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人生の例え噺。

昔々、2007年頃、まだmixiを利用していた頃に日記に書いた、どこからかの拾い話。

(※とある有名な噺をいじったものと思う)

ある日の講義で、教授が学生に向かって語りかけた。


「この瓶に石を詰めてみよう。…さて、これでもう何も入らないかな?」



学生の一人が手を上げて答えた。



「もっと小さな石ならその隙間に入ります。」

教授は頷き、小石を取り出し瓶に詰めた。

「さて、小石でだいぶ隙間が埋まった。これで瓶の容量は一杯かな?」

さらに学生の一人が手を上げた。

「砂ならまだ隙間に入ります。」

教授は再び頷き、砂を取り出して瓶に注いだ。

「さて、これで石の隙間は小石と砂で埋まり一杯一杯だ。この瓶を人生に例えると、石は家族や友人など生きるに欠かせない大切なものだ。小石は、家や車、音楽や映画など人生をより豊かで楽しくしてくれるものだ。砂などは取るに足らないくだらないものだ。もし真っ先につまらない砂で人生の瓶を一杯にしてしまったら石はもちろん小石も入る隙間のない不毛な人生となってしまう。人生をいかなるもので埋めるべきか、この瓶は教えてくれる。」

と、ここまで話したとき、
とある学生が手を上げた。

「教授、その瓶にビールを注げば砂に染み込んでいくのではないでしょうか?」

教授は頷いた。

「人生がいかにつまらないもので満ち満ちていようと、アルコールだけは入る隙間があるということだな。」


ここで話は終わりだ。

が、ここまで読む間、読まれた方なら、もう途中で色々と他に入るものや入れ方やツッコミなんかが頭の中を巡った事でしょう。

例に漏れず、コメント欄も盛況だったと思う。


哲学、というと大袈裟に聞こえるかも知れないが、でも例え話の中身よりもその後のやりとりこそが、哲学だよね、と思う。


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。