心理の本を読むことでうつ病から回復した話⑤(浪人生編後編)
読んでくださってありがとうございます。
機能不全家族のもとで育ち、精神疾患(うつ病など)で苦しみ、そこから回復した自分の半生を書きたいと思います。浪人生後編になります。
前回の話はこちら
なおと、うつ病になる
実家から離れることは出来たものの、自分は寮生活で孤独な日々を送っていました。夏頃から塾にも一切行かなくなり、誰とも話さない日が何日も続きます。
そして、前回の話のフラッシュバックが原因かは不明ですが、夏の終わりにうつ病を発症します。
いつも気分はどんよりと暗かったのですが、それよりも更に気分と身体がズドンと重い状態でした。明らかに今までの状態とは違うことが自分の中でわかりました。
何をするのも億劫で、酷い時はベッドから起き上がることが出来ません。夜は不眠で寝付けず、気付いたら朝まで起きていて昼夜が完全に逆転します。
食事は寮の食堂に行けば食べられるのですが、基本朝食は食べられません。(寮なので朝食は7時~9時など食事の時間が決まっています。自分はなぜかこの時間になると寝ているのです。)
身体が重い時は2階の自室から出ることすら出来ず、夜ご飯も食べられない時がありました。食事を決まった時間に取ることが出来ない為、母親にレトルト食品を送ってもらい、食堂で食べ損なった時は自室でそれを食べるようにしました。
ゴミは部屋でまとめることは出来るのですが、寮の外まで持っていくことが出来なくなります。ペットボトルのゴミも捨てることが出来なかったので、自室から出た廊下に並べていたりしました。
すると、異変に気付いた寮長さんがある程度ゴミが溜まった状態で持って行ってくれることになりました。(寮長は心配してくれて優しかった)
お風呂に入るのすらままならず、酷い時は何日間も入れないことが続きます。このような自室引きこもり状態が約1ヵ月程度続きました。
自分はあまりにも社会生活が送れなくなったため、母親にお願いし、車で精神科に連れて行ってもらいました。そこで初めて、うつ病と診断されました。
そうだ自殺のマネをしよう、少しは楽になろう
精神科で処方された精神薬を飲むことで症状は少しだけ軽くなりました。ただ、この頃が一番希死念慮が高かったです。
「自殺でもしないと、この苦しみは誰にも伝わらないのかな。でも、自殺するのは勇気が出なくて怖いなあ。そうだ!自殺のマネをして、少しは楽になろう!」
そんなことを思いつき、この頃の自分はかなりおかしな行動をしていました。芥川龍之介に憧れてODをしたり(芥川龍之介は服毒自殺をしている)、リストカットをしました。しかし、巷で言われているような多幸感やスカッとした気持ちにはなりませんでした。
そこで自分の頭を思い切り壁に打ち付ける自傷行為を行いました。頭から血が出ているのを鏡で見ると、何故かわかりませんが生きている実感がしました。
自分が一番効果があったのは、『完全自殺マニュアル』という本を買ったことです。
この本には、飛び降りや首つりや練炭など様々な自殺の方法が載っていました。自分はこの本を『お守り』として持っておきました。
自分は空想の中で何度も自殺しました。自分の選択でこの辛い世界から逃れられると思うと、少し気持ちが楽になるのでした。
気分が乗らない時でも行動する
こんな感じで物凄く病んでいたわけですが、自分のことをよくするために、自分で何とかしようという気持ちも少しは残っていました。
部屋に引きこもっていても、何もできない自分に嫌気がさし、どんどん気分は沈む一方です。
なので気分の落ち込みが少ない時は、太陽の光を浴びる為に公園に散歩に行きベンチで読書したり、本屋に行ったり、映画を見に行きました。
身体や気分が重い時でも、「今この部屋が火事になっても起きることができないかどうか」を自問し、それなら起き上がれると思った時は、ベッドから起きるようにしました。
でも、外に出ると物凄い罪悪感に襲われます。
「周りの人達は皆学校に行ったり、仕事したり、勉強してる。自分はこんな感じで何もせず、社会のお荷物だ。甘えている。この世から自分は淘汰されるべきだ。」と頭の中で勝手に自分を責めていました。
そして、また疲れてベッドから起き上がれない。行ったり来たりの日々を過ごしていました。
うつ病は不幸印のギフト
この病んでいた秋の時期は受験勉強を全くしていませんでしたが、その分心理系の本は読んでいました。読書という行為は『自分をよくする為なんだ』と思いこみ、『何もしていない自分』という罪悪感から逃れる術だったのかもしれません。
ですが、自分は結果的にこの読書によって救われることになります。
泉谷閑示氏の『「普通がいい」という病』という本を読むことで、うつ病から脱却します。
この本をきっかけに「自分はなぜうつ病になったのか」について考えていくことになります。
「頭」vs「心」=「身体」
自分にとってうつ病というのは、物凄く向き合うのが嫌でした。しかし、この考え方を知り、うつ病になった意味を知ることになります。
