心理の本を読むことでうつ病から回復した話⑥(大学生編Ⅰ)
読んでくださってありがとうございます。
機能不全家族のもとで育ち、精神疾患(うつ病など)で苦しみ、そこから回復した自分の半生を書きたいと思います。
うつから抜け出せても、苦しみは終わりません。
今回は大学生編Ⅰになります。
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まだ奈落の底にいる
自分はうつ病からは抜け出せたものの、まだ生きづらさを抱えていました。そこでカウンセリングを受けることにします。
しかし、これは上手くいきませんでした。
面接では、自分の話を傾聴してもらいます。親への不満や自分の苦しさをその場で吐露して楽になることもありましたが、話すことで取り留めなくまとまりがなくなり、余計に苦しくなることがありました。
面接時間は60分と決められているものの、何でも自由に話してよい『枠組みがない状況』が物凄く苦手でした。
最初は普通に会話していますが、カウンセリングの終わりの時間が近づくと、自分はとても不機嫌になりました。「先生は自分を嫌な気持ちにさせたままカウンセリングを終わりにしてここから追い出すんだ。」そう言ってカウンセラーを困らせ、少しでも時間を引き延ばします。
そして次の面接の時は、前回時間延ばしてもらったことを引き合いに出し、要求を更にエスカレートさせました。でも当然その要求は受け入れてくれません。自分は要求に応えないカウンセラーに怒りを向けました。
面接中の感情の振れ幅があまりに大きくコントロールが効かなかったです。自分は一向に良くなる気がしなかったので、このカウンセラーを見限ることにします。
「ここに来てもよくなる気が全然しない。自分は大学受験をするから、ここに来る時間が勿体ない。今までほんと無駄な時間でした。」とプライドを傷つけることを言い、カウンセリングに行くのを止めます。
嫌いな父親の母校と同じ大学に行く
自分は大学に行く気はなかったですが、カウンセリングの時「大学行かないと親からまた責められてずっと苦しい思いをするよ?」とカウンセラーから言われ、これには納得していました。
自分はまた大学を受けることを決意します。
とはいえ、自分は親から目指せと言われていた公認会計士には全く興味がありません。
この頃、心から目指したい職業がありました。
自力でうつ病から立ち直った経験、そして精神科医療でわかってもらえず治してもらえなかった経験から、「自分が精神疾患の人の気持ちもわかるカウンセラーになってやる」と思うようになったのです。
父親には「カウンセラーなんてやめろ。高学歴ワーキングプアって言葉を知っているか?大学院まで出て、非正規で400万円程度しか稼げない。」と強く反対されました。
しかし、自分は「それでも構わない」と父親の意向に反抗します。
父親はさらに反論しました。が、父親の母校を受けることを伝え、納得してもらいました。父親にとって大学時代はいい思い出だったらしく、その母校にとても思い入れがあったのです。
父親の母校は臨床心理学の分野で、日本で最先端の研究をしてました。しかもキャンパスは家から離れており、受かれば一人暮らしをさせてもらえるとのことだったので、なおさら好都合でした。
自分はサボってた受験勉強を12月から再開し、何とかその大学に合格することが出来ました。
バラ色の大学生活の始まり?
親元から離れ、大学生活がスタートしました。
自分はアウトドアサークルに入ります。アウトドアサークルとは名ばかりで特に何も目的を持たず、キャンプしたり、宅飲みしたり、何となく楽しいことを誰かが企画しては、それに参加するという緩いサークルでした。
自分はその中で一人の女の子(仮名でかな)に恋をしました。かなちゃんは摂食障害で苦しみ、克服した過去を持っていました。かなちゃんも自分と同じで、機能不全家族で育ったということもあり、自分のことを心から初めて理解してくれる人でした。
しかし、自分はかなちゃんのことを物凄く苦しめることになります。
自分はかなちゃんとの距離が縮まり、自分を受け入れてもらえることを感じ、相手に依存する心地よさを覚えます。
ところが、その分「見捨てられる不安」を感じることになり、自分はコントロールを失います。
メールが数時間返ってこない等ちょっとした出来事や、実際会ってるときでもこの子の些細な仕草や言動が気になり、ちょっとでもかなちゃんの顔色が曇ってたりすると、気分が落ち込みます。
その子が他の子(同性でも)と遊んでいることを知るだけでも、「自分はもういらないんだ、自分は相手にとって何も価値がない人間なんだ」と極端に感じるようになります。
そして、自分はかなちゃんが電話に出るまで電話をかけ続けたり、自殺を仄めかす発言をしたり、頭を壁にぶつける自傷行為をしたりと、この子のことを極端に心配させるような「試し行動」を繰り返します。
それに対して、かなちゃんが心配してくれると嬉しさを覚えたり、逆に反応してくれなかったら「自分にとってかなちゃんは理想の人じゃなかった。自分を心配してるって言ってたのに裏切るんだ。」と強い怒りを覚えたのでした。
自分の態度に疲れてしまったのかは不明ですが、その子はサークルにあまり来なくなり、自然と距離が空いていきました。
自分は、このような迷惑な行動をしてしまう自分を心底恥じてました。自分を大切に思ってくれる人を傷つけるのが嫌になり、かなちゃんに自分からは連絡を取らなくなります。
(とはいえ、かなちゃんはできる範囲で、その後も関係性を切らずに保ってくれました。自分がある程度回復した大学2年の冬に、「あの時支えてくれてありがとう」とこの子に感謝しました。)
自分「メンヘラ」かもしれない
自分は自分の行動傾向がある病気に似ていることに気づきます。
「境界性パーソナリティ障害」です。
(※診断はされていません)
俗にいう、「メンヘラ」ってやつです。
岡田尊司先生の「境界性パーソナリティ障害」を読み、自殺未遂などの行動はしてないけど、まさに自分のことだと思いました。
目まぐるしく気分が変わる
怒りや感情のブレーキがきかない
自傷行為を繰り返す
心に絶えず空虚感を抱いている
自分が何者かがわからない
など、他にもあてはまることが多かったです。
自分は今まで「メンヘラ」になる素養は持っていたものの、他人と関わりがなかったため、表面に現れてこなかっただけでした。
自分を受け入れてくれる人(カウンセラーやかなちゃん)を見つけてしまったがゆえに、おかしくなったのだと悟ります。
自分はこの本を読んだことをきっかけに自分を少し客観的に把握できました。そして、以下の岡田先生の言葉を信じ、いつか回復して、成熟した人間になれることを夢見たのでした。
止まない嵐はない
地獄、ふたたび
自分は秋ごろからまた気分が重くなり、次第に大学から遠ざかるようにました。そして、また自室でひきこもる生活になります。
孤独な日々が続き、うつ病を再発します。
その頃の日記です。
自分は冬頃まで病み、心配して見に来た母親に保護され、一時的に実家に連れ戻されました。
今回はここまでとなります。次回は、大学生中編に続きます。長い文章を読んでいただきありがとうございました。