最近の記事

我々の身体は流行ではない/協力のお願い

先日、note内にて、フェムテックに関する表題を見かけた。そのページを開き、ある男性が書かれた記事を拝読した。読了後(彼の真意の部分を読解できているかはわからないのだが)、居ても立っても居られず初めてnoteのサポートという機能を利用した。大変恐縮だが彼の文章への個人的な感謝を、文字数制限内で、今の私に出来得る簡潔な文章にして伝えさせて頂いた。ただ感謝だった。励まされた。その声明を読ませて頂いた時点で既に励まされる想いだったのだが、なんと...!筆者であるその方から更なる励ま

    • 雑談読書の距離

      2024年10月18日、初回となる雑談読書を開催した。「開催した」というよりも雑談読書の形式に於いては「協力して頂いた」に近い。 雑談読書というのは、主催である私自身が困難を感じる読書体験に「人に見守られながら音読して雑談して読書する」という形で人を巻き込み協力を要請する読書形式である。雑談読書に協力してくださる方々の総称は「読書サポーター」と名付けた。読書する人/読書サポーターという関係が会に参加する時点で発生する。 読書サポーターの方々には現時点でいくつかのお願いをし

      • 性をどう例えてみるかについて

        「SMをやらない」となると「他者と性的なことをしない」とも言える。縛りプレイというよりはやりたくないことをやらなくなった結果なんだけど、それにしても随分極端なこったなあとはおもう。言い換えれば他者の肉体を侵入させなくても性的に生きてはいけるということを「他者と性的なことをしない」日々で実感する。SMというものを前提意識として扱う。支配と被支配に自覚を持った上で弄ぶ。飢えた時、他者に求める夢は、自慰行為であることが多い。マッチ売りの少女のように自分自身で完結してしまっている。そ

        • マイマザーイズパワー

          私の母は、力強い人というよりも、力そのもののような人だ。 力強いというのは、力を認識し、それを掴み取り応用するようなものだが、母は力そのものとして転がり、自らの力が自走しているように見える。 母とその娘である私の関係は力の自走と医療機関による介入、私のストライキ、友人や専門家の協力などによって現在は良好なものを保っている。 ただ、それは単に昔より疎遠になったからという話でもある。母も私も疎遠になることにある程度了承しつつ、何とか関係を継続している状態だ。ケースバイケース

          魚じゃない海の女のひと

          寒くなるといつも通りの釣りができなくなってしまう。今年はそこそこ釣りに行けた。アジを沢山釣った。小さく生きている魚はなるべく手を触れずに海に返す。食べる時よりもうんと申し訳なくおもう。生きているからだろうか。 私にとっての釣りは唯一自覚できる強い信仰であり忙しないからだがすべて休息を許せる尊い時間。竿を海に落とし、待っているあいだ、ずっと海やそこに棲む生き物、海をいつも見下す空、飛沫、彼らに対してのみ祈っている。竿に魚がかかる時、毎回救われている。海によって生を許されている

          魚じゃない海の女のひと