『ディア・エヴァン・ハンセン』に描かれた孤独と共感
ミュージカル映画『ディア・エヴァン・ハンセン』を観てきた。
本当は先週映画館へ行ったのだけれど、感じるものが多すぎて上手く文章にまとめられなくて、公開するまでこんなに時間がかかってしまった。
『ディア・エヴァン・ハンセン』という作品を観て私が感じ、考えたことを、ここに拙いながらも残しておこうと思う。
※この記事には、映画の核心部分に触れる箇所があります。まだご覧になってない方、ネタバレ絶対ダメという方は、この先を読まないことをオススメします。
1.エヴァンの孤独の苦しみと愛への渇望と
主人公エヴァンは目立たない孤独な高校生。うつ病を患い、カウンセリングに通い服薬しながらなんとか学校へ通っている。学校ではいつも一人。孤独。その苦しみを毎日痛いほど感じている。
消えてしまいたい。
僕が消えたって誰も気づきはしない。
彼が冒頭で歌う「Waving Through A Window」の歌詞の中に、とても印象に残った部分がある。
「僕は窓越しに手を振っているけど、誰が気づく?誰が手を振り返してくれる?」
「君(実際は僕)が森の中で木から落ちて、その時誰も周りにいないなら、(そもそも)落ちたことになるのか(誰も知りもしないのに)」
「君(実際は僕)が森の中で木から落ちて、その時誰も周りにいないなら、(そもそも)音を立てたことになるのか(誰も聞いちゃいないのに)」
映画館で一度見ただけなので、歌詞に細かい誤りがあったらごめんなさい。カッコ内は私の補足です。
私はこの歌詞を聴いて、胸がギュッと締め付けられた。エヴァンの孤独が心にドッと流れ込んできた。
それは、私が孤独だから。心のどこかでいつも孤独を感じているから。
2.みんな苦しみを隠している
エヴァンはカウンセラーのすすめで、自分宛に手紙を書くことになった。高校のパソコン室で書き上げた後、共同プリンターの列に並んで印刷を待っていると、エヴァンが想いを寄せている女性ゾーイの兄コナーに手紙を持ち去られてしまう。その数日後コナーが自殺したことを、エヴァンを訪ねて学校へやってきたコナーの両親に告げられることになるとはエヴァンも予想しなかっただろう。
亡くなったコナーのポケットに「Dear Evan Hansen(親愛なるエヴァン・ハンセンへ)」から始まる手紙が入っていたことから、コナーの母親に「エヴァンはコナーの友達だった」と勘違いされてしまう。否定する勇気がなくてズルズルと「コナーとの友達としての思い出」を語るエヴァン。息子は学校に友達がいないと思っていたコナーの母親にとって、エヴァンが語る「親が知らない友達としての思い出」は、心の救いだった。
一方、エヴァンはありもしない「コナーとの思い出」を語ることに罪悪感を覚えながらも、自分が思い描いていたキラキラした友達との日々がまるで本当にあったような気持ちになり始めていた。
コナーの追悼集会を開こうと、実行役のアラナがエヴァンにスピーチを頼みに自宅を訪ねてくる。アラナは実は自分はうつ病で、服薬しながらなんとか元気でなんともないフリをしているとエヴァンに打ち明ける。いつも堂々として、ハキハキ発言し、行動的なアラナからはとても想像できない真実だった。
ここで気づく。
みんな孤独。
みんな苦しんでる。
その辛さを比較なんてできない。
パートナーや友人や家族に囲まれて笑っているあの人も、仕事ができてみんなに頼られてキラキラしているあの人も、経済的に余裕があって楽に見えるあの人も、もしかしたら本当はそれぞれの心の孤独に苦しんでいるのかもしれない。
何ともないふりをしているだけ、でも楽じゃない。
日本では、何故か「だからみんな我慢しようぜ」という風潮がある。
「みんな我慢してるんだから、あなたも我慢しなさい」
そういうことじゃない。
「みんな苦しいけど我慢してるんだから、苦しいなんて言わないで」?
それで、みんな辛さや苦しさを打ち明けられなくなっているんじゃないのかな?
