見出し画像

不登校だった僕〜高校生活後半編

不登校だった僕シリーズ。
今日は、高校生活後半編です!
過去記事は下記から読んでね!

高校入学編でも書きましたが、高校は6年通っています。
前半3年は定時制昼間部、後半3年は通信制に在学していました。
ここからは便宜上、高4や高6という言葉が出てきますがそういう理由ですのでよろしくお願いします。

高3の時東日本大震災が起こり、自分もの住む地域のも津波警報が出た。
バイト中だったが、お店を閉めてみんなで避難した。
家族と一晩は市役所で避難生活をした。
この時市役所のTVで見た、津波の様子がまだ頭から離れない。
地元は人的被害こそなかったものの、養殖業が甚大な被害を受けた。
同級生の父親が漁師で死ぬ思いをし、救助された話を知ったのはつい数ヶ月前の話だ。

その時の自分は、高校の卒業式にも出ず(まあ自分は卒業できないしね)
音楽とバイト生活に明け暮れていた。

当然、高校を卒業をする気もなかった。19歳の冬のことだ。
ただこの後、転機が訪れる。
当時付き合っていた彼女が高1。あと2年で高校卒業。
自分も1年分の単位は持っていたため、あと2年で卒業ができた。
この数ヶ月前、僕は高校を辞めようと、買った教科書を全て捨てていた。

ただ、彼女から説得を受け、一緒に高校を卒業しようと思い直した。
男って単純だな(笑)

ここからは、一念発起し勉強にも勤しんだ。
通信制にきちんと通って勉強してみると、その環境が自分には合っていた。
同い年の友達なんてほぼいない。
母親と同い年くらいの女性や、イレズミがだらけの兄ちゃん。
どう見ても、キャバクラやホストのお兄さんお姉さん。
かたや、70代のおじいちゃん。
まあそれぞれが色々な立場で学ぼうとしていた。
それがものすごく居心地が良かった。

社会や、普通の全日制の高校とは全く違く景色。
車やデカいバイクで来たり、タクシーで来る生徒もいる。
そんな言わば『変わった』環境の高校が僕には性に合っていた。

今思い返しても懐かしく、愛おしい。

無事に高5から高6を終え、卒業した。
卒業式自体、出席するのが小6以来6年振り。
感動したな。

自分は社会のどこかで生きてる感覚が欲しかったのだろう。
高校生活や卒業で、その実感が得れたのは非常に良い経験だったと思います。

そんなこんなで僕の学生生活は、21歳の春。高校6年生で幕を閉じることになったのだ。

今日はここまで。
次回からは、社会人編〜上京物語を書きます。

20201007

いいなと思ったら応援しよう!

猪野直也 / InoNaoya
サポート募集しています。 執筆環境や、フィルム代や、インプットのために利用させて頂きます。

この記事が参加している募集