうしてだろうと考えていた。
長い間ぼんやりと結論も急がずに考えていたけれど、
このたび結論を出すことにした。
上手かろうと下手だろうと、きれいにまとまらず、染まらず、洗練させず、
自分の持てる個性を、個性のまま磨き続けたから、時間を超えて心を打つのだ。というのがわたしの結論だ。
個性を個性のまま磨き続ける背景には、
きっと批判や非難やバッシングや、
迷いや焦りや苦難や大切なものを失うことや、
それでも自分を信じる気持ちがあったと思う。
そんな悲喜交交(ひきこもごも)が、深さや人間味や表現力として滲み出ているように思う。
他の人はわからないけれど、少なくともわたしはそこに強く惹かれる。
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そんなことを考えていたら、
わたしの中のいくつかのピースがなんとなく繋がった。
違いこそに魅力が宿っていて、その違い・つまり個性を個性のまま磨くことが心を動かすような美しさや魅力になる。
それは人も同じ。
そして現代でも同じ。
もちろん外見も内面も同じ。
自分を磨くために整ったものを外から持ってきてもダメーーーたとえば本で既に出来上がった知識を得て知ったような気持ちになったり、素晴らしいデザインの洋服やアイテムで着飾ってもダメで。
もし魅力的になりたい・美しくなりたいと思うなら、自分の持っている個性をそのまま磨いていくのがいい。
自分の頭で考え、自分の言葉で表現できるようにする。自分の個性に似合うもので着飾る。
でもきっと 、個性的で魅力的な人は、着飾らなくても美しいけれど。
#ナツミnote 【Day189】
自分の声に耳を傾けることで、自分を大切にしよう。そんなnoteを、ほぼ毎日書いています。書いたのにアップし忘れて、noteが数えてくれる連続更新記録のカウントが途切れたので、「ほぼ毎日」。たまにエッセイ。
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