見出し画像

マイマザーイズパワー

私の母は、力強い人というよりも、力そのもののような人だ。

力強いというのは、力を認識し、それを掴み取り応用するようなものだが、母は力そのものとして転がり、自らの力が自走しているように見える。

母とその娘である私の関係は力の自走と医療機関による介入、私のストライキ、友人や専門家の協力などによって現在は良好なものを保っている。

ただ、それは単に昔より疎遠になったからという話でもある。母も私も疎遠になることにある程度了承しつつ、何とか関係を継続している状態だ。ケースバイケースを無視した「しないことリスト」を守っていたりする。

そこまでしてようやく私と母は関係できる。

母は面白い。私は彼女のことが人として好きだが、母としてはどうかと言われると、答えにくい。そして、私が母を役割から降ろし、人として好きだと感じているのは、実は愛着形成の問題で無理矢理そう思い込んで麻痺させているのかもしれない。自己批判と常に隣り合わせであり、そればかりを考えると、親離れできないままゆったり衰弱しているような、知覚し難い恐怖が募るので、距離を置いている。

先日母と久しぶりに電話をした。朝方にかかってきたそれに、「もしもし」と出てみると

「今度伊丹にね!楳図かずおみたいなタッチでね!歯科技工士をされていてね!梨子さん!」

と矢継ぎ早に話、いや力が転がってきた。

「伊藤潤二さんの個展が伊丹で行われるからご一緒したいという事かなあ?」

反射的にそう回答した。

すると「梨子さん好きそう」と返ってきたので「ありがとうね。行くかは検討する」と答えた。

私の反応はまるで高校生クイズ大会の早押しのようだ。朝方だったので早起きクイズだが。そして母の断片的なヒントは回答がなければ出題として続く。もしくは回答が遅ければ正解を言わず次のクイズに移行する。

勝手に始まったクイズのヒントが出され続けるのも、正解を言わないままクイズが新たに出題されるのも、そこに私の「この会話はなんなんだ」という不安は見当たらない。

母はそういった質の配慮には欠けているだろう。「急にごめんね」とか「聞いて欲しいんだけどさ」とか。どういった動機から会話が繰り出され、目的は何なのかのヒントは見当たらない。

現状は大体のパターンを理解しているので、今回の例でいえば、私を喜ばせたいというのが主な動機だ。次に私と一緒に展覧会へ向かいたいという目的がある。

ホラーと漫画が好きな私を喜ばせる為の善意だったと仮定する。母子の関係ならば、娘の好きなものを理解して喜ぶ顔が見たいという普遍な動機であろう。

しかし(私にとっては)介される言語の解読難易度が高い為、動機や伝達内容のおおよそを理解するのに予測と洞察が必要なのだ。

これは圧縮言語と呼ばれるものに近く、高速餅つきのように解読をミスすると崩壊する独特な技法だ。

私は母の圧縮言語が大体解読できる。それは環境によって修練されてしまったものかもしれないし、私自身が圧縮言語に親和性の高い性質を持っているのかもしれない。その境界は非常に曖昧なのだが、遺伝と適応と関係が絡み合って、どれも一理あると今は思っている。

というのも、私は母の圧縮言語を受け継いでいる節がある。言葉を扱う仕事をしてきたので、母に比べると俯瞰した視点を持っていると思うが、それでも不安を感じることはある。

圧縮言語に迎合した部分と抵抗した部分が拮抗して「前置き、注釈、確認が多い上に会話速度は早めで、造語を生み出しやすいおしゃべりな人」になってしまう時がある。私も私で独特な言語性を有しているのだろう。

「母の言語性を普遍として適応しすぎると一般就労は難しくなるかもしれない」という焦りみたいな不安感が自身の言語性にいまいち自信が持てない原因だった。

この困難は、日本語という母語によるアイデンティティ形成とは異なり、自分の「母なる言語」と「国なる母語」における言語技法の側面でのアイデンティティ形成に関わるものだった。子ども時代の私は家庭と世間の狭間にあるズレをうまく飲み込めなかった。解決できる立場ではないのに「飲み込む」という手段を取らなければ苦痛だったのだ。

学生時代に勤めたコンビニエンスストアでは、客と従業員という関係で普遍な情報伝達が規則化されていた。その環境に触れてひどく安堵したのを覚えている。そして、こういった情報伝達は必ずしも万能な手段ではなかった。バイトの先輩たちが時折客と雑談していた。そのたのしそうな姿から学ばせて貰った。こんな風にたのしく人と話せる日がくると良いなと思った。

現況は今年の大きな課題に「言語」を設定してみた。新年あけましておめでとうございます!から言語について関心を持つよう意識した。

言語性の異なる友人たちから与えてもらった機会でもあった。言語の扱いが素敵だなと思う友人から「梨子さんの文章はたのしいよ」という言葉を貰えたから、取り組んでみようと思ったのだ。とても感謝している。

ひとえに言語といっても数多の想定がある。知らない事だらけで未だにその学習は続いている。課題に取り組んでからすぐの頃、ものすごく悲しくなってしまう時期があった。学びを通じてままならない言語の壁にぶつかり、あっぷあっぷと沈澱した。

長年の友人に「言葉なんか使いたくないよー。何もわからないんだもの。わからないのに何で使うんだろー怖いよー」と泣きついたこともある。友人は「本当だよね。我にかえると怖いものだ。でも梨子ちゃんは大丈夫だとも思うよ」と励ましてくれた。その一言で、少しだけ救われた気がした。

「ありがとう。わたしはクラムボンのまりもみたいに過ごしたい時があるよ。なみなみところころと揺蕩うだけ。そうか、言葉を使いたくない時はまりもになったら良いのかもしれない」

話していく中で解決の糸口が見えたりもした。その後、友人と巨大なまりもの画像を見つけて戦慄した。まりもにも色々あるようだった。

母との関係に戻るが、いつか母の言語性も理解できればなと願う。理解することで、仲良くなれるわけではないが、私自身の苦しみは軽減されるかもしれない。理解という言葉が指し示す範疇は、どこまでも広大で、見渡そうとすればどこまでも続くようなものだ。それでも今よりは見えるようになりたい。

私と母は他人だ。

言語野はいかなる原野 まなうらのしずくを月、 と誰かがよんだ

「モーヴ色のあめふる」佐藤弓生

拷問部屋所属です