自分だけ弱音吐いちゃいけない。甘えてると思われる。
って、本当の気持ちを隠して苦しんでる。家族や仲のいい友達にすら打ち明けられない。怖いから。否定されるかもしれないし、引かれてしまうかもしれないから。
世の中には、孤独を感じない人もいるし、自覚していない人も、目を背けて気づかないフリをしている人もいる。
でもね、そういう人達だって、今からとても辛い思いをするかもしれないし、その時心が壊れてしまうこともあるかもしれない。
誰だって苦しくて苦しくて心がボロボロになって、頑張って頑張って、精神疾患になることが一生のうちに絶対にないなんて限らない。
あなたも私も他人事じゃない。
いつ自分がそうなるかなんてわからない。
もしかしたら、気づいてないだけで本当は近くにいるかもしれない。そんな苦しみを心の奥底に隠して、何ともないフリを上手にしている人が。「普通」であること、そう周りに見せることが上手な人が。
でもそれは、決して楽じゃない。
3.分かり合える人を見つけるのは時間がかかる
エヴァンはコナーの追悼集会でスピーチをする。
「孤独を感じたことはないか」
「誰も助けてくれないと思ったことは?」
「もし木から落ちても助けを求めれば、誰かが見つけてくれて、家へ連れて帰ってくれる」
「君は独りじゃない」
この時、私達視聴者はエヴァンが本当はこういう経験をしていないことを知っていて、虚しさを感じながら複雑な気持ちでスピーチを見守ることになる。これはエヴァンの理想の話。エヴァンには実際は起こらなかった話。
本当ならどんなに良かったか。
自分に重ね合わせながら、ストーリーを追いながら、エヴァンの語る「理想の世界」「信じたい世界」を思い描きながら、「本当にそうだろうか」という疑いを持ちながら。
エヴァンのスピーチ動画はSNSを通じて拡散され、あっという間に若者たちの間で知られることとなり、共感が生まれる。誰もが本当は孤独を抱え、打ち明けられずに苦しんでいて、そして中にはコナーのように絶望の中で自らの生命を絶つ選択をする人がいるということ。そして、その選択をしてしまったコナーに共感しつつ、その選択をしなくていい世界であってほしいという気持ち。孤独な自分を誰かが見つけてくれて、誰かが助けてくれる世界であってほしい、そう信じたいという気持ちが広がっていく。
アラナは、コナーが幼少の頃好きだった果樹園を寄付によって再築する計画を始める。アラナはこれで証明したかった。「コナーは間違っていた」と。助けてくれる人、わかってくれる人はいないと、自ら命を絶ったコナーは間違っていたと。
コナーの死を悼み、「コナーを忘れてはいけない」と寄付をしてくれる人の存在を示すことで、孤独な世界ではないと証明しようとした。
アラナは歌う。
「分かり合える人を見つけるのは時間がかかる」
そう。時間をかけて探せば、きっといつか分かってくれる人に出会えると。
ただ、すごく時間がかかる。
だから苦しくてたまらないんだよね。
時間がかかりすぎる。
4.エヴァンは本当に孤独だったのか?
あまり詳しく書くとネタバレになってしまうから、あくまで私が感じたものを伝えるためにストーリーに触れる程度にしたいのだけれど、すでにがっつりネタバレしてたらごめんなさい。
エヴァンの嘘は思いもよらない展開を招く。
エヴァンはスピーチによって、あっという間に有名人になる。今まで誰にも見えていないかのようだったのに、すれ違う人が声をかけ、手を振ってくれる。でも嘘によって作られた思い出も、人気もずっとは続かない。エヴァンは結局のところまた一人になってしまう。
エヴァンを女手ひとりで育ててくれた母ハイジに、事の顛末の全てを打ち明けたエヴァン。嘘をついたことで憧れた世界が近づいて、まるで自分も「あちら側の人間」であるかのように振る舞えたこと。その間、自分は「普通」であって、「普通」の幸せを感じられたこと。でもそれは嘘によって成り立っていた魔法の世界であって、その魔法が解けたら結局いつもの孤独な自分がいただけだったということ。
ずっと木から落ちたのは事故だと言っていたけど、本当は自ら手を離して自殺しようとしたのだということ。
「こんな僕を嫌いになった?」
と問いかけるエヴァンに、母ハイジは
「嫌いになんてならない。あなたは私の大切な宝物よ」
と涙を流しながら伝える。
そして、エヴァンの父が出ていった時のことを話し始める。引越しのトラックが来て、父が出ていくなんて何も知らない幼いエヴァンは、家の前に止まったトラックにはしゃいでいた。でもトラックと父がいなくなると、夜寝る前にハイジに訊いた。「またトラックが来るの?今度はママを連れて行っちゃうの?」と。
ハイジは答えたと言う。
「もうトラックは来ない。ママはあなたのそばを決して離れない」
そう。エヴァンは孤独を感じていた。
母はエヴァンを育てるために、なるべく教育をきちんと受けられるように、毎日必死に働いていた。
でも毎晩帰りが遅くて、休みもあまりなくて、エヴァンは家でも孤独を感じていた。だから裕福なコナーの家庭に、いつも自宅に母親がいて、家族みんなで食卓を囲む家族の姿に憧れたのだ。コナーの家族と交流する内に、自分もその一員になれたような気がしたのだ。
でもそれを失って、エヴァンはまた孤独に戻って壊れそうになっていた。
でも。
でもエヴァンには母がいた。ずーっと母がいた。
どんなに惨めでも、嘘をついて間違ったことをしても、自らの生命を絶とうとしても、ありのままのエヴァンを受け入れてくれる人。
そのままのエヴァンを認めてくれる人。
5.みんな本当は孤独?
この作品の中で、エヴァンには母親がいた。孤独じゃなかった。
わかってくれる人はたった一人かもしれない。でも数じゃないよね。
一人でも、自分を理解して認めてくれる人がいるって凄いこと。
私は孤独は恥ずかしいことじゃないと思う。
冒頭で、私は孤独だと言った。だからエヴァンの歌うナンバーの歌詞が心に突き刺さったと。
でも本当はね、結構みんな孤独なんじゃないかな?
傍から見て、そう見えるか見えないかっていうだけで、本当はみんな孤独なのかもしれない。
自分の全てを話せる人がいるっていう人は、どれくらいいるんだろう。
そういう意味では、「ゼロ」って人は結構多いのかもしれない。
パートナーや友人や家族。
親しいからこそ話せないこともある。
モヤモヤもある。
心配かけちゃうし、恥ずかしいし、受け入れてもらえないかもしれないっていう怖さもある。
解決するしないじゃなくて、そういう事を気軽に話せる場所があったらいいのにな。誰かに話すってただそれだけで、支えられる心や、また前を向いて明日を生きようと思える人がいるんじゃないのかな。
私はふとそんなことを、この作品を通じて感じました。
最後に、エヴァンのスピーチ「You Will Be Found」から、
「落ちて壊れても独りじゃない、また立ち上がれる」
「助けを求めれば、誰かが見つけて家に連れて帰ってくれる」
そんな世界であることを、私も願っています。