見出し画像

我々の身体は流行ではない/協力のお願い

先日、note内にて、フェムテックに関する表題を見かけた。そのページを開き、ある男性が書かれた記事を拝読した。読了後(彼の真意の部分を読解できているかはわからないのだが)、居ても立っても居られず初めてnoteのサポートという機能を利用した。大変恐縮だが彼の文章への個人的な感謝を、文字数制限内で、今の私に出来得る簡潔な文章にして伝えさせて頂いた。ただ感謝だった。励まされた。その声明を読ませて頂いた時点で既に励まされる想いだったのだが、なんと...!筆者であるその方から更なる励ましを受けるような返答を賜った。以下はその激励に対する呼応として、書き記す。

.

私は数年前フェムテック市場に携わっていた。当時の国内事情では未だ発展途上の市場であり、そういった点から若輩の私でも、直接的に市場に干渉する事が出来る状況ではあった。加えて前職があまりに男性主体のワンマン経営で、その下で働く女性たちは、労働ではなく従属させられており、自らの力で貢献するような形で「働かせて」すら貰えなかった。そういった実体験からなる憤怒の勢いもあった。元より労働が人生の全てと考えているような人間ではなく、どちらかというと呑気な性格ですらある私でさえ「頼むから私の力を発揮させて(働かせて)くれよ!」と切望する異常事態だった。呑気な私でさえこう思う訳だから、キャリア志向の女性で順風満帆な方々は何処かで男性主体の社会構造に適応し尽力しているか、何処かで静かに息を耐え、ようやく口にできた言葉でさえ「文句ばっかり」「こんな女にはならないようにしようね」と言われているだろう。少なくとも私が観測する範囲では、そのように見えた。以下、労働に対する心象の記述をしていこうと思うので少しだけ口語文体で記させてもらう。乱れた文になってしまう事を予め詫びます。そしてパニック発作に近い症状の記述を含むので、ご自身の苦しみにどうか無理をなさらず、読まれるかどうかを判断してください。あなたが癒される事を切に願います。そして、その記述に進む前に、ここ迄読んで下さったあなたにお願いがあります。もしよければ、彼が共有してくださった団体「みんなの生理」様のnoteやHPなどから関心を持ってもらえないだろうか。ページを開いて読んでみるだけでも関心に繋がる。関心が深まった方は可能な場所(SNSや口コミや家族や友人や同僚や通りすがりの誰か等)で共有したり、寄付をしたり、そういったできる範囲の協力をしてもらえると助かります。いつも私の文章を読んでくださってありがとうございます。感謝と共に以下からは前述の通り、過大な無理をせず、読まれてくださいね。

「正気の沙汰か。恥ずかしくないのか。あなた方(奪うことに自覚的でありそれに開き直り倒しビジネス論という盾に縋る卑怯者)が死にたがりなのは結構だが、生き延びる為にたまたま開いた一室に獰猛な獣がおり、それを覗き穴から嘲笑う、そんなあなた方の背後でさえ獰猛な獣が涎を垂らしているというのに!そんな馬鹿馬鹿しい状況に、変わる兆しがあるかもわからない絶体絶命に、既に半身を捥がれながらも『こんなのはおかしい!やめてくれ!もうこれ以上私の何も奪わないでくれ!』と発する権利すら持たない(持てない)のか!生者が、人間が、それを持たなくて何が技術や経済の発展だ!」

私はそんな絶叫と共に卑怯者たちに一矢報いて、できるなら人に癒着した何者かを憎み、人を愛したかった。それは、私が無自覚であった日々や時間への一矢でもあった。SNSでの政治的干渉に苦手意識があった故に私は私の干渉領域を労働の場に用意した。

そんな若さゆえに為せたとすら言える勢いと愛に例えた情念と闘争心すら自身の身体領域の安息を脱線する、オーヴァードライブだった。でも、それしかできなかった。多少身体に鞭を打ってでも、この中期的健闘に向き合わなければ、私のような立場の人間は容易く奪われ続けてしまう。そして私は、そんな私をもう、私や他者を心から誇ることができない。自分の笑顔を祝福してくれた友人たちへ、過去の私へ、申し訳の立つ言葉すら発せなくなってしまうと危惧した。

そして、入社したフェムテック関連企業。その労働は、明るくなった受難との対峙、その連続だった。当たり前だ。闘うべき対象との距離が近づいた、だから何が私の身体を精神と呼ばれるようなものを奪っていたか、その全貌をまざまざと見せつけられる結果となった。365日、臨戦体制だった。勿論、365日労働を強制されていた訳ではない。しかし、自分で必死に休息時間を掴み取らなければならないぐらい余暇にもその事に向き合わざるを得なかった。私が抗いたかった者達は無垢な顔で「何を言っているんですか?」と尋ねる。私は決して最初から暴言や大声で怒鳴り散らしたりなどしていない。何故ならそれは私自身の卑怯さに対する後ろめたさもあったし、何よりその卑怯さや搾取の経験を諭してくれた周囲への敬意もあったからだ。相手に警戒心を持たせないように語ったりもした。しかし、それらに対し、一切の歩み寄りを成さない他者に、これ以上何が有効に作用するのだろう?そしてこのように健常者主権な環境で、直接的な干渉をすることを許された私の身体性を効果的に「使い」たかった。当時の私が思いつく限りでは精一杯の愚策だった。今も何が万全だったのか、問うている。

