改善のコツは「面倒くさい」を本能としてあつかうことだと思う。
組織で何か改善しようとする時、「面倒くさい」を勘定にいれておかないと痛い目をみる。たった数個の入力、たった数歩、これを読むだけ、これが面倒くさい。そもそも自分がやりたいわけじゃないし……、新しいことが、面倒くさい。
改善する人は「その後」の世界を見据えている。「良くなる」と思えばこその改善である。しかし現場は思ったようには動かない。「たった、これだけなのに、やってくれない」。腐ってるように映る。怠惰、怠惰、怠惰。そうして改善する人も心が折れていく……。
運動が人生の改善になると、知識はあるのにやらない。まさに自分のようである。たぶん、面倒くさいは本能なのである。
だから、改善の一番の難所は「現場の面倒くさい」になる。
人は見たいものしか見えないし、聞きたいことしか聞かない。これは「仕様」であるらしい。だから、興味を湧かせることができないのなら、見もしないし、聞いてもいない。
人は自分を重要人物として扱って欲しい欲求をもっている。これも「仕様」らしい。だから、事前に知らせておかないと「俺は聞いていない」とヘソを曲げる。
さて、彼らは今までずっと怠惰だったのだろうか。話を聞いていくと「出る杭は打たれる」、「手を挙げたら負け」、どうせ、どうせ、どうせ。無駄、無駄、無駄。どこかで心を折られた形跡がある。
これを「学習性無気力」というらしい。なんと悲しい学びなのか。
だから、「改善」という上からの目線ではなく、現場の面倒くさいを取り除く視点が重要だと思う。「もっと楽に仕事しましょう」「こんな面倒くさいこと止めてしまいましょう」。上昇志向ではなく、下降志向に見せかける。
実際のところ、現場は面倒くさい事を数多くやっている。概ね、上にあげる報告書の類である。それらを紐解き、全体像を描く。新しいことだけを始めるのではなく、無駄になったものを止める。「2を止めて、1を始める」このイメージ。1度目で楽になる実感をつくり。2度目で楽になった経験則をつくる。楽を積み重ねる。
つまり、変化に慣れさせる。「変化=良いかも」に認知をズラしていく。そして「自分たちでも、できるかもしれない」を呼び覚ましていく。
だから、改善する人は当面の間は手柄を放棄しないといけない。華を現場に。そんな心構えが必要になってくる。忍耐できるように、より大きな目標をもつ必要もでてくるだろう。
面倒くさいを本能としてあつかう。
楽になる、やりたくなる、自分たちでもできるかも、やりたい、やろう。
改善のコツは「2を止めて、1を始める」。
まずは、面倒くさいを味方にしよう。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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