性をどう例えてみるかについて
「SMをやらない」となると「他者と性的なことをしない」とも言える。縛りプレイというよりはやりたくないことをやらなくなった結果なんだけど、それにしても随分極端なこったなあとはおもう。言い換えれば他者の肉体を侵入させなくても性的に生きてはいけるということを「他者と性的なことをしない」日々で実感する。SMというものを前提意識として扱う。支配と被支配に自覚を持った上で弄ぶ。飢えた時、他者に求める夢は、自慰行為であることが多い。マッチ売りの少女のように自分自身で完結してしまっている。そこに有機性を求めるから苦しいんじゃないだろうか。私は大抵そうだから、そういう時はなるべく自分の夢を整理して本当に他者が必要なのか吟味する。そして夢は大体叶わない。夢想家程、夢を夢のままに享受する為に想像の世界を愛する。自慰ではなくセルフセックス。それはセックスの下位互換や代替品ではない。完成された可能性の遊泳。他者の尊厳にノックする時間は暴力をサディズムに変えてくれると信じている。
拷問部屋所属です