この生き方はもう限界だ!と「心」と「身体」がSOSを出していたのです。
小さい頃から、親の価値観に押し付けられ「~すべき」という呪縛に囚われ、そこから物理的に離れた今でも自分自身に暗示をかけ続けていました。
「勉強をしなければならない。いい大学に入るべき。」「人に対して怒ってはならない。優しい人でいるべきだ。」と世の中の価値観に沿うように生きてきました。
そして、「~したい」という思いを知らず知らずのうちに抑圧していたのです。
うつ病を受け入れる
自分はうつ病を治すためにはどうしたらいいか、よくわかっていませんでした。とりあえず世の中の人がいうように、勉強や仕事をせず、薬を飲んで横になっていればいいのだと思っていました。
しかし、本当の意味では休めていませんでした。
何もせずベッドに横たわっている時でも、「世の中の人は真面目に昼間働いている。今は寝ていなければいけない時間なのに。自分は何をやっているんだ。」と、昼夜逆転し体たらくな自分を責めています。
気分転換で外に出ている時もそうです。周りの人と見比べて、「自分はダメな人間だ。生きている価値なんかない。」と責め続けています。
そんなことを一晩中ぐるぐると考え、自分をいじめて抜いているのです。
そりゃ疲れて、うつ病はいつまで経っても良くなることはありません。
自分はうつ病を治すことをひたすら「頭」で考えていました。しかし、それはさらに自分を苦しめる一方でした。自分は「心」と「身体」を大事にして、うつ病を受け入れることにしました。
自分いじめをやめる
自分は自分いじめをやめることに取り組みます。
そこで自分は自分以外の味方を頭の中でイメージして作ることにしました。
自分を大事に思ってくれるニューハーフや年上のお姉さんとか守護霊さんに自分をいじめているのを止めてもらうのです。
自分を責めていることに気付くと、「なおと~駄目じゃない。そんなに自分をいじめちゃ♡そんなんじゃうつ病は治らないわよ。」とニューハーフに言ってもらいます。自分は「また自分を責めちゃった。もうやめようと思ったのに。なんでうまくいかないんだろう。」と考えます。
しかし、今度は年上のお姉さんの出番です。
「ほらほら、なおと。また自分のこと責めちゃってるよ。まじめだなあ。そんな自分のこと責めないであげて。もしなおとが自分のこと責めてても、私が止めてあげるよ。」
おおよそこんなイメージです。
この自分を責めず、自分に慈悲を向けるということを、今風の心理学用語でいうと「セルフ・コンパッション」と言います。
それはまた別の記事でとりあげようと思います。
再度、凍り付いた体験(トラウマ)に立ち向かう
自分は自分いじめをやめたことで段々とうつ病から抜け出しました。
そして、再度トラウマに向き合う決意をします。
前とは違って今回は強い味方がいるのです。
自分はタオルケットに身を包み、机に向かいます。このタオルケットは小さい頃から大事に持っていたものです。母親が父親にDVをされているのを隣の部屋で聞いていた時、このタオルケットに包まっていると自分を守ってくれているような気がしたのでした。
このタオルケットに自分を大事に思ってくれる守護霊を宿します。「何があっても大丈夫、私がついているからね」そう自分をハグしながら言ってくれています。
そして、自分はペンを取り、過去辛かった記憶を紙に書くことをしました。今度はフラッシュバックは起きませんでした。辛い記憶を思い出しながら、自分はボロボロ泣きました。
「そうだったんだね。辛かったんだね。」と自分の守護霊さんも寄り添ってくれています。
そして、ある程度紙を書き上げると、自分は儀式としてライターでその紙を公園で燃やすのでした。これを何度も繰り返しました。
全ての記憶を掘り起こすことはしませんでしたが、少しずつ「過去」が自分の中で消化され、「過去」になっていく感じがしました。
螺旋階段のように
うつ病からの回復は右肩上がりではありません。
自分いじめをやめようと思っても、気付いたらまた自分いじめをやっています。
自分いじめをやめても、すぐに身体がついてくるわけではなく、身体が楽になったと思えるようになるまでラグもあります。自分の身体が楽にならないと、また前のように自分のことをいじめ続けています。
ここではあまり書いていませんが、自分はずっと回復に努めていたわけではありません。一度良くなったと思っても、またズドンとした気分に逆戻りすることもありました。
そういう時はそれまで以上に希死念慮に苛まれ、首つり用の縄をホームセンターで購入しようとした位、絶望していました。
けれど、自分は「変化を起こすことが出来ない、前にアクションを起こせない、立ち止まっている自分」も受け入れることにしました。
このように前に進んだり、止まったり、時には戻ったりを繰り返し、まるで螺旋階段を上っているかのように、自分はうつ病から抜け出せました。
今回はここまでとなります。実は自分の回復はここで終わりません。次回は、大学生編に続きます。長い文章を読んでいただきありがとうございました。