現場には仲間もいた。

彼/彼女たちは其々に平凡な人たちだ。一番私の健闘を支えてくれていた彼女なんかは、本来の気質はお調子者で、たまたま聴こえた祭囃子に身体がすぐさま反応し、嬉しそうに飛び跳ねるような人だ。そんな人が貴重な時間の中から、私の拙い真剣さに、笑わず耳を傾け、話を聞き、何度もその手を重ねてくれた。彼女のような人の、有限な人生の中から、湧き上がるような悦びの時間さえ奪われ続けていた。毎日誰かの顔を浮かべ思い詰めていた。ただ、何か、根拠というよりも、もっと素直にわかっていた、おかしさから、元に戻れたなら、とただそれだけを願っていた。

そんな健闘の数年間で私はある日、壊れてしまった。仕事現場で突然『一刻も早くここから逃げなきゃ』と思って全身が震え、言葉が何も出なくなり、寒気がして、涙すら出ず、硬直した。あ、死ぬんだ。わからないけど、このまま息が出来ず、死ぬ、と思った。死ぬぐらいなら逃げようと思って、全速力でその場を去った。きっとその場にいた社会人たちは皆騒然としただろう。そんな不協和音に耳を閉ざして、聴くことすらやめてしまったのだから。きっと私も、会社に勤めていた数年間の内で、ジワジワと気付かない(気付けない)ようなくらい自然に、その均衡を崩すことに疲れ、聴こえなくなるような時間も過ごしをしていただろう。

逃げて、駅のトイレでしばらく体育座りをした。怖い。もう、外は怖い。恥ずかしい。逃げてしまった。結局、私は何も全うできなかった。悔しい。悔しい。悔しい。今でも鮮明に覚えている。普段なら必要な用を足せばすぐさま立ち去るようにしている個室トイレで、もう誰からも奪わない為に、籠城する事しかできなかった。私は言葉が足らないなといつも思う。友人でない他者と話す時、しどろもどろになる。しどろもどろになるが、気を落ち着かせて、相手を信頼して、自分の言葉をひとつひとつ確かめながら話をしていく。年を重ねて随分マシにはなったかもしれないが、未だに、他者と関わる毎に、反省する事が多い。個室トイレの中ではその日々の細やかな情けなさが一気に押し寄せて、言葉を失ってしまった。もう、こんな私は、語るだけ、仲間たちに、迷惑をかけてしまう。もう、やめよう。そう決心しそうになった。

何とか自宅に帰り、鳴り止まない連絡に目を伏せ、目を伏せる自分に、目を伏せられた他者を見た。ああ、これからの人生どうしよう。あんなに必死に守ってくれた人たちにすら顔向け出来ない。恐らく数日間の間に件の彼女が仲介して状況説明を代弁してくれた。他力本願を実感した数日間だった。その後も上司たちや社長との面談はあったが、私はもう、無力だった。

そこから2年ほどかけて回復をした。回復といっても体感した経験の歴史は失う事はできない。今はあの数年間で理解した自身の限界を見誤らないよう気をつけている。私は結局の所、どれだけ細心の注意を払っていようが、ポコーン!と突っ走る気来があるから、慎重に安息するぐらいが丁度良いらしい。暫くは闇雲な人間不信気味だったが古くからの幼馴染や支えてくれた仲間、新たに出会えた友人たちのお陰で毎日すこしだけ楽しいと感じて生活できている。そして私の社会との干渉も形を変えた。適材適所として、私の力を最大化する為にも、なるべく身近な人たちに自分を知ってもらえるように素直な言葉を伝えるように努めている。私の力は僅かな効果しか生まないかもしれないが、それでも安息を心掛け生きながらえることができれば、雨垂れ石を穿つ、そう思って、気長に生きることにした。これを読み何かしら違和感を感じる読者もいるだろうが、私は体育会系な勢いがあり、気をつけてはいるのだが、少々暑苦しく成果主義風に走ってしまう。しかしそれは、従属心からくるものではなく「踊りたい!」「眠りたい!」「休みたい!」などが根本にある。ぐっすりすやすや眠りたい!

自分の事ばかりを述べてしまった。先の励ましを与えてくれた彼の文章は、私なぞの文章を、遥かに超えた言語表現の豊かさと真摯さに裏打ちされるような鮮やさがあった。私には容易く獲得できないような人の心を打つ彼の切実な言語の力を感じた。先程も適材適所という言葉を用いたが、私にも小さな事であれど、彼の言語表現のような真摯さを、別の何かで表せれたらと思った。記事での声明のみならず、私個人への返答迄もが私が失いそうになった尊厳を再び与えてくれるような力があり、それが尊重への証左になる訳でもないが涙が流れた。ありがとうございます。時間と労力とあらゆるものを使って、書き上げた声をnoteというプラットフォームに投稿してくださった事、出会いは偶然でしたが、大変励まされました。繰り返しになり申し訳ございません。これを読まれるかどうかも、読むに耐えない拙い文章であるかも、わかりませんが、感謝さえ伝われば幸いです。

そして、この文章を最後迄読んでくださった皆さま!しつこいようですが!少なからず何か思うことのあった読者の方々などは是非、それはもう是非!団体「みんなの生理」様に関心を持って頂けると幸いです。私の文章などは読み飛ばしてくださっても結構ですので、こちらのnoteやHPの内容の方へ貴重な時間と労力を使い精読して頂けると大変助かります。改めてここまで読んでくださりありがとうございます。梨子

拷問部屋所属です