心の痛みを体の痛みへ置き換える
うろ覚えだが、摂食障害の本を読んでいて、そんなことが書いてあった気がする。摂食障害は現実の問題を体型の問題に置き換えているんだって。たしかにそうかも。
死にそうになるまで痩せるのは、自傷行為とも言えるんだろうな。案外、倒れすらしなかったけど。仕事がうまくいかない(というか不満)。家族や恋人とうまくいかない(こちらも不満)。モヤモヤが溜まって、ドロドロしてきて、当時はもう心がいっぱいいっぱいになってたんだろう。
ストレス解消方法が分からず、そもそもストレスの原因が何かも自覚してなく、とにかく「ダイエットをして体重を落とす」という成功体験を重ねることが、自分の自尊心を保つ唯一の方法でした。
仕事や人間関係は必死に頑張っても、思うようにはならない。褒めてほしかった。認めてほしかった。あの人に変わってほしかった。でも、環境や他人を変えることは容易ではないし、疲弊していくだけだった。
一方で、ダイエットは”自分の努力次第”で結果がでる。間違った方法だったけど。「辛いダイエットに努力して取り組んだ結果、体重が〇キロ落ちました!パンツのサイズが小さくなりました!」というのは、わかりやすい。数字でも見た目でも確認できるし、「痩せたね」と言われれば承認欲求も満たせるし。
でも違ったんだよね。努力して痩せて成果がでて、現実の問題ってなにも解決してなかった。痩せて仕事で認められるわけがなかった。むしろ任される仕事は減っていくし、体力のない私はそれすらいっぱいいっぱい。周囲の人との関係は、良くも悪くも変わらなかった。病的に痩せたら、自分のことを嫌いになるかな、それとも頑張ったねって褒めてくれるかなと思っていたけど、意外と何も変わらなかった。もっと食べて、心配だからと言われただけで、その人の価値観は変わらなかった。好きでいてくれる人は、相変わらず好きでいてくれるみたいで、ありがたいことだけど、理解できなかった。私は辛いんだよ、こんなに頑張ったんだよ、なのに何も変わらないの?私の努力は関係ないの?と思って、余計に悪化した。
今思うと、仕事が辛かったんだと思う。誰かに「そんなになるほど、仕事を頑張っていたんだね。努力家だね。もっと力を抜いていいよ。」って言ってほしかったんだ。痩せちゃってかわいそうだから残業時間を減らすとか、仕事量を調整するとか、そうじゃなくて、「頑張ってるのは知っているよ」って言ってほしかっただけ。それだけなんだけど。そんなの言われるわけないんですよね。社会人って。
そんなこんなで現実の問題は解決せず、「努力して痩せたのになんで!まだ頑張りが足りないんだ!」と思い、摂食障害の沼にはまっていったわけです
。ここに思い至るまでに数年かかってます。摂食障害の原因を探るのは意味があるかと聞かれたら、私はあると思います。どんな状況に置かれたら、症状が悪化するのか。そのとき現実の問題は何なのか。絶対、問題なのは体型じゃないから。
まずは摂食障害の下にある現実の問題を見つけるのを大切にしたい。その問題は、おそらくどうしようもないことが多い。どうにかしようとして、無理なダイエットをしなくていい。だって痩せても意味はないから。どうしようもないことは、どうしようもないんだ。これはどうしようもないな~!って思って、楽観的に生きるのが、私の目標です。