何のために 誰のために
毎日、毎日、祈るようになって、もうどれほどの月日が経ったことであろう。
時間を作り、調整し、切り詰めて、この数十年、私は祈り続けている。
気がつけば周りには誰もおらず、頼るものもなくし、手にしているものは何もない。
それならば、私はいったい、何のために、誰のために、こうして祈っているのだろう。
習慣化された動きはよどみのないものであるけれど、体自体がいうことをきかないことが増えてきた気がする。いよいよ、がたがきているのであろう。
準備をしながら、初めにこれを教えてくれた方がどんな人であったかも思い出せず、なぜこんなことをしているのであろう、と疑問を感じてしまった。
そうした疑問を感じながらも手際よく準備は進み、私は今日も祈る。
何のために? 誰のために?
きっと、もう、祈ることそのものが目的になっていて、それらがすべて抜けてしまっていることに気がついてしまった。そもそも、何に、誰に、祈っているのであろう。
それでも、私は、祈ることをやめなかった。いや、やめられなかった。
もはや、それは、私のためでもないのかもしれない。機械のように、決められた動きをしているだけなのかもしれない。
私は祈ることですべてを失い、もはや自分の命すら風前の灯であった。
祈ることでーーそう、祈ることで、幸せをつかみたかったに違いない。初めは、きっと、そんな想いを持っていたに。今ではもう、それさえ思い出せない。
祈り終えると…‥いや、祈る前から、ここには冷たい静けさが横たわっている。そばにいるものは、ただ、それだけ。
私は、この数十年を経て、そうしてもうすぐ、いや、今にも終わりそうな自分の命を見て、ようやく、悟った。
あぁ、救いなど、初めからなかった。
祈ることそのものが、私を幸せにはしてくれなかった。それとも、この静かさが、静謐とでも呼ぶべきもので、誰の声も届かない高みで、孤高とでも称すべきものだというのなら、私はその日々に救われていて、幸せであったのだろうか。
誰も到達できない、そんな境地……
私は後片づけをすませながら、さいごに残されたこれをどうするか決めあぐねた。
いや、今は、まだ。今すぐではなくともーーそう、そんなことしなくても、いずれ……
そう思っているさなか、糸が切れた人形のように体が動かなくなり、ゆっくりと倒れていくのがわかった。そうして、あぁ、そうして、ようやく、自然と意識が遠のいていくのを感じながら私にも幸せが訪れたことを直感し、そのまま…………