「働きたくない、楽をしたい」怠惰を意欲に改善をする。
出来ることなら働きたくないし、楽をしたい、そう常々思っている。僕は怠惰な人間である。努力もしたくないし、勉強もしたくない。しかし、そうもいかない。「怠惰」を成すには、改善か、不正か、どちらかを選択することなる。
しかし、不正は刹那的で、先々のことを考えるとしっぺ仕返しや捕まったりするリスクが高く、僕程度では逃げ切れるとも思えない。ならば、改善するしかない。
漫画『ONE PIECE』の海軍元大将である青キジは「だらけきった正義」をモットーにしていた。なぜだか好きな言葉だ。どうして好きなのか、なんとなくわかってきた。
まず、「正義」をちゃんと定義する。正義は「争い」と相性バッチリなイメージがある。概ね、争いは己の正義を抱えて戦う。「悪を絶やすことが正義」そういう解釈もある。しかし、辞書を引くとそうでもない。
正しい道理、正しい意義、役割を果たす、公平……。自己中心的な意味ではない。英語の「Justice」も意味としては「公平」に近いそうだ。そこに争いや絶やすという意味はない。時代や場所によって変わるような意味でもない。(正しいは変化があるかもしれないが……)
そして、正義は自分一人きりだと成り立たない。なにかしらの他者や社会との関係性がある。だから、正義とは「人として正しい公平さ」と定義したい。
では、「だらけきった正義」とは何か。「だらけきっても正義が成されること」ではないだろうか。正義の定義は揺るがない。正義の状態を維持するため、最小で最大の方法は何か? そう問われている。そして、それができる能力としなやかさを持て、「有能な怠け者」になれ。そう僕は解釈しているようだ。
さて、それを会社で考えるとどうだろう。だらけきっても、人として公平な組織。最小で最大の効果とは。おそらく、それは判断基準の共通化だ。
各々が「うちなら、そうする」という判断基準のあたりまえ化。つまり、良い組織文化の醸成と浸透の度合いである。
誰もが良い判断をするなら、マネジメントは楽になる、そして、楽しくさえなるかもしれない。それは、ティール組織に近づいていくのではないか。
ティール組織はチームワークが良好である。そうなると仕事が楽になる、そして楽しくなる可能性を秘めている。誰かの役に立つという感覚は甘美なのだ。
最小のチカラで最大の効果を得る方法を探すには、「怠惰」の発想が必要だとすら思っている。
なぜか続けられている役目を終えた仕事、そこに終止符を打つ。もっと楽な、もっと効果的な方法を見つけ出す。それは「意志ある怠惰」がやることが多い。
人として正しい公平さを持つ怠け者。正義の怠け者。彼らの意欲が組織の発展には必要だと思う。
そして、不思議なことにそんな「怠惰」を成すためには、学び、行動し、「有能な怠け者」にならないとダメのようだ。むむむ……。
有能な怠け者について、最後に「ゼークトの組織論」を引用する。怠惰は一概に悪とは言い切れない。そう感じてくれると嬉しい。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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