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それは誰が選んだもの?

 着ている服や髪型は、誰が選んでいるものだろう。名前は特に、自分では選べないかもしれない。けれど、それらは?

 自分で選んでいるものなのだろうか。

 そんなことを思ったのは、街中で見かけた子どもの姿と障がいと呼ばれるものをお持ちの方の服について話しをしていたときだった。

 その方は、お嬢さまのようにとてもきれいな、かわいらしい服を着ていることが多かった。

 見た目にも相まって、よく似合っていた。

 何気なく、いつもかわいい服を着ていますよね、と話しをしていたときに、別の職員から

「でも、実際にはどうなんですかね。本当にこういった服を着たいのかな。もしかしたら、もっとロックな服を着たいとか、そんな気持ちもあったりするかな」

 その言葉を聞いて、あー、と思わず納得してしまった。

 その後も、こうかな、ああかな、なんて話しが盛り上がりながら、その方は静かに手に持ったおもちゃで遊んでいる。

 たしかに、似合っている。かわいいと思う。けれど、もしかしたら、こう思っているかもしれない。というのは、とても重要なことに思えた。

 差し当たって、小さな子どもの姿を見かけたときにも、ものすごい髪型の子がいるのを見て、それは本当に子どもがそうしたいと願い、自分で選んでそうしているのかしら、と疑ってしまった。

 もちろん、そうしたい! と言って、その願いを叶えたのかもしれない。

 けれど、そう誘導されている場合もあるかもしれない。

 私にはもちろん、わからない。

 選びようのないこともあるかもしれないし、選ばせられたのかもしれないし、自分で選び取ったものかもしれない。

 ただ、本当にそうしたいのかしら?

 という感覚は、これからも大事にしていきたい、と。

 私は改めて、思ったのだ。

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ふみ
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。