「3人の石工」の話を超えよう。
ある旅人が3人の石工職人と出会った。旅人はその1人1人に「何をしているのか」と訊ねる。1人目の石工は「これで食べている」と言う。2人目は「国で1番の仕事をしている」と答えた。最後の石工は目を輝かせながら「教会を建てている」と語る。
印象的な話である。「3人の石工」の話は、仕事へのモチベーションやビジョンの大切さ、マネージャー像を語る時によく引きあいにだされる。
ところで、実際には誰が良い仕事をするのだろうか?
やはりイメージ的には視座が高く「教会を建てている」と語る職人になるだろう。でも、現実の組織を思い返してみると少し話が変わってくる。
組織にはいろいろな人が集まる。自己アピールが苦手な人、口先だけが達者な人、黙々と頑張る人、フリーライダー……。意欲も視座も見識も違う。生活のためだからと仕事に手を抜くわけじゃない。視座の高さに技術が伴うともかぎらない。
良い仕事は、何を言うかではなく、何をやっているかだ。
彼らが何を言おうとも、完成品がお粗末な出来では話にならない。お客さんの期待どおりに、もしくは期待を超える仕上がりへ、どれだけ真摯に取り組んできたかが成否を分ける。
もしも、1人目の石工職人が「お客さんから報酬をいただけてこその生活だ。ありがたい。だからこそ、お客さんが感動する仕上がりにしたい」と言ったのなら印象は変わるだろう。むしろ、黙々と真摯に仕事に取り組む人が組織を支えていると感じる。
彼らの評価は「プレゼン」ではなく「成果物」で決まる。
一方で、組織づくりに携わる者としては、この話は的を射ていないと思う。人材の質と捉えるならミスリードだと感じる。
組織づくりは、彼らが「今」何を言っているかではなく、5年後、10年後に何と答えるかに照準を合わせなくてはならない。彼らが組織の中で、いかに成長の契機と出会えるかに気を配らなくてはならない。
僕らは「磨けば光る者を、ちゃんと磨けるのか」と問われている。可能性やポテンシャルは当人にはわからないものだ。だから、人材育成や組織論の知見を道具にして、土を耕し、種を撒き、日を当て、水をやる。その手入れの手腕を問われている。
確かに、一人で勝手に成長していく人もいる。しかし、多くの人は人や仕事に出会うことを契機に成長していく。だから、僕らと縁あって出会った原石をあの手この手で磨いていく。それも切磋琢磨ではないだろうか。
「磨く」と言えば、東芝を再建した土光敏夫(1896~1988)氏の言葉が印象に残っている。その清貧な暮らしぶりで「メザシの土光さん」としても親しまれた人である。そんな土光さんは少数精鋭について、こう語っている。
集めるのでは無く磨く。玉石混交のその先は、全てを宝玉にできるのかもしれない。
組織として人材育成を大得意に出来たなら、人材戦略はがらりと変わる。採用をおろそかにすることではない。過去と現在でしか判断できない「採用」に「未来」を付け加えることが出来る。
彼らが、目の前の業務に真摯に取り組めるように、組織の不条理を減らし安心安全を整える。一所懸命に打ち込めば、自ずと良い仕事ができる仕組みを、壁を階段にしていくデザインを、ひたむきに試行錯誤していく。
人事総務は「3人の石工」の話では終われない。僕らはインタビュアーではなく、評論家でもない。彼らと時間を共にし、一緒に成長していく一員なのだ。
「一所懸命にやっていたら、立派な教会が建ったぞー!」と3人と共に喜びあう仕事なんだ。
そのポテンシャルが、経営層の次に人事総務にはある。
3人の石工の話なんて超えてしまおう。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
足跡を残していただければ幸いです。